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ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』(古屋美登里訳、ハヤカワepi文庫)の感想

いきなりジャックが現れて私を支える。震える私の体をしっかりつかむ。車から私の体を持ち上げ、抱きかかえる。「父さん?」とジャックが真剣な声で言葉をかける。私は息子の腕の中でなす術なく抱えられ、言葉もなくひたすら息子の顔を見る。そして言う。「口を閉じていろ。いいな、ボーイ。静かにしろ。私はまだ生きておる」
本書p193「こんなところで死にたくない」から引用

 ヘミングウェイやマラマッドのそれと比べたくなるような短編集の名作『観光』。作者ラッタウット・ラープチャルーンサップはタイ系のアメリカ人で、高校で国語を教えている兼業作家であるそうだ。2021年の現在次回作の情報はないようだが、そのことが残念でたまらない作家である。

 『観光』の魅力は登場人物たちが「まだ生きていること」をまっすぐに肯定していることに尽きる。ハーフで観光客ばかりと恋をする少年の物語「ガイジン」、一家の大黒柱を失った家族の兄弟の一夜の経験を描く「カフェ・ラブリーで」、親友二人で徴兵のくじびきに参加する「徴兵の日」、母子家庭をおそう「事件」が休暇旅行にむかわせる「観光」、カンボジア難民の少女と少年の交流を描いた「プリシラ」、最愛の伴侶をうしない、車いすで不慣れなタイ暮らしをする老人の話「こんなところで死にたくない」、生きる手段をむしられていく家族の悲劇を少女の目を通して描く「闘鶏師」の全七編。どの作品も「おわり」を余儀なくおしつけられた普通の人間の反発、矜持、真心が描かれており、彼らが生きている「そのとき」に原光景のような輝きを与えている。

 表題作「観光」について書く。「ぼく」が北の職業大学に進学が決まった夏。彼は母とタイの有名観光地コー・ルクマクに向かっている。読んでいるとこれは単純な親孝行の話でも別れとはなむけの物語でもないことが分かる。母にこの先一生なおらない失明が予告されたのだ。

 旅行のあいだ「ぼく」の心は沈んでいる。自分が母を見捨てて北の大学に進学することは正しいことなのか、他のやり方はないか、おそらくそんなことを孝行息子は考える。そのことに母はいらだつ。女手ひとつで息子を育てた母はこれまでと変わらず息子を激励しようとするのだ。

 詳しくは本書を読んでほしい(この紹介も完璧な作品を台無しにしたうらみがあります)。母はこのとき「そのことをよく覚えておいて。大きな違いだから。まったく違うわ。」(p122-123)と、「悲劇」がもたらすおわりの物語を拒む。きっと私たちの心もお定まりの物語をこえまだ生きる。そのことがラープチャルーンサップの作品の感動の核にある普遍だと感じる。

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