見出し画像

随筆 ふぐりクリフ


 壁は人々の生活を遮る。この遮蔽物によって初めて、人々の営みは「個」を獲得する。壁は人々に安寧を与えそして、剥き出しにする。厚薄によらず、壁の内と外とで「互いの姿が見えてさえいなければ」そこに他者など存在しないのである。

 かの疫病に侵された初年の夏、私は川崎の山奥に佇む半ば崩壊しかけた荒屋にかろうじてぶら下がっていた。往年の上京物語さながら、「音楽で飯を食う」などといった夢見台詞を吐き捨てて威勢よく実家を飛び出したのはいいものの、兼ねてからの怠惰な性格と疫病の災厄とが重なり、明日の飯をも危ういような人生最大の財政難に陥っていたのである。

 慢性の素寒貧状態を互助すべく、この川崎の荒屋には、私とバンドメンバーとで共同生活を行っていたのであるが、私の元来の怠惰なくせして神経質であるややこしい性格と、細かいことは意に介さず雨風を凌ぐための屋根壁があれば十分と考える同居人とは生活面での折り合いが悪く、少なからぬストレスを感じていた。
 また、この川崎のボロ屋敷は最寄駅が新宿から30分という割に良い好立地ではあったが、肝心の最寄り駅までは徒歩17分と「最寄り」の意味を為さないような僻地に聳え立っており、況してやその道が急勾配の坂であるとなれば、心身ともに余計なダメージを負い、家を出るのも帰るのも億劫な毎日であった。

 ときに、寝食を共にする同居人の紹介をしなければならないが、私自身彼個人のことは非常に好いており、先輩としてもミュージシャンとしても頼り甲斐のある兄であった。いかなる分野においても博識で生粋のアンタイ・レイシストである彼から学ぶことは、私の人生においても大きな指標となったことは間違い無いだろう。料理との腕前も確かなもので、殊、晩酌において不便することは一切なかった。

 しかし、然しである。共に生活するとなると話は別だ。
中でも堪えたのが彼のそのタフネスに所以する、無鉄砲さ溢れる行動の数々である。
 或る日、近所のコンビニでのアルバイトを終え午前2時すぎに帰宅した私は、ここ数日の連勤によって疲労困憊ゆえに倒れ込むようにして居室に寝転がった。そのまま泥のように眠りこけていると、突如として隣室とを隔てる襖が開け放たれ一言、
「おい、キャッチボールするぞ」
 寝ぼけ眼を擦りつつ時計に目をやると、なんとまだ朝5時を少し回ったあたり。私は聞き取れぬほどの小さい声で文句を垂れながら僅かな抵抗をみせるが、彼は全く意に介さない様子で布団を引っ剥がし、強引に起床させられた。小心者の私はここまでされると鎖に繋がれた子犬の如く従順になる他なく、短く
「行きます」
と情けなく吠えるのみであった。

 先にも述べたよう、私は変に神経質なところがあり、殊、音に関しては度々我慢ならないことがある。川崎の荒屋に同居人と二人生活であったが、実のところ同居人の恋人を含めた三人での生活時間の方が長かった。私自身、彼女と非常に仲が良く、実の姉の如く慕っていた。
 ただ、所詮は若き男女の仲。皆々様の想像に易いところであり、私の居室と同居人との居室を隔てる厚さ5センチ程度の襖の外では日夜、獣の如き性行為が繰り返されていた。当初こそ、これを稀有な経験であると思い込み、些かルポライターじみた奇妙な興奮を感じて、たまさかに訪れるラッキースケベ行事だと俄然、寝たふりを決め込んでいたのであるが、それもこれも2週間足らずで不快感を増していき、襖の向こうの空間にも一種の「慣れ」が生じていたのであろう、ふぐりが奏でるペチペチ音とともに自室全体が揺れるほどの激しさを伴った行為へと加速していったのである。
 流石の私も当初の好奇な感情はついぞ消え失せ、いかに無心を貫きて睡魔を誘うかのみに心血を注いだが、あまりにも眠れぬ日はセブンの安ワインなどを煽って質の悪い酩酊を以ってして入眠に備えようとするも、却って目が冴えてしまうばかりで気づけば軽いアルコール依存症に陥ってしまっていた。

 多大な難ありとは雖も、住めば都にいつの日か…と自分の心同様足腰にも言い聞かせ、汗水垂らしながら往復30分の坂道をせっせと歩き詰めたものの、4ヶ月程経っても心労はたまる一方であり、家に帰っても掃除洗濯を一切しない同居人に対するストレスで心休まる場もなく、また、襖一枚隔てた隣室から聞こえる、毎晩の同居人とその恋人との性行為によって発せられる淫音に睡眠を阻害される日々となれば、この荒屋こそ私の棺桶となってしまうのではと甚だしく恐怖心に駆られ、ここを飛び出し新居を探す決心をしたのであった。

 さて、渋谷一等地、センター街の外れに位置する雑居ビルに小綺麗なオフィスを構えた不動産屋にて新居探しを始めたわけであるが、なかなか条件に合う物件が見つからない。とにかく駅近で敷金礼金の不要かつ室料が5万以下、そして都心へのアクセスも良好となると「ええわけないやん」と声が漏れるような豚小屋や、風呂トイレなしの留置所じみたコーポばかりが選択肢として残る。
 根がスタイリストにできている私は、風呂やトイレがないなど言語道断であり、人間らしい生活を送るには湿りきった畳の部屋などもってのほかであると考えていた。
 あれはいや、これもいやなどと駄々を捏ねているうちに、担当してくれた27,8歳のサイドを刈り上げたいけ好かない不動産マンは次第に苦笑いを重ねていく。(だいたい私は不動産を生業とする人間に良い印象はない。なぜこうも揃いも揃ってコムドット崩れのようなナリをしているのだろうか。そのジェルまみれの頭髪と濁ったプールのような色のスーツとでは、却って胡散臭さに拍車がかかっているではないか。)
 こちらの銭のなさを嘲笑しているかのように被害妄想をした私は、多少なりとも苛立ちを感じながらも手渡された物件情報を必死に見比べていると、
その不動産マンは奥の手を出すかの如く、またしてもいけ好かないニヒルな笑みを浮かべながら
「これは今日入ってきた物件なんですけど…」
とピラ一を手渡してきた。
 見れば、駅徒歩5分、新宿渋谷まで7分といった好立地。加えてユニットバスながら最低限の水回りは備わっており、ネットなんかも無料で使えるという。1K5.5畳という少々手狭な居室であったが、こちらが提示した条件に漏れなく当てはまる好物件で間違いなかった。
 一寸、なぜこのような好物件をさっさと提示しなかったのかと訝しんだのも束の間、さっきの不動産マンのセリフも相まってこの機を逃してはならぬと、ロクに内見もせぬまま激しく唾を飛ばして、ここを契約したい旨を伝え必要書類を用意してもらったのである。
 今省みると、この内見を怠ったことが全ての間違いであった。

 僅かな所持金と両親への無心からかき集めた小銭で少額の初期費用を納めると、その日のうちに同居人へと退去する旨を伝え同月末には少ない荷物と段ボール一つを抱えて新居へと転がり込んだ。晴れて一人暮らしである。念願の、何事にも変え難い、私ひとりのための根城である。
真新しい床に寝転がり、ひんやりとした感触を堪能しながら些細な悦に浸っていると、ふとインターホンが鳴った。ウォーターサーバーが届いたのだ。ただでさえ豚小屋の如く狭い居室に、小さい冷蔵庫ほどのスペースを陣取る筐体を設置するとより圧迫感が際立つ。ときに、なぜ貧困に喘ぐ労働者の居室にウォーターサーバーなんてセレブリティに溢れる代物がやってきたのか。
 引越しを経験された方ならご存知だろうが、新居の審査が降り、諸々の契約を済ませた後、電力会社やガス会社から契約に関する電話が立て続けにかかってくるようになる。私は前回の引っ越しの際、持ち前の怠惰を存分に発揮し、こういった類の電話をすべて無視していたことが災いして、入居後1週間ほど電気なしの生活を余儀なくされた。この時の失敗を踏まえて、すべての電話にしっかりと応対し、できる限りの質問に「はい」で答えていると知らず知らずのうちにウォーターサーバーを契約していたのである。

 勿論、底辺の暮らしをする私にとって不必要極まりないものであった。
 が、現に契約してしまった手前今更どうすることもできないので、「いつでもうまい水が飲める」「お湯も必要な時にすぐ出せる」と可能な限り利点を探し、自分にとってさも必要なものであるかのように言い聞かせていたが、月ごとに強制購入させられる水はリットル計算で100円を超えており、コンビニで水をかった方がはるかに安くつくし、お湯も電力不足なのか、はたまたそういった仕様なのかわからないが、75℃ぐらいの微妙な白湯程度のものしか排出せず、コーヒーはおろかカップラーメンの調理などもっての外であることに気づき、いよいよ全く使えない木偶の坊であることを悟ると自分の不甲斐なさを呪うしかなかった。

 さて、幸先の悪すぎるスタートを切った新居生活であったが、この程度のアクシデントは序の口であった。私の運の無さは底なしであることに私自身、まだ気づいていなかったのだ。
いかんせん、壁が薄すぎる。
隣人の放屁で目が醒める程、といえばわかっていただけるであろうか。足音物音はおろか、凡そヒソヒソ話程度の話し声ですら、明瞭に内容が聞き取れるのである。
 ただ、私も異常に安い室料や築40年の木造であることからある程度の騒音は覚悟していたうえ、毎晩の淫音に比べれば屁でもねぇわとたかを括っていたが、完全に傲りであった。
随一の問題は右隣に住む独居老人のテレビの音である。独居老人は傍目から見てもヨボヨボの老兵で、齢85をゆうに超えているはず。大分に耳が遠くなっているのだろう、四六時中付けっ放しのテレビの音量は、おおよそ家電メーカーがその使用を考慮していない3桁を超えるような爆音であった。私の自室にテレビがないにも関わらず「フワちゃんテレビ出すぎやろ」と思ったほどである。
 幸いなことに平日の昼間はデイサービス、そして夜は他の老人の例に漏れず早々に就寝し、加えてその時間帯はテレビの電源を落とすという最低限の良識があったので、私の生活リズムとさして被らないことで独居老人との言い争いをとりあえず棚に上げておくことにできた。

 翻って、左隣の中年男性は普段物静かではあるが顔を合わせれば必ず挨拶をしてくれる、感じのいい紳士であった。
 しかし或る日、その紳士がアパートの裏手に住み着く野良猫に餌付けをしていることが管理会社にバレてしまい、共用部の張り紙を通して注意されていたのだが、どうしてかそれが彼を逆にヒートアップさせてしまったのだろう、日に日に手懐ける猫を増やしていった。或る日の夜遅く、アパートに程近い公園の出口で彼とすれ違った折に、挨拶もほどほどにそそくさと去ってしまう彼の足元には、驚いたことに5,6匹の猫がゾロゾロと列をなしていた。
彼はひょんな注意から「猫の魔術師」へと昇格したのである。

 このような劣悪な居住環境でも、先の川崎にての暮らしに比べれば雲泥の差であり、住めば都とは何たるかをひしひしと感じていた。
 紆余曲折あり、引っ越しからちょうど一年後に私はのっぴきならない理由から帰阪を余儀なくされ、5.5畳の独居房を引き払う運びとなったのであるが、退去を一週間前に控えた頃からやけに害虫に出くわす回数が増えた。
一応の綺麗好きである私は、週に一度の全清掃を欠かさずに行っていたし、害虫がわかないよう、薬品の散布や生ごみの管理には特別気を遣っていた。
しかし、日に日にゴキブリの数は増え続け、水回りから夥しい数の蝿が上がってきていた。
 なるほど、居室が一階ということもあり、アパート全体の日当たりも悪く、あるいは夏になると毎年このような虫害に悩まされるがため、好物件にも関わらず室料がべらぼうに安いのか、などと一年越しに一人合点した。
もう一週間我慢すれば私には関係のないこととなるため、特段気にすることもなく退去の日を迎えた。

 退去時、タバコのヤニが原因で退去費用10万円也の詐欺じみた請求額を提示された。当初は多少の抗議の姿勢で挑むつもりであったが、担当者の風貌がピッチピチのエアリズムに、京都の成金が好むようなゴツい金のネックレスをぶら下げているような半グレのソレであったため、あまりに萎縮し二つ返事でその請求書を受け取ったのである。

 はて、そういえば共用部に都会の夏の海のような鼻を劈く香りが漂っていたが、あれは一体なんだったのだろうか。そういえば、右隣の独居老人の部屋のテレビの音がうるさくて寝付けなかったな。そういえば、テレビ以外の音、聞こえなかったな…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?