見出し画像

僕の記憶にほとんどない祖父が、僕にいちばん影響を与えてくれた

こんにちは。
熱海隆史(あつみ たかふみ)です。

前回のブログの続きです。

先日
「自分の人生の志をさぐる」という主旨の勉強会に参加し
普段は考えることのない
「自分のルーツ」についてまじめに向き合ったとき、
浮かんだ人物が、僕の祖父でした。

「祖父が僕のルーツです」

と聞けば

「なるほど。
きっと、祖父との思い出が
たくさんあるのだろうな」

と思われる方もいるかもしれません。

実は、祖父と過ごした記憶は
僕にはほとんどありません。

祖父は、
僕が幼稚園に通っていた幼い頃に
交通事故で突然死んでしまいました。

朝早く釣りに行って、横断歩道で
信号無視の車にはねられて。

僕の祖父の少ない記憶は、
そこからスタートするのです。

ぼくのなかにある、祖父の記憶

なぜ、僕は
祖父に対して
強い想いを抱くようになったのだろう?

祖父にまつわる記憶は、
僕が幼稚園生だったとき
病院からかかってきた一本の電話から始まります。

朝5時くらいに家に鳴りひびく電話のベル。
電話に出た母の驚く声。

それは
信号無視の車にはねられた祖父が搬送された、
病院からの電話でした。

その光景を、不思議と憶えているんです。

僕の記憶の中の祖父は、電話と、お葬式。

家に入り切らないほど、おおぜいの人が
祖父の葬式につめかけていたこと。

そのとき
うちの母が話してくれた言葉は、今も憶えています。

「人の価値は、その人が死んだときにわかるんだよ」

と。

正直、僕は記憶力がとてもいいわけではありません。

祖父が死んだとき
僕は幼かったこともあり、
祖父との思い出は、ほぼゼロです。

なのに、
家にかかってきた電話が母をふるわせた緊迫感と
祖父のお葬式の場面は、
いまでも強烈に記憶にのこっています。

ものすごく多くの人たちが、
ものすごく悲しみにくれている。

弔問に集まった人たちの口々にのぼるのは、
どれもこれも
祖父に助けられたという話。

僕はそこで初めて知ることになる
祖父のすごいエピソードの数々に
驚かされていくのでした。

祖父は「徹底的に人をほっとおけない人」だった

僕の実家は東北です。

祖父は雪が降ると、
町内の誰よりも早起きして、雪かきを一人でしていたのだそうです。

朝、みんなが起きてくる頃には
近所中の雪かきが終わっていたのだとか。
誰に言われるでもなく、大雪が降るたびに
雪をかいては町の安全を見守っていました。

僕が通っていた小学校の校庭に、
木製のりっぱな遊具がありました。
立派な丸太がいくつも組み合わさり、丸太を渡り歩くような
かなり大きな遊具なのですが
それをつくったのは、祖父でした。

孫の僕は、祖父の手作りだとも知らずに
毎日それで遊んでいました。

普通であれば
一個人が作った遊具が学校に置かれることは
ありえないことだと思います。

どんないきさつで、
祖父が遊具を作り小学校に寄贈することになったのか
僕にはわかりません。

ですが
次から次にでてくる祖父エピソードを知るにつれ
祖父に関わった人なら
「普通じゃない」提案も善意も
きっと受け入れられたんだろうな、と
自然に思えてきます。

祖父はかつて国鉄に勤めており、
ビジネスマンとしても有能な方だったらしいです。

あと数年後に定年をひかえ、
定年後は悠々自適な生活が約束されていました。
そんな祖父は、ある日突然、仕事を辞めました。
定年のほんの数年前のことだそうです。

その理由は・・・

知り合いが仕事で窮地におちいり
「助けてほしい」と
祖父へ必死に頼みこんだから。

祖父はその頼みを受け入れ、
仕事を辞め、知人の事業の立て直しに奔走しました。
聞けば、金銭的な援助もしていたようです。

またあるときは、
戦時中の祖父エピソードを教えてもらいました。

祖父がシベリアに抑留されていた頃。

手先も器用で、優秀な祖父は
どうやら当時のソ連の軍人たちにも
一目おかれていたようです。

「こいつは使える」と
いろいろ軍内での所用を手伝わせ、
その見返りにと
ソ連の軍人たちからこっそり優遇してもらった食べ物を
捕虜収容所に持ち帰っては
同じく抑留されていた捕虜の仲間たちに分け与えていたといいます。

聞けば聞くほど、
祖父の
「徹底的に人を助ける」エピソードに
魂の根っこ部分を震わせている自分がいました。

定年まじかの年まで勤め上げた会社を、
事業が傾いた知人を助けるために
待遇のよかった会社を辞めて
事業の立て直しのために奔走した祖父。

町内で、誰かの家が壊れたと聞けば
修理道具を持ってすっとんでいき
無償で修繕してしまう祖父。

そして僕にとっては
孫をただかわいがってくれた、
優しい祖父。

僕が大きくなるにつれ、
色んな人から
祖父のエピソードを聞くにつれ、

「僕の祖父は、すごかったんだ」


打たれたような気持ちになっている僕がいました。

この
僕の内側の、奥の奥の部分と
「共鳴する」ような感覚は、なんだろう??

そして、気づきました。

僕の気質は
祖父から僕へ渡された「バトン」だと。

#フォロバ100 #フォロー返します #相互フォロー募集 #ブログ #自己紹介 #目標達成 #プロジェクト #ビジネス #仕事術


この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?