世論とは巨大なメンヘラである

 メンヘラ。実に曖昧な言葉だ。崩壊した家庭環境で育った人はメンヘラだし、甘やかされて育った人もメンヘラだ。というか、誰にでも当てはまりそうだ。勿論かく言う私もメンヘラを自称している。私はいじめられている過去に未だに悩まされているし、その上自傷癖(拳を自分の顔に叩きつけるというもの。なので鼻の骨が曲がっている。)もある。まごうことなきメンヘラだ。
 昔、大学1年生の頃にフォロワーとオフ会をしたことがある。その時、私を会に招いてくれた男がこう聞いてきたものだ。
「あなたは精神科に通っていない。薬もやっていない。大学にも通えて、サークル活動もしている。何故メンヘラを自称しているのですか?」
 男は単なる興味で聞いてきたのだろう。だが、この言葉は当時いじめられていた記憶からまだ醒めやらぬ私自身のメンタル、ひいては自傷の激しさでメンヘラ度を競い合う当時所属していたメンヘラ界隈の風潮から、私の耳には多少のプレッシャーを伴って聞こえた。
 「僕、スクールカウンセラーに通ってます。」即座にこう返すと、男は「おお!それはメンヘラだ!!まごうことなきメンヘラだ!!」と感心したように繰り返した。そう、私はメンヘラなのである。
 
 ところで、メンヘラとはある特定の人間にしか現れないものなのだろうか。そうではない。と、私は断言する。日本社会を見てほしい。特にメディアにて顕著だ。有名人や政治家の一部の発言をあげつらい、拡大解釈し、そして批判する。メディアに踊らされる私達もそうである。それを見て怒り狂う。慌てふためき、謝罪する政治家たち。私は時々思うのだ。もしかしたら世論とは、巨大なメンヘラなのではないかと。そして世論を相手にし、おだて、振り回される政治家たち、自民党は、巨大なメンヘラを相手にする、巨大な彼ぴっぴ/彼女ぴではないのかと。

 この画像を見てほしい。我らが彼ぴっぴ・菅義偉である。

 菅義偉のインタビューで覚えているシーンがある。マスコミの質疑応答で彼が珍しく「何を言っても怒るじゃないですか!」とやや感情を露にしているものだ。彼の気持ちが痛々しく伝わった。そうなのだ。彼は、世論という巨大なメンヘラを相手にしているのだ。見たまえ。彼の疲弊した顔を。それを見てネタにする、醜き日本の大衆(メンヘラ)たちを。




 ※ところで、この記事では「メンヘラ」を「1か0かで判断する情緒の不安定な人々」というフンワリとした意味合いで使っている。意味合いになってない箇所もあるかもしれない。
 

 

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