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雑記:5月3回目の3連休

今月は、例年の月初と月末のバンクホリデー(祝日)に加えて国王戴冠式もあったということで、3連休が3回もありました。とはいえ、私の仕事は週末も祝日もあまり関係ない上に、仕事が減ったのと、怪我をしたのとで、いわば今月丸々ろくに働いていなかったりして。

ユダヤ教のお葬式

大好きだったクライアントのジョーさん(仮名)のお葬式に少し前に行ってきました。ユダヤ教のお葬式、というか日本式以外のお葬式が初めてで勝手がわからず少し焦ったりもしたのですが、案ずるより産むが易しでした。

まず、ぜひお葬式に来て欲しいと呼ばれて困ったのが服。黒は着ないのよ、と言われていたものの、そもそもヨガウエアとダンスウエアと乗馬ウエアとカジュアルな色柄物トップ&ワンピースが全体の98%を占める私のワードローブ。黒じゃない地味な服がない、、、と焦ったものの、よくよく聞いてみると黒でもいいけど、黒じゃなくてもいいということらしい。その昔、なにかの間違いで日本人なら誰もが知っている大手企業のロンドン支社に採用された(といっても試用期間中に玉砕した)時に買った、黒いスカートと黒いトップに、黒いアンクルブーツで参加しました。現地に着くと、半分以上の人は地味な無地の服だったものの、中には柄物ドレスや赤いネクタイやスカーフ、シルバーの靴など、みなさん思い思いの服装で、100人近い参列者のうち、あいわゆる喪服的な服を着ていた人は数えるほど。

シナゴーグ(会堂)で聖職者ラビによる祈祷と説法、家族による故人を忍ぶスピーチ、その後、隣接された墓地での埋葬となりました。参列者にも経本を手渡されていて、ラビの祈祷を聴きながら経本を目で追い、所々で詠唱をしたのですが、やっぱりどんな宗教でも真意は同じだなと改めて思ったのでした。とてもシンプルかつ笑いあり涙ありの、まさにジョーさんの人柄を思わせるとてもとても素敵なお葬式でした。

1番の衝撃はやはり埋葬でしょうか。棺が深く掘られた穴に置かれ、その上にまずは家族から土をシャベルや手で被せていくのですが、あの土が棺にぶつかる音はなんとも言えないものを感じました。日本式のお骨を骨壺に入れる儀式も遺体を埋葬するのが通例の人たちからしたらまた独特なものなのでしょう。ジョーさんはうんと前に亡くなられた配偶者のすぐ隣に眠っているので、今頃きっとまた手をつないで仲良く過ごしていることでしょう。

その後は、場所をジョーさんの自宅に移して、ケーキと紅茶をいただきながら、シナゴーグでのものよりカジュアルな様式でのラビによるハウス祈祷。週2で通っていたこの家に、当のジョーさんがいないことがとても不思議な感じでした。

お葬式の翌日、いつもならオンラインでのヨガクラスをした後に、慌ててジョーさんのお宅へ向かっていたのですが、「あ、もう慌てなくていいんだった」と思ったときに、ずーんと寂しい気持ちになったのでした。

負傷した左足首その後

私の記憶の中では、捻挫してもテーピングをすれば数日後には普通に動けているという10代(!)の記憶が根強く残っているので、2週間を過ぎてもまともに歩けないというのはどうしたっておかしい、とかかりつけ医に取り合って、再度レントゲンをとってもらいました。

結果は骨に異常なし。
それならもう痛いのなんて無視してどんどん動くのだ、と思ったのも束の間、負傷後丸3週間たって、とりあえず馬にも乗れたし、杖なしで近所のスーパーに行けるようになったし、もうすぐバレエ復帰もできるんじゃと調子に乗ったら、あっという間に痛いし腫れるし熱持つし。明後日は、グラインドボーン・オペラフェスティバルに連れてってもらうことになっているのに、このままじゃドレスにビルケンストックのサンダルになってしまうと、せっかくの晴れた3連休だというのに、仕事の土曜はさておき、日曜月曜は家でじっとしています。

しかし。いくらぐうたらな私とはいえ、身体を動かせないストレスはなかなか辛い。怪我は確実に良くはなってきているものの、リサーチをすればするほど、どうやら復活への道は長期戦になりそうだということが明らかに。

仕事柄、クライアントのみなさんには、○○がリハビリにはいいですよ、なんて言っていたものの、当事者になってみると「頭ではわかっているけどさ、、、」と言い訳を探してしまう。家でコツコツと出来る私ではないので、荷重をせずに体を動かすにはもってこいの水泳をと、まずは水着と帽子とゴーグルを注文しました。

プールは、あの独特の匂いが付くのが嫌なのと、衛生観念が怪しいこちらの人々が使うプール(怖)というのがあって、泳ぐのは好きなんだけどプールはちょっと、とずっと(そしても今も)思っていたのですが、背に腹は代えられません。身体は動かさないと動かなくなるし、筋力の落ちるスピードは半端ないので、もはや足首に負荷がかからない程度のヨガでは追いつかないのです。

本当は毎日馬に乗れる経済力があれば一番なのだけれど。今からがんばったら、自馬と暮らせるようになるかしら。

馬といえば

先週、怪我後初の乗馬をしてきました。正直なところ、怪我した左足の扶助はまともにできないし、もともと改善の余地がありすぎる騎乗バランスが、鎧に頼れないこともあってヨレヨレ。でも本当に行ってよかった。

この日の相棒はコブホースのハリー。ハリーは、不機嫌な頑固じじいながら、さすがはベテラン。人を試すことはしても、暴走したりという予想不能なことをしない信頼できる馬です。

この日はとても暖かったので、そこまでウォーミングアップをする必要もなかったものの、かなりの時間を常歩に費やし、「今日は骨盤扶助メインでしかできないので、こんな感じで行きますけど、大丈夫ですかね?」とお伺いを立てたのでした。

いい感じになってきたところで、軽速歩をしてみたものの、やっぱりどうしてもうまく立てない(体重を足にかけられない)ので、正反動一択。実は私、普段は正反動のほうが楽に感じるのだけれど、そもそも膝の故障もあってしばらく乗っていなかったのに加えて、足首の怪我で身体全体のバランスが崩れまくっていたのとで、力の抜き加減がわからなくなってしまい、お尻が跳ねまくり。それでもハリーは文句をいうこともなく、しょーがねーなーとでもいうかのように合図に答えてくれたのでした。

だいぶ勘を取り戻したところで駈歩へ。怪我以来、かたつむりペースでしか歩けなかったこともあって、駈歩のスピード感は楽しすぎました。怪我した足が内方になる左手前はさすがに痛くてうまく乗れなかったものの、右手前はハリーとの息もいい感じに合って、永遠に走り続けていたいくらいの気持ち良さ。

最後にストレッチをしながらクールダウンして、最後の難関、下馬です。片足着地も考えましたが、そもそも左足首捻挫に右膝半月板損傷と、全体重を支えられる脚がない、、、ということで、踏み台へハリーを誘導しました。とはいえ私には馬を止めたい場所にぴたっと確実に止めるなんて技量はないので、下馬時の多少の無理はしかたないかと思いきや、なんとハリーは、私が足に負担をかけることなく踏み台に降りられる絶妙な位置に止まってくれたのでした。これぞ馬の愛の深さ。

昨日のダービーに出走した馬の1頭が急性心不全を起こし、入線後に騎手を下ろしてすぐに倒れ、亡くなったという悲しい出来事がありました。20年前の天皇賞でのサイレンススズカも然り。それ以外にも、馬が騎手を守ったというのはいくつも聞いたことがあります。本当に馬の愛の深さには頭が下がります。

バッハ無伴奏チェロ組曲

グループレッスン脱落以降、チェロの音色を愛おしく思う気持ちや弾きたい気持ちは日々強くなるものの、チェロの練習を全くと言っていいほどしていませんでした。おまけに室内の湿度が除湿器を使っても一向に下がらず、楽器をケースから出してスタンドに立てっぱなしにできない日々が続き、そのままずるずると。

湿度がようやく落ち着いてきてしばらくたった数日前、ようやく意を決して楽器をケースから出しました。出来上がってまだ数ヶ月の私のチェロは、いまだにケースから出すとニスのいい匂いが部屋に充満します(あんまり使ってないからさらに)。

そしてそれからさらに数日が過ぎ、ようやくチューニングをしてから、シェアハウスの自宅で弓を使う勇気がまだ出ずに、ピチカートで音階練習を少ししました。楽器を、音色を、愛おしく思う気持ちが練習に結びつかないのはどうしたことか。足元がまだまだ不安定なので、チェロを背負ってスタジオに行く自信もなく。大奮発して買った練習用「W mutes」をつければ自宅練習もそこまで音が出るとは思わないのだけれど、そしてこれはもう自意識過剰でしかないのだけれど、マスオさんのバイオリン並みの音を聞かれるかと思うと、、、ね。

いつまでたってもそんなレベルだというのに、WENTZINGERのバッハ無伴奏チェロ組曲の楽譜を入手してしまいました。これを今世で全部弾けるようになれたらいいなと、実現可能かどうかも怪しい目標の元に。

で、手元にあるマリオ・ブルネロさんのバッハ無伴奏チェロ組曲を聴きながら楽譜を目で追ってみたものの、人生をほぼ聴専(しかもロックばっかり)で過ごした私には、速過ぎて追えない。。。もはや弾く以前の問題ですが、ヨーヨー・マが子供の時に1日1小節ずつ練習したといっていたのを信じて、といっても私の場合は1ヶ月1小節とかになりそうだけど。というかその前にマスターすることが山ほどあるので、全部とは言わずとも1曲でも死ぬまでに弾けるようになったらいいなと思うのです。

大学学費ローン

こちらでは国が貸与する学生ローン(日本でいうところの貸与奨学金?)を学生本人が受けて進学するというのが一般的です。これは借りたそばから利子が発生するのですが、一定額の収入が得られるようになるまでは返済する必要がなく、返済額も収入に応じてその都度計算された上で変動、一定期間(私の場合は40年)で返済しきれなかった分に関しては返済義務がなくなるという仕組みになっています。(詳細はその年によって、また各人の状況によっても変わるようです。)

大学側に入学の意思を伝えたらすぐに、初年度分の学生ローンの申し込みをするようにと指示がありました。私は永住ビザを持っているので、英国籍の人と同じく国のローンが受けられます(というかこれがなければ大学進学なんて考えられなかった)。

申し込みサイトの画面を進めていくうちに、初年度でいくら借りることになるかという金額が提示されます。これは、実際の学費分のローンとメンテナンスローンとよばれる生活費(といってもこれだけでは食べていけないので家族の援助がなければ仕事は必至)のローンとなるのですが、単純に考えてもこの金額の3倍の借金を、人生折り返し時点すぎて背負うことになるというのは、なかなかに恐ろしいものです。最後の申し込みを確定させるボタンをクリックするのに、しばし「本当にいいのか、、」と固まってしまいました。

そこそこ無理のない返済規程になっているので、返済できるかどうかという心配はしていないのですが、気持ち的には結構なプレッシャーだなと、申し込みをしてみて初めて気づきました。40年後には生きていないかもしれない可能性がそこそこある私の年齢ならともかく、20歳前後でこのプレッシャーを背負う若者たちはどうなのかしら。

私は、返済しきれない可能性がなかなか高いので、卒業後にちゃんと世の中の役に立てるように勉強に仕事に(遊びにも)がんばるのみです。それまでは、隙を見てはだらけていようかな。笑




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