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ロンバケ、寺尾聰が席巻した1981年。 シティポップ最盛期の名曲プレイリスト Vol.1

1981年シティポップのプレイリスト第1回目。1980年に蒔かれたシティポップの種は見事に花開き、最盛期を迎える。
寺尾聰の『Reflections』、大滝詠一の『A LONG VACATION』が年間売上の1位、2位を独占。シティホップ的な音作りは主流に躍り出ると共に、今では当時注目されなかった作品が海外で発掘もされ百花繚乱。そんな1981年の名曲20をプレイリスト化した。


1981年シティポップ名曲20プレイリスト

1981年の全米チャート年間1位は?

7月26日、元イーグルスのベーシスト、ランディ・マイズナー(Randy Meisner)が亡くなると言う訃報に接して茫然とした。
その彼がイーグルス脱退後にソロで放ったシングルヒットが1981年のHearts On Fireである。グレン・フライドン・ヘンリーの陰に隠れて地味な存在だったが、自分は彼のことが好きだったから脱退後の去就が心配であった。
この曲は1981年に全米19位まで上がるスマッシュヒットになったので、ほっと胸を撫で下ろしたのを思い出した。

そしてその前のシングルDeep Inside My Heartは、女性歌手キム・カーンズ(Kim Carnes)とのデュエットソングであった。

このキム・カーンズBette Davis Eyesこそ、1981年の全米年間チャート1位に輝いた曲で世界を席巻したのである。9週間という長きに渡り全米チャートでトップを飾り、翌年のグラミーでは年間最優秀レコードと最優秀楽曲賞を受賞した。

井上鑑の存在

シティポップの金字塔『Reflections』

1.ルビーの指輪/寺尾聰 
2.HABANA EXPRESS/寺尾聰

そして日本の1981年に目を移すと、この年のシングル年間1位となったのが1981年2月にリリースされた寺尾聰ルビーの指輪である。(3月30日のオリコンチャートで1位を獲得。 番組『ザ・ベストテン』では12週連続1位という最長記録を樹立した)
この曲を含むアルバム『Reflections』はパラシュートの面々と共に制作され、紛れもないシティポップの金字塔となる。
(この映像にはメンバーの今剛 (G)の姿も確認できる)

1980年からシティポップの世界で演奏面において大きな役割を果たしたパラシュート、そしてそのメンバーでもあった井上鑑については、以下の記事にも記載した。
パラシュート(PARATHUTE )は元ティンパンアレー林立夫に、今では夏木マリの旦那として知られる斎藤ノブ、名ギタリスト松原正樹マイク・ダン今剛安藤芳彦、そして後から参加した井上鑑からなる日本版TOTOを目指したミュージシャン集団である。

井上は1981年、寺尾聰の『ルビーの指環』、同アルバム『Reflections』で第23回日本レコード大賞編曲賞をも受賞した。

シティポップの名前の通り「都会」的な側面が『Reflections』だとすると、もう一つの側面の「リゾート」を表現したのが同年に発売された大滝詠一の『A LONG VACATION』だろう。
Reflections』は1981年の売上トップに輝き、2位となったのが『A LONG VACATION』。井上鑑はこの1981年を代表する1位と2位の両作で重要な役割を果たしているのである。
井上はそれまでS・O・S以降のピンク・レディーのレコーディングに参加、ツアーメンバーにもなっていたが、編曲家として名の知られた存在ではなかった。『Reflections』はスティーリー・ダンの『Gaucho』のような音作りを試そうと考え、寺尾も賛同してレコーディングしたという。

自分は当時は石原軍団に属していた俳優の寺尾が作る音楽は、歌謡曲と誤解し真剣に聴き込むことはなかった。
しかし、このHABANA EXPRESSを聴くと、それは誤解に過ぎす、上質なフュージョンサウンドそのものだった。
映像は25年ぶりに再録した「Re-Cool HABANA EXPRESS」。ヴィニー・カリウタがドラムで、パラシュートの井上鑑 がキーボード、今剛 がギター。

大滝との関係を語る井上鑑。

3.HOTEL PACIFIC/ブレッド&バター

そして井上鑑参加作品でもリゾート的な側面のシティポップの代表格が、兄弟デュオ、ブレッド&バターである。
1981年7月リリースの「PACIFIC」パラシュートと共に作り上げたCITY POP名作。そしてHOTEL PACIFIC呉田軽穂 (松任谷由実) が作詞し、後にサザンでもお馴染みになったパシフィック・ホテル茅ヶ崎を取り上げた。
ブレッド&バターは生粋の茅ヶ崎育ちで、メンバーはパシフィック・ホテルでのバイト経験もある。
幼少時に鎌倉に住んでいた自分は、親の車で鎌倉から箱根に向かう途中に、不気味に佇む茅ヶ崎のパシフィック・ホテルを見ると怯えたものだ。
この後2000年にはサザンにも歌われて、かなり大衆的な存在になったが。。
実はこのホテルは加山雄三の所有で1988年には廃業、後には巨額の負債を抱えて倒産するのである。

大滝詠一『A LONG VACATION』

そして井上鑑も参加した『A LONG VACATION』は、前年の1980年4月から断続的に録音され、遅延した上で発売されたのは1981年3月21日だった。
同日にははっぴいえんど時代の同僚である細野晴臣が率いたYMOの問題作「BGM」も発売。

自分は前年の1980年に大学入学を果たし、1年が過ぎ2年生に進学するのは間近だった。
入学した年の夏には海辺の街でアルバイトしシティポップ的な音楽に開眼、
正月と春休みにはスキーバスでスキーを楽しみ、春休みには運転免許を取得し、典型的なお気楽キャンパスライフをエンジョイしつつあった。

当時の大滝詠一の日本におけるイメージといえば 、YMOの細野晴臣とともにはっぴいえんどのメンバーであったということ。そしてCMソングの作家として、三ツ矢サイダー等の作品を残していることくらいのマニアックな存在だった。
当時YMOの熱狂的なファンであった自分は、細野のいた伝説的なバンドはっぴいえんどの再会的なアルバムとして、彼の新作を心待ちにしたものだ。
ドラムを担当し、既に作詞家として成功していた松本隆の全面的な参加、そして鈴木茂と細野も参加していたので、YMOやはっぴいえんどと通じる内容を期待して買ったのかもしれない。
が、記憶を辿ると当時愛読していたPOPEYEに大滝詠一が筆者として時折登場しており、その影響もあったようだ。

4.カナリア諸島にて/大滝詠一

夏の訪れを予測するように爽やかなイラストのジャケット。
永井博によるものであるが、このジャケットにより日本のシティ・ポップが可視化された瞬間でもあると言えよう。

実際にはリゾート的な曲はカナリア諸島にてのみで、さらばシベリア鉄道のような極寒を描いた曲もあった。
実際に松本大滝のロンバケの最初の打ち合わせで大滝が永井博のイラスト集を見せ、そして最初に出来上がったのがカナリア諸島にてだという。

ロンバケの発売後の動きを見ると、5月の時点では10万枚に達した程度だったが徐々に売上げを伸ばし、8月に入ってチャート2位まで上昇するという動きを示している。
まさに、真夏のサウンドトラックとして、ポパイ世代を中心に広がりを見せていく。
この辺りの秘話は現場で共にしていた川原伸司氏の話が面白いが、特にロンバケが「All Things Must Pass」の音作りを参考にした話は傾聴に値する。

そんな大滝のアルバムを発売記念のライブが、6月1日新宿厚生年金会館ホールで開催されたが、メガセールスに達する以前でこのキャパで一回のみ。
今となっては超レアな大滝のライブだが、幸運にも自分はこのライブを目撃することができている。
2階席なので全く気づかなかったのが、上原裕鈴木茂村松邦男吉川忠英などアルバム参加ミュージシャンを従えた豪華なものだった。

5.恋のハーフムーン/太田裕美

このライブにゲストとして登場していたのが太田裕美で、コンサートについてはあまり記憶がないのだが、彼女が出たことは印象に残っている。
ここで大滝と松本の作品、恋のハーフムーンを披露していた。
さらばシベリア鉄道は太田に書かれたもののセルフカバーとして本作に収録され、恋のハーフムーンもロンバケ同日の3/21に発売されており密接な関係だった。太田と言えば、代表曲の木綿のハンカチーフは松本の作詞によるもので、その関係での人選なのか。

6.恋するカレン/大滝詠一

1981年6月21日には恋するカレンがシングルとしてリリースされる。
君は天然色カナリア諸島にてと同様に一発録りだが、アコースティック・ギターやパーカッション、ピアノなどが何層にもダビングされている。スペクター・サウンドの再現を目指した本作だが、特にこの恋するカレンがウォール・オブ・サウンドを見事に再現している。ハル・ブレイン的なドラムを見事に再現しているのは、元シュガーベイブの上原裕である。

上原裕も出演した恋するカレンの再現映像

大滝詠一と松田聖子

7.風立ちぬ/松田聖子

突然時の人になった大滝だがさらに彼の名が知れ渡るのは、松田聖子への楽曲提供。
風立ちぬは1981年10月7日にリリースされ、ストリングスのアレンジには井上鑑が起用され、カナリア諸島にてに類似したサウンドが展開される。
本作により大瀧は作曲家として初めてチャート1位を記録する。
鈴木茂、村松邦男、吉川忠英、安田裕美、大浜和史、井上鑑、長岡道夫などロンバケ参加ミュージシャンがバックを担当した。

8.いちご畑でつかまえて/松田聖子

同名のアルバム『風立ちぬ』のSide-Aは大瀧のサウンドプロデュースによるもの。大滝はロンバケと“対”になるように制作したと発言しているが、中でもFUN×4と対になるいちご畑でつかまえてが白眉。両者は同じテンポで、上原裕(D)、長岡道夫(B)、鈴木茂村松邦男(G)など同じミュージシャンで録音された姉妹的作品。

9.いちご畑でつかまえて/大滝詠一

2023年3月21日発売の『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK/NIAGARA ONDO BOOK』のDISC 1『NOVELTY SONG BOOK』に大滝のセルフカバーが収録された。2020年のアルバム『SEIKO MATSUDA 2020』のCD版には、この曲と「FUN×4」を大瀧自身の手によって掛け合わせた楽曲「いちご畑でFUN×4」が収録されている。

10.風立ちぬ/大滝詠一

1981年12月3日に渋谷公会堂で行われた「ヘッドフォン・コンサート」からのライブ音源。「今日歌ったらもう一生、二度と歌う事はない」というMCを添えてセルフカバーしている。

1981年シティポップ名盤

11.花いちめん夢いっぱい/須藤薫

さて、君は天然色は当初須藤薫のために書かれた曲であることは1980年、 シティポップ元年の名曲プレイリスト Vol.2で紹介した。
1980年の須藤薫あなただけ I LOVE YOUを1st Step、太田裕美さらばシベリア鉄道を2nd Stepとして、翌年のロンバケに辿り着くのだ。

この年1981年7月に須藤薫は女性版『A LONG VACATION』とも評される、名作『PARADICE TOUR』をリリースする。
花いちめん夢いっぱいの作曲は後に大滝とコラボする杉真理、編曲は松下 誠
BUZZの二人に松下誠、須藤薫によるコーラス・ワークが素晴らしい。

12.FIRST LIGHT/松下誠

13.Love was really gone/松下誠

そしてこの曲の編曲を担当し「A LONG VACATION」にもギタリストとして参加した松下誠のデビュー作が9月にリリースされた『FIRST LIGHT』。
ブラジルのエジ・モッタによるシティポップ名盤のベスト1に選ばれたほど、海外での再評価が高い。
松下が当時はAORの最盛期でしたし、僕もまだ若くて様々なアーティストから影響を受けていました。手本にした作品と聞かれると、これもあまりにも多すぎるの困るのですが、あえてあげればエアプレイスティーリー・ダンペイジズジェイ・グレイドン等のアーティストの作品でしょうか」と語るように、当時日本には珍しい本格的AOR仕様の名盤だった。

RVC AIR RECORDSから1981年に発表され、あの小杉理宇造が独立後にアルファレコードの関連会社として1982年に設立されたmoon recordsの最初の作品として再発される。moon recordsには後には山下達郎がRVCから移籍し1983年には「MELODIES」がリリースされる。村田和人、竹内まりやなども所属した。

前年の1980年にRide on Timeのヒットでメジャーの仲間入りした山下達郎だが、この年はツアーが多忙で作品はリリースしていない。

RVCの歌姫達

さてその山下だが小杉氏も絡んだジャニーズ問題の舌禍騒動で、一部からは老害ミュージシャンのレッテルを貼られてしまう。その原因となったサンデーソングブックの翌週、翌々週には『極私的・坂本龍一追悼特集』をオンエアー。ジャニーズと関わり合う前、お金には縁遠かったが、妥協なく音をひたすら追求した若き日の2人の友情が語られた。
(実際にはこの年1981年に近藤真彦に恋の NON STOP ツーリングロードを楽曲提供し、翌年にはハイティーン・ブギを作曲しジャニーズとの関わりが始まるので、この時期が分水嶺と言える)

本当に坂本君とは、ほんとに仲良かった時代がありますので。
(中略)
彼の名前をですね、ずっと継いで語って言い続けていきたいと思います。
政治的な信条とかは少し違ったことはありましたけど
でも彼が友人であることに何の変わりもありません。
と最後は山下節で締め括られたが、例の騒動の時とは打って変わり、若き日の思い出を語る彼は良かった。

「坂本君と最初に出会ったの1975年の」と語られたが、この頃の彼はRVCに所属しており、小杉氏もRVC所属のディレクターだったのである。その辺りの経緯は以下の記事に詳しい。

そしてこの頃のRVCには綺羅星の如く、素晴らしい女性シンガーが所属しており、今のシティポップブームの中核を成している。
山下の妻(竹内まりや)、後輩(EPO)、同僚(大貫妙子)の3人の1981年の名曲をセレクト。

14.恋人達の明日/大貫妙子

AVENTURE』は1981年5月21日にRVCから発売された。『romantique』のヨーロッパ路線を踏襲し、YMOのメンバーが参加している。
放送ではYMO結成後の坂本とは縁遠くなったと語られたが、この時期では珍しく山下と坂本が共同作業をし、素晴らしい成果を結実させている。
坂本龍一によるテクノポップ風アレンジ、そこに山下のコーラスアレンジが重なるのは珍しい。コーラスには竹内まりやEPOといったRVC所属のミュージシャンが参加している。
坂本以外に高橋幸宏大村憲司松武秀樹とYMOの盟友が演奏に参加。
テクノ×シュガーベイブ風のミックスはいい意味で違和感があり画期的。

15.真夜中にベルが2度鳴って/EPO

81年5月より『オレたちひょうきん族』のエンディング・ソングとしてDOWN TOWNが起用されたことでEPOも一挙にメジャーシーンに躍り出る。『JOEPO〜1981KHz』はミニ・アルバムとして1981年9月21日発売。
真夜中にベルが2度鳴っては、山下が『MOONGLOW』のレコーディング時作った曲にEPOが詞を付けたもの。コーラスは山下、大貫妙子竹内まりや吉田美奈子という豪華さ。
上原裕がDrums、田中章弘がBass、難波弘之がPianoと『MOONGLOW』のレコーディングメンバーが演奏。

16.身代わりのバディー/EPO

EPOの作詞・作曲。この曲でも山下は編曲、コーラス、ギターに参加。ドラムは青山純、ベースは伊藤広規ではないだろうか。コーラスには大貫妙子も参加。

17.NATALIE/竹内まりや

休業直前にリリースされたRVC時代のラスト・アルバム『PORTRAIT』より。そして半年後には山下達郎と結婚する。
アルバムにはDrumsに青山純、Bassに伊藤広規と前年のRide On Timeから山下バンドのレギュラーリズムセクションとなった2人も参加し、山下本人もGuitaとコーラスで参加し、作編曲にも関わった。
NATALIEは竹内とも縁深いセンチメンタル・シティ・ロマンスとの共同作業で制作された復帰前の最後のシングル。編曲もセンチの告井延隆。
そして復帰作が84年の『VARIETY』。

和製R&B女性シンガー

18.Town/吉田美奈子

彼女もまたRVC所属だったが78年にアルファに移籍。MONSTERS IN TOWNは81年9月にリリースされた。
TOWNは山下がstring と horn アレンジを担当。演奏は松木恒秀 (g)、岡沢 章 (b)、渡嘉敷祐一 (ds)、清水靖晃 (sax)、土方隆行(g)、富樫春生 (key)。シンガーソングライターから和製ファンクシンガーに転身し、より強烈に打ち出されたヘビーなシティ・ファンク・チューン。
作詞とバックコーラスで長らく盟友だった山下とも、翌年の「FOR YOU」を最後に関係に終止符が打たれる。

19.Rainy Driver/当山ひとみ

沖縄で育った“ペニー”こと当山ひとみの81年デビュー・アルバム『JUST CALL ME PENNY』。
RAINY DRIVERには24丁目バンドがレコーディングに参加。ハイラム・ブロックの軽やかなカッティングに、リズム隊は矢野顕子との共演で知られるウィル・リーと現ストーンズのスティーヴ・ジョーダンという豪華さ。

20.Love is Easy/尾崎亜美

1977年マイ・ピュア・レディが資生堂のCMに起用されヒットした尾崎亜美。さらに杏里に「オリビアを聴きながら」を提供するなど作曲家としても知られる。
1981年にリリースされた「HOT BABY」はLA録音でしかも参加ミュージシャンが凄い!
スティーブ・ルカサー(Guitar)
ジェイ・グレイドン(Guitar)
ジェフ・ポーカロ(Drums)
デヴィッド・フォスター(Keyboards)  
トム・スコット(Sax)
など。
デイヴィッド・フォスターが全曲アレンジ、エンジニアはアル・シュミット。 シングルとしても発売されたLove is Easyでも極上のトム・スコットのサックスとポーカロの独特のグルーブ感溢れるドラミングが堪能できる。

大滝詠一と寺尾聰

本人も周囲も予想だにしなかった大ヒットとなった『Reflections』と『A LONG VACATION』。
Reflections』は160万枚、ロンバケも100万枚を超えて2020年の時点では200万枚に達した。

1981年にはシティ・ポップという言葉もジャンルもなく、この2作が合わせて語られることもなかった。
今こうして、井上鑑という触媒を通じて、2作が繋がるのは不思議な縁と言うべきか。
寺尾は1983年、大滝は1984年に次作をリリースするが、前作ほどの圧倒的な成功は収めることなく、2人とも音楽活動からはフェイドアウトしていった。

寺尾聰は石原軍団を離脱して、性格俳優として大成し日本アカデミー男優賞を2回獲得。
そして、大滝詠一は音楽の語り部として気ままな生活を過ごし、2013年12月30日、惜しまれつつ永眠する。

1981年シティポップ最盛期の名曲プレイリスト Vol.2に続く。
「あまちゃん、1981年のYMO、ユーミンから始まるシティポップ・プレイリスト」というお題で展開。


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