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たかが犬のことと言わないで

我が家には今、愛する犬1匹と猫2匹がいる。

私たちはちょっと種族は違うけれど家族であって、『ペット』という感覚はない。

そしてこの子たちは元々みんな事情があり、人間のエゴの犠牲者だった。
この子たちそれぞれとの出会いにも訴えたい物語はあるのだけれど、今回は今はいない犬たちの話をしたいと思う。


7年前の冬のこと。

長野から千葉に移住し2年。
中古住宅を買ってコツコツとリノベーションしながら暮らしていたが、家のことでも大きくお金がかかった上に、車の修理や身内の病気なども重なり出費がかさんだ。

今年のクリスマスは節約ね。
そう言って家で料理とケーキを作り、夫とお互いプレゼントもやめた。
今はそんなことでお金を使ってる場合じゃない。

その頃は私もフルタイムで働く会社員、いつも家で寂しい思いをさせている我が家の超愛犬テディオにだけ新しいおもちゃとおやつを買って。
テディオはちょっとだけ喜んだけど、そんなことよりずっと一緒にいたいと言った。

テディオは子供の頃から感受性の強い子だった。
寂しいと私の目を睨みながら自分の腕を噛んで傷つけたり、私がイライラするだけで察してお腹を壊したり。
元々足に障害のある子だったけれど、それでも元気に育ってくれて、今では世界一じゃないかと思うくらい優しい子になってくれた。
尊敬すべき生き物だ。
でもその頃は、寂しい思いをさせていたのが苦しかった。


そんなクリスマス翌日。

仕事中に珍しく夫から連絡が。
隣町の犬のブリーダーが崩壊してけっこう時間が経っているらしく、その惨状をFacebookで見つけたと。
200匹近い犬たちが狭い檻の中閉じ込められたまま積み重ねられ、掃除もされない劣悪極まりない環境でエサだけ投げ込まれていたが、明日には全部保健所に連れて行かれて殺処分だという。

そう言ってきたということは、助けたいのだろう。
情報は一気に拡散され、現場には多くの人が犬たちを引き取りにきているらしい。

「いいよ‥連れておいで。」

いやこれはきっと賢い選択ではない。
てか何やってんだ。
うちも今色々大変だし、私は仕事で夜しか家に居られないし、夫は出張で週一しか家に帰って来ないのに。
でもとりあえず連れてさえ来れたら、明日も生きられる。
まずはただ明日の命を確保したかった。

結局夫は仕事を抜け出して、すぐにブリーダー現場へと向かった。
その惨状は想像を超えるものだったらしい。
多くの人が来ていたが、あまりの惨状に入れない人、飛び出して来て嘔吐する人、直視出来る状況ではなかったという。

「一番酷い犬を連れて帰りたいけど‥2匹いる。」

絶対誰にも連れて行ってもらえないだろう檻があったという。
他の檻の犬たちはまだ少しきれいで、毛が伸びず抜ける犬種だから洗えばなんとかなりそうだと。そしてそこからみんな貰い手がついていると。

そしてみんなが避けて通る、多分元々はトイプードルだろう塊のうち、生きているのが2匹。
必死に訴えて来てその前から動けずにいる。心が動けずにいる。
他の子は貰い手が付くだろうから、一番酷いのを連れて帰ると決めていたという。

「いいよ、2匹共連れておいで!」

ああ、明日からどうしよう。
てか今夜からどうしよう。
多分私たちは賢くないが、心の声に従った結果だ。後悔はない。
私も仕事どころではない、まずは毛をカットしてくれるところを探した。
市内、近辺10箇所電話して断られ。
そういう事情ならと閉店後に対応してくれた1件が本当に本当に有り難かった。

夕方急いで帰宅すると、庭に驚くほど物凄い悪臭を放つ塊がいた。


ねえ、ちょっと。
足はどれなの?お顔はどこなの?
そんな臭いで。今日まで。どんな思いで。

私は涙が止まらなかった。
ここから半年間、私はただの泣き虫になる。

犬たちはあの優しいトリミングサロンのおかげで、無事丸刈りとなり洗ってもらえた。
細い細い犬だ。
とりあえず家に入れて、急遽買ったサークルに入れた。
でも色々なことが一筋縄ではいかないとすぐに分かった。

目はうつろで視点も定まらない。
筋力がなさ過ぎて歩行もおぼつかない。
サークルの入口を探せる知能が育ってない。
ものが上手く食べられない。
相手が見えていないのかお互いを踏んでジタバタしている。
そして一番困ったのが、トイレという概念がないこと。
これはこの後ずっと私を悩ませる。

ただ、これで明日も生きていられるよ。
混乱して吠えて震えるこの子たちを抱き上げた。
戸惑って、固まって、ぎこちなく抱きついて、寝た。

彼らは抱っこを覚えた。


最初のプレゼントは名前にしよう。
クリスマスに名前をあげるんだ。

個性豊かなワンピースのキャラから取ろう。
神経質で繊細で不安定で、私にべったり絡みつく子はサロメ。蛇姫の大蛇のね。
そしてのんびり屋でマイペースでちょっとアホな子はベックマン。
シャンクスのとこの頭脳明晰ベン・ベックマンね、頭が良くなるように。

名前を呼んだ。
ぽかーんとして、でも嬉しそうに見上げる。

もうこの時点で愛してしまった。


そこから毎日、順調ではなかった。

問題は山積みだ。
そしてその問題に向かう時間も確保できない。
2匹分の病院やトリミングやケージやあれこれ、クリスマスどころの出費じゃない。
私はその頃、ただ自分の前を通り過ぎていくお金のために働いていたのに、また大きな負担が増えた。
そしてそれ以上に悩ませるのは、トイレ問題だった。

年齢は推定2歳〜9歳。
筋肉もないし、口の中もヘドロが溜まり前歯もないので年齢が特定しづらいらしい。
ただ長年トイレという概念がない状況下にいたのはわかる。
テディオのトレーニングみたいにははいかない。
つきっきりでトイレのタイミング見てないと。
でも私は仕事へ行くのだ。
早朝と帰宅後と夜中、汚れたケージと床と犬たちを洗った。毎日、毎日。
床にビニールを貼ったり、ケージを組み替えたり、毎日捨てる座布団を縫ったり。

でも次戻って見るときは汚物だらけ。
何もかもビリビリの時もある。

家を買って2年目。
悪臭のする部屋で傷んでいく床を磨いていたら、泣くつもりじゃないのに涙が出てきた。
そんな横で彼らはソファにオシッコをかける。


怒鳴ってしまった。
物凄い勢いで、大きな声で。
ケージを叩いて。

マイナスからのスタートで必死に健気に生きようとしてる彼らに。
私に抱っこしてもらいたくて必死な彼らに。
ご飯いらないから抱っこしてという彼らに。
一生懸命歩く練習して、名前を呼んだら嬉しそうにぶきっちょに走って来れるようになった彼らに。
また私という人間が恐怖を与えてしまった。

私は自分が情けなくて情けなくて泣いた。
テディオはそっとお腹を壊していた。


結局一部屋を犬部屋とし、全面クッションフロアを貼り、家具も犬仕様に換え、日中いないので夜は交代でそこに泊まりこみ、抱きしめて、話をいっぱいして、ひとつひとつやっていくことにした。


そのうち目は輝きを取り戻し、ソファにジャンプして上がれるようになり、歯磨きオヤツを食べ物と認識してかじれるようになった。
名前を呼んだら嬉しそうにして、まだおもちゃでは遊べないけど外で一緒に走って遊べるようになった。

ボールは見ていない。
私だけを見る。

ただ抱っこして欲しくて。



この頃トイレはまだ出来なかった。
なるべく庭での時間を多くしてお互いのストレスを軽くした。
部屋に敷き詰めたトイレシートにヒットしたときはお祝いした。
トイレシートでしてくれたことが嬉しくて嬉しくて、泣きながら笑って抱きしめた。
私の情緒はどうなっていたのか。
うまくいかないことばかりだ。
だけど今日もみんな生きているじゃないか。
これからだ、これからなんだ。

毎日泣いて、笑って、反省して、頑張って。
それは私だけじゃなかった。

彼らも必死だった。
一生懸命生きることを望んで、訴えて、生きて、成長しようと頑張って、本来無条件でいいはずの愛を得るために頑張って、頑張って成長してくれた。

週一しか帰れない夫も、帰れば犬部屋で犬のために過ごした。

そしてテディオ。
毎日いろんなことを考え、我慢を覚え、私を気遣い、苦手だった彼らの世話も見ていた。
そしてそっとお腹を壊す。

みんな闘っていたんだ。



結局200匹近くいた放置犬は、残り9匹というところまで引き取られたらしい。
そして残り9匹は、とあるNPOの人たちが奪うように連れ去ってしまった。
まだ引き取りたいという人が来てくれていたのに、問い合わせても何かと理由をつけて断られる。
その団体は、その犬たちの愛護を掲げて募金活動を始めた。
Facebookでは、心痛めた人たちからたくさんの募金が集まっていたようだ。
そしてまた適当な理由をつけて犬の引き取りを断り続ける。
‥資金源か。
どれほど人間というものは欲深く罪深いんだろう。
今度は怒りで泣けてくる。



まだぶつかっちゃうけど、走れるようになったね。

なんでぶつかっちゃうのよと笑いながら、歩けなかった日々を思い出して泣いた。
なんだよ犬って。
この子たちが来た日から私は涙が止まらない。

そして毎日泣いてドタバタを繰り返しながら、半年が経った。

もう草むしりの季節だよ。
だけどサロメはまだ私から離れられない。
しょうがないから休日は抱っこのまま草むしり。

もう完全に呪いの解けた顔をしている。
虚な目のモンスターじゃない。

ただ、まだトイレは難しい。
私たちに時間がなさすぎるのだ。
でも今は私も仕事を辞められない。
今は頑張らなくてはいけないんだ。

だけど、私も実際苦しかった。
早朝から犬の世話、汚物掃除と犬洗い、それから家事と出勤、仕事、帰ってまた繰り返し。汚物は踏み荒らしてしまうので、どちらかがすればすぐに対処しないと大変なことになる。
かと言って外に繋いで新たに奴隷みたいな生活だけはさせたくないし、狭い箱にも閉じ込めたくない。

自分が不調のときもある。
テディオにはずっと我慢させている。
サロメはこんなに愛情を求めて四六時中一緒にいたいのに、私が一緒にいてあげられる時間は一日せいぜい3時間程度。
この子たちには、家族が多くて常に誰かと一緒にいられる環境の方が幸せなのではないだろうか。

ただ必死だった日々が、葛藤の日々に変わった。


生き物と一緒に暮らすということは、一生面倒を見る覚悟。その日々を必ず幸せなものにするという誓いとともに。
当然、突然ではあったけどこの子たちにもそうだし、そして何より愛している。

だけど、それすらエゴかもしれない。

もうこの子たちはここで十分成長して人と暮らせるようになった。
もう彼らのこれからの幸せを考える時期ではないか。これからの犬生、どんな環境、どんな生き方が幸せか。
そのためには、ふさわしい家に里親に出すのがいいのかもしれない。

そんな話し合いをするたびに泣いた。
彼らにとってベストな選択をするつもりだ。
だけど手放すのはつらい、それに手放すって結局自分が楽になりたいんじゃないのって。
それらしいこと言って、私この子たちから逃げたいんじゃないの?
なぜ最期までずっとみてあげられないの?

私の感情はずっと乱れていた。


決めたら事は動くもので。

あれよあれよといううちに、それぞれ里親さんとのご縁があった。
しかも、素晴らしい人たちに。
神経質なサロメには、とても細やかで優しく愛情深いご家族が。
マイペースなベックには、とてもおおらかで優しく温かいご家族が。

私たちはこの瞬間のために頑張って中継ぎをしてきたんじゃないかと、これからが彼らの本当の犬生なんじゃないかと、それを繋ぐことができたと報われるくらい、それぞれにぴったりの素晴らしい里親さんが見つかった。

感謝しかない。
感謝しかないのに、別れの日が近づくたびに泣いた。
車の中でも、仕事中もツツーっと涙が流れてくる。
バカみたいに。
私はずっとバカみたいに泣いてばかりいて、帰ったらまた掃除をしながらバカみたいに泣いて、彼らを抱きしめて、ごめんねって思い切り泣いた。
ごめんね、最後までみてあげられなくて。
それが凄く苦しかった。
そんな私を彼らは責めなかった。
優しく舐めて慰めた。



別れが近づくある日の夕方。

庭で犬たちにご飯をあげていたら、その間を通って蹴散らかす勢いで、小さなギャングたちが現れた。


フゥ〜♪と言いながら不良みたいに現れて、犬たちにシャー!と威嚇したらモーゼのように道は開きまっすぐに夫の足元へ。

まさか。

この後まさか猫たちの物語が始まるの?
まだ大変だった日々が終わる寂しさの着地点も見つけられてないのに?

もう、これから我が家に起こるだろうことを思うと笑えてきた。
大変だよ、また。

よりによって猫嫌いの夫と猫アレルギーの私の元に。
なんの迷いもなくここに決めたという。
というか、決まってたみたいな。
ああやっと着いた、みたいに。

翌日近所を聞き回ると、どうやら捨て猫らしい。
保健所に連絡したらとか、山に捨てて来てあげようかと言われた。

ああ、今度は私たちと猫たちの物語が始まるんだな。
2匹去って2匹来る。
もう運命でしょう。

重なった時期の、わけわからない犬2と猫2とテディオとの生活はそれはまあてんやわんやで、大変だけど楽しくていっぱい笑って、なんていうか、幸せだった。

捨て猫でもこんなに幸せになれるということ、奴隷のような地獄から来てもこんなに幸せになれるということ、生まれにハンデがあってもこんなに幸せになれるということを私は証明したかった。
彼らはペットなんかじゃない。
彼らは私だ。



数年後。

サロメ、新しい名前はマリブの里親さんが結婚して、教会の式でリングドッグを務めたという。
結婚指輪を持って、自分ひとりで誓いの場まで届けるの。

あのまともに歩けなかった子が。
出口を探す知力もなかった子が。
あの子が、大好きなあの子が。


“物語には続きがある。
最悪のところで終わらせちゃいけない。”

こんなに愛されて、こんなに安心した顔して、こんなに頭良くなっちゃってさ!
膝から崩れて涙が止まらない。
誰かの幸せが自分にとってこんなに幸せだなんて私は知らなかった。
彼らがもたらしてくれたものは確実に幸せだ。
彼らと向き合い、ひとつひとつ声をかけて育て直した日々は、同時に自分を育て直す日々だった。

あの地獄から必死に生きたいと訴え、毎日をひとつひとつ生き直した。

私は彼らを心から誇りに思う。

そしてこんなに幸せな顔にしてくれた里親さんたちには感謝しかない。
心から末永い幸せを願う。


ちなみにベックマンは、祖母・母・娘の家族で唯一の男として頼りにされ、5歳の娘さんにチョコという新しい名前をもらった。
ひとりっ子の娘さんは、さっそくお姉さん風を吹かせて生き生きしてるって。
リードを付けたら目を瞑って座り込んでしまうから、お散歩の練習では帰り道いつも抱っこだったのに、新しくできたお姉ちゃんとお気楽にプラプラ歩いてるって。

似顔絵を描いて送ってくれた。


笑っちゃうよ。笑いながら泣いちゃうよ。
嬉しすぎて顔は笑ってるのに、涙だけ止まらないの。
新しい名前、新しい家族。
これからがほんとうの犬生だよ。
これからキミたちに降り注ぐ喜びを、全部あたりまえの顔で受け取って。



最悪のところで終わらせてたまるか。
そう踏ん張った日々が、今は愛おしい。



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