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岡本太郎の「痛ましき腕」の中のリボンについて

高校の図書館で見た画集の中で、記憶にしっかりと刻み込まれているのは、岡本太郎の「痛ましき腕」である。

記憶の「痛ましき腕」を辿ってみると、リボンにはふさわしくない日に焼けた力強いフォルムの腕がある。腕から視線を下ろしていくと、しっかりと握った右手があって、手首には光を放つ金属のブレスレットが嵌められてる。

何かに拘束されているようでもある。
ブレスレットによって装飾される腕。

下を向いている顔はどんな顔か判らず、大きな赤いリボン(これがリボンだというような)が画面の中央を占め、リボンとしての象徴性を描き出している。

そのリボンと腕の対比に驚愕する。
驚きはいつも新鮮である。

疑問と驚きが交差して、深く心に刻み込まれる。
高校生の私は、画集を見るという体験で、絵画の持っている力に初めて出会ったんだと思う。

2次元の平面が心を彫刻する〈彫刻絵画〉。
絵画が、記憶を連れてくる。

リボンの象徴性が腕とその握り拳のよって破壊される。

握り拳は攻撃のエネルギーを溜めている状態である。あるいは、何か攻撃ではないのかもしれないけど、握り拳は、そっと、荒い息を押しとどめている。

その拳が引かれて、保存されたエネルギーが別のものに代わるときは、新しく、絵が更新されて、これからの動きを予測させる〈動きのある絵画〉になるのだろう。

力強い腕を持ち、リボンで武装した女の子。
握った右手の拳が怒りの発露を探している。
その怒りが放たれて、右手が宙を舞う。

なにか、そんな気がしてくる。



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