BEN

悲運の大投手、清水秀雄氏の生涯を追う者。職業野球・プロ野球に関心があり、長文を書く練習…

BEN

悲運の大投手、清水秀雄氏の生涯を追う者。職業野球・プロ野球に関心があり、長文を書く練習をしたく登録しました。

最近の記事

変わる町と、変わらないもの。再び清水秀雄氏の故郷へ

米子市朝日町。 特に用は無いけど気になる町。それがこの地の特徴だと言える。細く舗装すらされていない道路に入口が向き、多くの店がひしめき合っている。建物も古びたものが多く、店の看板の作りもそれぞれで、統一感が無い。簡単に言えば「雑多」。この下町の様な雰囲気やどこか温かい空気に惹かれ、毎日多くの人がこの朝日町に訪れているという。数十年前まで何もない桑畑だった町が、急激な成長を遂げていた。 朝日町は食品がよく売れる。安くて質の良いものが手に入りやすいそうだ。昼間はエプロン姿の婦人が

    • 「悲劇の豪腕」清水秀雄氏の故郷、鳥取県米子市を訪れて

      行きの夜行バスは緊張と高揚感、そして若干の恐怖が入り雑った不思議な感情で、余り睡眠が取れなかったのを覚えている。一人での遠出が初めてな上、当時まだ大学生。私が全く踏み入れた事の無い未知の世界へ、夜行バスは暗闇の中を進んでいた。 令和4年9月1日。晩夏とは言えぬ猛暑が続く関東を離れ、私は初めて鳥取県米子市に降り立った。目的は、清水秀雄氏の人生を調査する事。人の事を知りたければ、その人が育った環境、つまり「リアル」に触れ、理解する事が重要だと思ったからだ。 清水秀雄。私のXを知る

      • もう一度、ボールを握りたい

        この選手の生涯を「悲劇」と纏めてしまう事こそ、ある意味残酷なのかもしれない。 1934年の日米野球。日本チームは全国各地でアメリカチームと計16試合を戦った。草薙球場での沢村栄治の快投は現在でも語り草だが、健闘虚しく結局日本チームは全敗に終わる。 日本とアメリカの力の差は歴然であった。アメリカは16試合で計47本の本塁打。一方日本は僅か3本しか本塁打を打てなかった。アメリカに「baby」と揶揄されるのも無理はない。 日本チームの本塁打3本。放った選手は、井野川利春、ジミー堀尾

        • 職業野球、語られない戦前の名勝負。満員御礼の甲子園

          気温25度。南西から運ばれる暖かい風は、まるで観客の熱狂振りを予感していた様だ。 1940年6月4日、甲子園球場。猛牛こと千葉茂(松山商→巨人)はベンチからスタンドを眺め、緊張で足を震わせていた。普段2千人も観客が集まらない職業野球の試合。しかしこの日の球場は満員御礼。異常事態が起きていた。 当時社会的地位が低かった職業野球。何故この日、これ程までの観客が集まったのか。理由は2つある。 理由1つ目。この日は沢村栄治(京都商→巨人)の3年振りの復帰登板であった。 巨人軍のエース

        変わる町と、変わらないもの。再び清水秀雄氏の故郷へ

        • 「悲劇の豪腕」清水秀雄氏の故郷、鳥取県米子市を訪れて

        • もう一度、ボールを握りたい

        • 職業野球、語られない戦前の名勝負。満員御礼の甲子園

          二番打者一塁手、背番号無し。

          2023年。プロ野球は阪神タイガースが38年振りに悲願の日本一を達成し、幕を下ろした。 阪神タイガース。球団の歴史は巨人に次いで長い。1935年「大阪タイガース」として甲子園で産声を上げた阪神は、巨人と頂点の座を争い続ける。いつしかその対戦は伝統の一戦と呼ばれ、名勝負を幾多も繰り広げた。歴代で阪神に在籍した選手の数は800を超える。一人一人が想いや背番号を背負い、グラウンドに立ち、そして時代を築いてきたのだ。 しかしその800人の中でたった1人だけ、背番号を一度も背負わずに退

          二番打者一塁手、背番号無し。

          忘れられた「バカ肩」の元祖

          「バカ肩」。 糸井か、羽生田か、それとも。いずれにしても、今でも耳にする言葉である。常識外れな肩の強さを表す為に用いられる異名だ。聞き慣れた、と言うには少し足りないかもしれないが。 「安打製造機」や「アーチスト」など、異名には元祖が存在する。それは「バカ肩」も同じ。 その異名の歴史は古い。誕生したのは今から約85年前、一人の選手の記憶に遡る。 1938年秋。堺大浜球場で日新商と興国商は試合をしていた。堺大浜球場は、南海が当時よく使用していた球場だが、練習場として使っているばか

          忘れられた「バカ肩」の元祖

          自己紹介【初投稿】

          お世話になっております。 正直、「X(旧Twitter)」と入力するのは大変煩わしいので、以下Twitterとします。 こんばんは、いつもTwitterでお世話になっております、BENです。そもそも、BENという名前と本名は全く関連性がありません。学生時代、英語の教師の名前がベンで、それに因んで適当につけた名前です。いつか名前変えてやろう、と思ってから随分過ぎてしまいました。意外と馴染んでしまったし、もうずっとこの名前かな。 note登録の理由 今までを振り替えると、T

          自己紹介【初投稿】