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私の愛


私の愛。
例えば、美味しいと思ったものを相手にも分ける。
きっと好きだよと相手好みのお店や映画を教える。
急だけどいつもありがとう。って伝えてみる。

そんなちっぽけな詰め合わせ。

大きなトキメキじゃなくても、ちょっとだけキュンとする。そんな感じが私の愛だと思った。

でもそれ以外に、私の愛は悪いものもある。

相手がそれで幸せなら、いっか。
笑ってくれるなら、何も言わないでおこう。
私は私で、相手は相手。

というもの。

違う見方をすれば何も問題はないのだろうけど、また違う見方をすれば、ただ我慢をして自分を押し殺しているだけのようにも見える。

厄介なことに、歳を重ねる度にこういう考え方になる。成長しているというのか、大人になっているというのか。なんというか、少し寂しい。

もしかしたら、相手もそうなんじゃないか。みんなこの考え方だったりするのだろうか。そうだとしたら私は、その相手の愛など要らないとさえ思ってしまうかもしれない。

もっと自分本位にわがままを言って欲しい。
笑い合うより、話し合いたい。
自分は自分で、相手は相手なんて寂しいことを言うな。

そんな風に思ってひとり寂しさに暮れる気がする。
せめて、相手が隠したわがままに気付くぐらいにはなりたい。

相手の隣から一歩引いて歩くのも愛だろう。
相手の隣にぴったりとくっついているのも愛。
相手の一歩先で手を引くのも愛。
相手の隣にはもう居ないことも、愛かも。
相手の足にしがみつくのは執着で依存だ。愛ではない。

少し先に、それとも振り返ったら、もしかしたらすぐ傍に。愛が届く距離、それはいつ分かるのかは分からない。それならもういっそのこと我慢なんかしなきゃ良かった。

私の傍にいて欲しい。
好きだから、近くに来て。
ぎゅってして離さないで。

恥ずかしいセリフすら言ってしまえばよかった。

もし別れたら。なんてもしものそんな時のこと考えて、今が幸せだからって私の傍にいてそれでいいの?って遠距離の頃保守的に言ってしまったのは、彼と私の未来に自信がなかったからで、本当は今すぐにでも飛んで会いに来て欲しかった。

私の愛を私は間違えて、先にも振り返っても傍にも居なくなってしまった。届く距離が何も無い。

嫌われたくない。
わがままを言うのが怖い。
重いって思われたくない。

そうやってずっと我慢をして、結局疲れる。
何もかもどうでも良くなって手放す。
どうでも良くないのにもういいやって。
手放してからは、何も届かない。
そうやって気付いた時にはもう遅くて。

傍に居て欲しいの一言ぐらい、わがままじゃないと思うよ。会いたいって言われるの嬉しい以外ないよ。特に大人になって学生の頃よりも自由な時間が減って疎遠になる友達が多い中で、会いたいなんて。嬉しいよ。

恋人に会いたいと言われても感情が動かないタイプの人は、きっと全てが他で満たされているから、その愛は相手にぴったりはまらないのかな。
私は恋人のために、少しの余白は残したいと思うタイプかもしれない。完璧なパズルよりも、完成しないその時間を大切にする。

私の愛は、案外期待まみれでわがままで子供じみてる気がするけど、それでいい。それがいい。

そして私の愛が届いているのが分かる瞬間は、期待すらせずに何の見返りも無く、ただ見守ったり、相手に優しくしたり、相手を考える時間が自然になることな気がする。

尽くさないようにしようだの、好きと言い過ぎないようにしようだの、そんな事すら考えなくなる。


ここ好きそうだな。
これ気に入りそうだな。
似合いそう。喜びそう。


自分の日常に溶け込んでいるその瞬間が届く愛だと思う。

恋愛に限らず、友達でも家族でも全部に当てはまる。
これからは今まで以上に、自分も相手も大切にしながら過ごしていきたいな〜〜

長い長い殴り書き失礼しました、、、
みなさんの愛も誰かに届きますように(♡)


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