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縦社会 vs 横社会で比較してみた。

前日の記事で、2025年あたりにルールがガラッと変わると記した。フワッとしていたため、今日は二項対立で比較しながら、もう少し深めてみることにする。


縦社会 vs 横社会


組織を束ねる時、トップの絶対的権力によって成り立っていた。掟を破ってしまったら、その罪は計り知れない。

一方、横社会はつながりが前提。どんなに能力があっても、人間味なるものが無いと管理することができない(協力してくれない)。


アニメで比較するなら、縦社会はガンダム世代で横社会はワンピース世代。前者は、勝利のためなら自分の命さえも組織のために捧げるのに対し、後者は一人ひとり実現したいこと+組織が実現したいこと両方を相乗効果として進めている。


縦社会は国家が大半を束ね、管理していた。昨今は、国そのものに対する信頼よりも、自分たちで地域を興して独自の共同体を作る方が早いし作りやすい環境になっている。


絶対権力や国の力を使って束ねていたのは、そもそもの生存欲求に必要な土台を作るため。その一方、昨今は束ねることが難しいこともあり、自分の存在を認められることが相対的に価値として高まっている。


絶対的権力によって人を束ねる時は、全員一緒にした方がまとめやすい。要は、ある種の思考停止状態。今そんなことをしたら、組織のメンバーは従うどころか反発を起こされるだろう。


全員の能力を均一にするために、読み・書き・そろばんを通じて向上させる。一方、現在は0ベースで思考したり、色々な切り口から進めていった方が対応できる。


虚構の世界で活動している俳優は別として、人々を束ねる時、ある種の虚像を届けた方がまとめやすい。今は、あらゆることが透明化している分、実像をお届けした方が共感される。


半径5m(例えば学校)が正解だったのに対し、自由に「世界」を行き来することができるようになったため、色々な世界を行き来した上で、自分なりの世界を紡ぐ必要がある。

紡ぐことができないと、折角自由になったのに不自由になっている矛盾に陥ることも…


直接体験と疑似体験の狭間で。

今回記したものは、自分のインプットに寄与されていると考えると、もっと広く・深く追求する必要があるなぁ〜と痛感。

話が面白い人ほど、役に立たなさそうなものを掘り下げて、場合によっては日常生活に応用している。


かと言って、時間が有限である以上、全てを経験することは甚だ難しい。そこで、読書や映画などを通じて疑似体験の総数を増やしていこうと改めて思った。

その中でも、人生に結果として反映されるのは純文学だと思う。どんだけ崇高なことを話していても、最終的に動かすのは感情を伴った人間だから。人を動かせるリーダーってすごいよね〜

あらゆる垣根を溶かしていく。

まだまだボヤッとしているけど、両立できない事象(トレードオフ)を溶かして1つの結晶にさせたい。

例えば、カルチャー(文化資本)とお金を持続させるとか、ミレニアル世代(Y世代)とZ世代の垣根を橋渡しするなど。

要は、対立していたものが気づいたら溶け込んで1つになり、また新たな概念や対立構造と向き合っていくような感覚。

半径5mで落とし込むと、現在アルバイトで関わっている小学生〜高校生たちと5〜10年後に仕事でもNPOなど何でもいいから、そんな取り組みを通じて共同体なるものを作りたい。実際、彼らから学ぶことがとにかく多いし、困っていることがあったら自分の知恵をGiveしたいと考えると、その価値観に対するモチベーションは現状フィットしている。


そんなところです。


以上です。

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