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同じ、でない。けれど、

人の歩いた道に、興味ある。

歩道とかあぜ道、みたいなことじゃなくて。

足跡、軌跡、経験、その人の生き方、人生譚、武勇伝。そういうもの。
大きさ、スケール、重厚感、関係ない。
むしろ、小さい程より身近で、生活感、というか日常的な気がして、寄り添えるというか共感できて、個人的に好き、かな。
どでもいいか。

例えば、谷川俊太郎さん著の、『ひとり暮らし』の中の、ゆきあたりばったりという項に、近くの韓国料理店に行って、あれこれおかずを食べたとか。最後にキムチご飯も食べ、デザートにはゆず茶で胡麻クッキーも食べたとか。言い忘れたがその前に韓国ふう塩辛も食べて、でもそれが辛くて食べきれなかったから、プラスティックの容器に入れてもらって持ち帰った、とか。これをスケールが小さいとか何とか言うの、谷川俊太郎さんに怒られてしまうかもしれないが、そんな日常のある一遍を切り取った様な話が、その人の時間をそのまんま感じられる様な気がして、なんか心地よいと僕は思う。
あと、個人的にはこの、プラスティック、という言い方。プラスチック、じゃなくてプラスティックなのが、なんか好き。
どでもいいか。

ただ、この気持ち、ひどく身勝手だと思うことも、ある。僕の気持ちって、僕が感じている気持ちでしかない。だから、誰かの過ごしていた時間の、その時感じていたその人の気持ちと、全く一緒の気持ちになることは、絶対にない。要するに一方的、非相互的?、、んー、。
なんていうか、相手がグローブをはめてるからって、ボールを投げても大丈夫な訳じゃない、っていうか。その人は、グローブをはめてるだけであって、ボールを受け取る準備をしていないのなら、そこにボールを投げつけるのは、何だか身勝手じゃないだろうか…?

…とか考えてる。
なんか話が逸れた気がする。というか、何か伝えたいことと違うことを言っている気がする…。
んーーー、、話し難し。いと、話し難し。

道を知る、ということはやっぱり面白いと、ぼくは思うしそういう事を見たり聞いたりしておくと役に立つ事、あるんじゃないかな。

最後に、
これは試み。
不器用な、試みなんだ。

https://www.amazon.co.jp/ひとり暮らし-新潮文庫-谷川-俊太郎/dp/4101266239/ref=mp_s_a_1_1?dchild=1&keywords=ひとり暮らし+谷川俊太郎&qid=1610786919&sprefix=ひとり暮らし+たに&sr=8-1

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