見出し画像

今も日本人の中に残る縄文の血!世界を救うネオ・アニミズムの世界


こんにちは。映像作家の増田達彦です。
大袈裟なタイトルですんません!

去る2022年10月2日三重県熊野市の、
通称「日本最古の神社」といわれる
「花の窟《いわや》神社」で、
お綱掛け神事と呼ばれる神聖な祭りが、
3年ぶりに行われました。

 が、話は、そのはるか以前、
私のずっと考えてきたテーマ
にさかのぼります。


七里御浜から望む「花の窟」ご神体

 この「花のいわや」、
神社と名が付きますが、
通常の社の建物はなく、
巨大な岩山自体がご神体です。
つまり「岩」が神さまなのです。

神社というのは後付けで、
古代、おそらく縄文時代から
「神聖な場所」として
大切に祀られてきたのでしょう。

 
古代、大きな岩や木は、
神様が降臨し宿る神聖な
しろ
として祀られてきました。

古代人、特に縄文人は、
ただ大きいだけでなく、
そこに何か人智を超えた

聖なるもの

の気配を感じ取ったのでしょう。


21世紀を生きる私たちでさえ、
その地を訪れると、
なにか日常とは違う、
大自然の持つ不思議な力、
精気を感じます。


熊野にはそうした社のない、
岩や滝だけのままの神社が
たくさんあります。

丹倉(あかくら)神社


こうした、岩や木などの
自然を神々と信じる「自然崇拝」は、
宗教の原点ともいわれています。


有名なのは、沖縄県糸満市の
沖縄最高の聖地と呼ばれる
「斎場御嶽《せいふぁうたき》」。


鬱蒼うっそうとした森に守られた
巨大な岩の重なりは、今でこそ、
観光地の一つになっていますが、
昔は神女以外は容易に立ち入れない
極めつけの聖地だったそうです。

こうした「自然崇拝」の地が、
神社の原点だったと言われています。

沖縄・斎場御嶽(せいふぁうたき)

また日本人は「やおよろずの神」を
信じています。
すべての物に精霊が宿るという
精霊信仰(アニミズム)」です。


以前、「トイレの神様」という歌が
流行りましたが、
トイレにも神さまがいる、
と信じてきたのが日本人です。

この「精霊信仰」の原初の形が
自然信仰」だと言われています。

この「精霊信仰」も「自然信仰」も
今の地球上で信じている人々は、
ニューギニアや南北アメリカ、
オーストラリアの「先住民」
と呼ばれる人々が中心です。

キリスト教徒などが多い
西洋文明を享受する人々は
ほとんど信じていません

「自然信仰」も「精霊信仰」も、
非科学的であり、
キリスト教などの一神教と
科学文明によって発展してきた
人間中心の文明社会には
全く馴染まない原始的な信仰と
言われているからです。


ここで私が不思議に思うのは、
明治以降西洋化し、
近代文明を推し進め、
ビルが立ち並び、
新幹線が突っ走り、
PCやスマホを当然のように持つ
21世紀の日本の人々が、
ニューギニアや南北アメリカの
「先住民」たちと同様の
「精霊信仰」や「自然信仰」を
未だに信じていることです。


「科学文明」と「自然信仰」が
矛盾なく存在する日本という国は、
西洋文明の人々にとって、
まさに「不思議の国」に
違いありません。


ポケモン、鬼滅の刃、トトロなど
日本のアニメも「精霊信仰」
あってのサブカルチャー

それが今、世界で人気を集め、
注目されているのは、
ある種の必然性があるからだ、
と私は思います。

熊野の謎の神様、まないたさま


キリスト教などの一神教は
植物はもちろん、
あらゆる生き物の上に人間がある
とします。

つまり人間と鳥や獣や虫や花は
同列ではないのです

人間とその他の自然界を分断する
「二元論」です


また「二元論」を補完する科学は、
曖昧あいまいで霊的な存在を排除して、
人間も含めたあらゆる物質や、
自然現象・社会現象を
合理的に解明分析し、
普遍的な数式や形式にすることで、
人間の生命・経済活動に
利用しやすくするものです。

そのおかげで、産業革命が起こり、
医学も進歩し、デジタル化が進み、
私たちの生活も便利になり、
物質的には非常に豊かになりました。

しかし、その一方で、
動植物などの自然生態系は、
食物や燃料、ペットなどの
「資源・資本」
とみなされました。

西洋諸国の「二元論」は、
アフリカやアジア、中南米など
アニミズム
を信仰する人々を、
「植民地化」
という方法で
自然生態系と共に、先住民も、
労働力という資源
とみなしました。

さらに、資本主義の進化により、
投資家に利潤をもたらすために、
限界なき「経済成長」を求める
「成長主義経済」
が、
先進国の中にも、一部の富裕層と
大多数の人的資源(労働者)の、
「分断」をもたらしました。

しかし自然生態系や労働力など、
成長を支える資源は、
地球上では当然有限です。

世界各国がGDPという指標の
成長主義経済」を推し進め
有限の自然生態系や労働力は
もはや枯渇寸前
なのです。

自然生態系からの過剰な搾取は
本来再生可能な資源を生みだす
自然生態系そのものを破壊し、
それにより、近年の大規模な
気候変動をもたらしました



また、日常的な人間の暮らしも、
成長主義経済の中に組み込まれ、
本来人間が持っている
「あいまいで霊的なもの」
を癒す場がなくなって
しまいました。

これは、働く人々たちの心の病、
「鬱」「適応障害」などの多発に
結びついています。


確かにキリスト教をはじめ、
二元論」の一神教の宗教は、
人々の心の拠り所にはなります。

でも、神との契約で救われるのは、
人間の暮らしや悩みであり、
人間以外の生き物や自然を
救ってはくれません。

人間も自然の一部であるにも
かかわらずです。
 
皮肉なことに、
このままでは人間の生命活動が
立ち行かなくなることを、
「二元論」で科学文明の落し子
西洋人たちが気付きました。

人間より下等だと思われてきた
獣や虫や花たち「自然生態系」が、
いかに人間の経済を支えてきたか、
ようやく気付き始めたのです。

そこで「環境保護」
という概念が生まれ、
自然環境が残る地域を「環境保護区」
として人間の立ち入りを禁じたり、
一部の過激な人々が捕鯨反対運動を
起こしたりしました。
 


でもよく考えてみると、
そもそも「環境」という概念が
人間の暮らし中心で、周りの自然を、
あたかも自分の庭の芝生のように
捉える考え方ではないでしょうか。
さらに「保護」という概念は、
人間があらゆる生きものたちの
上に立っているという「驕り」

そのものではないでしょうか。

先住民の暮らしてきた土地を奪い、
その先住民たちを「保護区」という名の
場所に閉じ込めているのと同じように。

周りの自然を畏れ敬い、
動物や植物たちの声を聞き、
自然と共に生きてきた先住民たちを
保護」するなど、
傲岸ごうがん不遜ふそんも甚だしい考え方だと、
私は思います。
 
そんな現代文明を享受してきた
西洋の人々が、少しずつ今のあり方に
矛盾を感じ始めてきました。

その時、GDP世界第四位ながら、
国土の70%近くを森が占め、
春は桜を愛で、秋は紅葉を愛で、
原始宗教と蔑んできた
「精霊信仰」や「自然信仰」が
日々の暮らしと矛盾なく生きている国、
日本の不思議さに改めて気づいたのです。
 

熊野の山奥に残る滝神社(滝が神さま)

フジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ、
だけではなかった、
科学文明」と「自然信仰」が
無理なく共存する
世界でもほとんど唯一無二の国、日本。
なぜ、日本は「科学文明」とともに、
「アニミズム」や「自然信仰」が
今も生き続けているのでしょうか?

 

これはあくまで私個人の想像ですが、
今から1万5千年以上前、
ユーラシア大陸から、ある民族が、
太平洋を大移動しました。

その民族は狩猟採集民族であるがゆえ、
常に自然の声を聞く感受性を持ち、
自然を畏れ敬い、自然と共に生きる
知恵を持った民族でした。

動物を狩って命をいただくからこそ、
動物たちをよく知り、その魂を弔い、
自分たちの命を支えてくれる
大切ないのちであるからこそ、
獲りすぎたり無駄にしたりは
決してしなかったでしょう。

また、どの植物の葉や実が食べられ、
あるいは薬になり、
毒があるかも知っていたでしょう。

木の実やキノコ、
生きものたちといった食糧だけでなく、
衣服や雨露をしのぐ場や
大切な燃料を与えてくれる森を、
よく知り、敬い、大切にしたでしょう。

自分たちよりはるかに長く生きる木や、
航海の目印になる巨大な岩、
常に雪が残り命の水を与えてくれる山、
時に自分たちの命を奪うクマやヘビ、
嵐や雷、それらはみな「神さま」として
畏れ敬ったことでしょう。

そうした民族が日本では縄文人となり、
東北以北ではアイヌとなり、
氷河期にベーリング海を渡った人々は
イヌイットになり、
さらにアメリカ大陸を南下した人々は
アメリカ先住民となり、
ついには南米の南の果てまで
行ったのでしょう。
 
棲んでいる風土や気象こそ違え、
彼らはみな、縄文人と同じような自然観、
「自然信仰」「アニミズム」の人々であり、
自然の声を聞き、自然と共に生き、
厳しいながらも精神性豊かな暮らしを
営んでいたことでしょう。
・・・「生態系主義経済」


青森・三内丸山遺跡(縄文時代)


 
しかしその後、モノカルチャー的な農耕で
自然を支配することを覚えた、
新しいユーラシア大陸の民族たちは、
大規模な農耕による豊富な備蓄食料を
持つことによって富を蓄積し、
一神教と「ヒエラルキー」によって
組織化された文明を生み出しました。
彼らは、すでに出発地点で
「自然」を支配する考えの持ち主であり、
その支配は他民族の支配にも、
つながったことでしょう。

その結果、ユーラシアやヨーロッパでは、
「アニミズム」を信じる先住民族たちは
どんどん地の果てへ追いやられてしまい、
ほとんどその姿を消してしまいました。
 
一神教ヒエラルキー文明の子孫は、
後に産業革命で世界へ乗り出した時、
自然と共に暮らしていた、
価値観の違う「先住民」を支配し、
あるいは駆除し、
その土地を奪い取っていきました。
・・・「植民地」による囲い込みと搾取

こうして「アニミズム」を信仰する
先住民族たちは、そのほとんどが、
世界から滅ぼされてしまったのです。

 


しかし、幸か不幸か、
四方を海に囲まれた日本では、
大規模な一神教ヒエラルキー民族の
侵攻による惨劇は起こらず、
1万年以上の間「アニミズム」が生きる
縄文時代が続きました。

縄文人も小規模な栽培農耕はしていたが、
それは森の自然や土地の隙間を生かし、
多種類の農作物を少しずつ作る、
自然農法だったようです。


その後、大規模モノカルチャー農耕民族が
大陸から入って来ましたが、
それは大陸での民族同士の争いから逃れた、
いわばボートピープルのような集団であり、
一民族が大量に侵攻してきたというよりは、
五月雨式に多様な民族が入ってきたのでは、
と私は考えています。

青銅器の銅鐸を祭器として使っていた民族、
青銅器の矛を武器として使っていた民族、
鉄器を農具や武器として使っていた民族、
さらにたたら製鉄で大量に鉄器を作る民族。

いわば、当時の日本は、
大陸や南太平洋からの民族たちの
ふきだまり」のような場所、
だったのではないでしょうか。

 農耕ヒエラルキー民族といえども、
こうした多様な民族が少しずつ時間差で
入ってきたために、
小競り合いで様々な戦いは
繰り広げられたでしょうが(魏志倭人伝)、
日本の先住民族である、
縄文人との全面戦争は少なく、逆に、
漁労で船を巧みに操る海人族系縄文人や、
山の地の利をよく知る狩猟山岳系縄文人と
うまく手を結び、融和した民族が、
大和朝廷を築いていったのではないか、
と思うのです。


ヤマトという国名を、
大きな和と書いて「大和」としたのは、
そういった融和の歴史を暗にその後の
日本民族が知っていたからではないか、
とさえ思います。

古事記、日本書紀を読むと、
天孫族(大陸系民族か?)が
日向で海人族(縄文系狩猟民族か?)
の女性と結ばれ、
その末っ子イワレヒコノミコトが、
初代天皇である神武天皇となったのは、
それが事実であるかどうかは別として、
大陸系民族と縄文系日本先住民とが
混血融合して日本の国が成立したことを
暗示しているのではないかとも思えます。

また、日本の天皇の祖、
天照大御神アマテラスオオミカミを祀る
伊勢神宮の神饌(神さまへのお食事)に、
米や酒や塩だけでなく、
魚や海藻、アワビといった、
海産物が必ず添えられている事なども、
その傍証と言えるのではないか、
とも考えられます。

また、明治維新の際、
様々な奇跡と偶然と、
当時の日本人の知恵により、
西洋列強の植民地化を免れたことも
大きな理由かもしれません。

つまり、日本人の血の中には、
大陸からの弥生系民族のDNAだけでなく、
「アニミズム」を信じ、
「自然信仰」を守ってきた縄文人のDNAが、
少なからず混じっていて、
そのDNAが、21世紀の今も、
科学文明を享受しながらもなお、
私たちに「自然信仰」や「アニミズム」を、
無理なく信じさせているのではないか、
と思うのです。
 
そして、この「自然信仰」的な考え方こそ、
人類が科学文明の便利さを追求したことで
バランスを崩した地球の自然を救う
一番有効な「処方箋」ではないか

と強く思うのです。


大きな岩を神さまとして拝み、
豊年満作を祈って岩から綱を掛ける、
花の窟の「お綱掛け祭り」。
まさに「アニミズム」のお祭りです。

この、自然を畏れ敬う心
人間の叡智による科学の両輪
自然の恵みと共に生き、
これ以上資源を搾取せず世界を救う
持続可能な「生態系主義経済」を、
根本から支える思想、
それが「ネオ・アニミズム」だと、
秘かに思っている、私です。


文責 birdfilm:映像作家 増田達彦