ナンバーガールの再結成に寄せて

NUMBER GIRL/日比谷野外大音楽堂

この日の野音は会場外で音漏れを聞いていた人が数千人いるというツイートを見かけた。この真偽は不明だが、2002年に解散してから、ナンバーガールというバンドはその実体に比べ随分と神格化されたものだと思う。再結成が発表された時、ハイスタやエルレガーデンと並べて「ナンバガ 」の再結成を歓迎する声もちらほらと聞いたが、それらのバンドほど人気があった訳ではない。そもそも「ナンバガ」と略して呼んでいた人間など知らないし、ナンバーガールという名前自体聞いたことのある人間は、田舎に暮らしていた私の学校ではクラスに一人いたかどうかくらいだった。なのでこの記事中では呼称として「ナンバガ 」という言葉は使わない。自分の中では彼らはそういう風に馴れ馴れしく略称で呼べる対象ではなかった。半ば畏敬の念を持って「(心の中では例のギザギザのフォントで)ナンバーガール」と呼んでいた。

解散当時高校生だった自分からすると、前述のように彼らを「伝説」扱いする向きにはやはり冷ややかな目を向けざるを得ない。ただ、解散前の評価については「過小評価」だった、という着地点が現在では妥当なように思える。ナンバーガールの最高傑作というと、デイヴ・フリッドマンを初めてプロデューサーに迎えた2ndアルバム『SAPPUKEI』を推す声が現在の日本では多いように思う。しかし、この視点・音楽の捉え方がそもそもナンバーガールというバンドに対する評価及び評価軸の誤りであると思っていて、リアルタイムで聞いていた身からすれば『SAPPUKEI』から2年弱を経て発表された3rdアルバム『NUM-HEAVYMETALLIC』がずば抜けて素晴らしかったし、未だに印象的である。

『SAPPUKEI』はデイヴ・フリッドマンの自宅兼作業場であるタルボックスロード・スタジオで録音を行ったことで田淵ひさ子のギターがより印象的に音源に刻まれ、またDry & HeavyやAudio Activeから影響を受けたかのようなダブを思わせる音響効果を活用し立体的な音作りを始めたアルバムでもある。『NUM-HEAVYMETALLIC』は、『SAPPUKEI』の音を更に上のレベルまで推し進めたアルバムであるが、実はその間に非常に重要なリリースがある。

イースタン・ユースが主催するイベントの同名企画盤『極東最前線』に提供したその名も「TOKYO FREEZE」。この曲はナンバーガールの活動終盤〜解散と向井秀徳のその後の活動を見る上で、大変に示唆的である。この曲での大きな変化の一つは、THA BLUE HERBのILL-BOSSTINOそのままとも言えるような、ラップを取り入れた歌唱(ラップそのものとまではいかない、あくまでも「歌唱」)である。これは、ザゼン・ボーイズ結成以降の向井秀徳を知っている人なら誰でも頷けるところであると思う。これが「自問自答」や「開戦前夜」を始めとしたザゼン・ボーイズのラップと念仏とポエトリーリーディングの境目を縫って練り歩くような楽曲群の青写真となった、と現在では言うことが出来るだろう。

「TOKYO FREEZE」以降のもう一つの大きな変化は、ラップ的歌唱という手法を取り入れる上で編曲上必要であったと思われる、8ビートに囚われない多種多様なリズムの取り入れである。『SAPPUKEI』ではダブを取り入れたとはいえ、良くも悪くもビートの面では未だにパンクやオルタナティブといったジャンル内のバンドに留まっている。これを仮に、由緒正しい「EIGHT BEATER」とでも言おうか。これが「TOKYO FREEZE」にてブレイクビーツを取り入れたことを端緒にして、シングルとなった「NUM-AMI-DUBTZ」、ライブでの「終わらない祭囃子」とその終わりの緊張感がDVD『NUMBER GIRL』の副音声で話題に上がった「INUZINI」、本格的なナンバーガール的ダブ+ラップ歌唱であるタイトル曲など、『NUM-HEAVYMETALLIC』でのリズム面の飛躍的な進化に繋がっている。

蛇足ではあるが、私が日本のバンドに限らずいわゆる「ロック」を退屈に思い、興味を無くして行ったキッカケは間違いなく『NUM-HEAVYMETALLIC』である。このアルバムが無ければ、ヒップホップやレゲエ・ダブに興味を持つ時期はもっと遅くなったであろうし、THA BLUE HERBやDry &HeavyのCDを手に取る機会があったかも分からないし、ひょっとすると死ぬまで所謂「EIGHT BEATER」もどきのバンドで満足していた可能性だってある。『SAPPUKEI』を最高傑作とする声は、この『NUM-HEAVYMETALLIC』での変化についていけたかどうか、それを受け入れることが出来たかどうかの試金石ではないだろうか。そして日本の「ロック」ファンは、未だにバンドミュージックに「EIGHT BEATER」しか求めていないように見える。ナンバーガールの代表曲は「透明少女」というTwitterなんかでよく見る意見は、この説を裏書きしているように思えてならない。確かに「透明少女」が代表曲なのは間違いないが、「透明少女」を聞ければそれで満足というのでは、果たしてナンバーガールの音楽をまともに聞いて解釈たのかどうか、甚だ怪しいものである。閑話休題。

しかしこの大きな変化こそが、ナンバーガールというバンドの解散を早めたのも間違いない。前述のDVD『NUMBER GIRL』でもレコーディングにて煮詰まりやり合うメンバー間のやり取りが収録されており、向井秀徳の厳しい要求やライブとレコーディングに明け暮れる日々にメンバーが疲弊していったことも容易に想像できる。1stアルバムから半年と経たずに2ndアルバムを発売して、「MATSURI SESSION」という名の真剣勝負に明け暮れた初期のザゼン・ボーイズの狂気的な熱量と、唯一バンドを跨いで活動を共にしたアヒトイナザワがテンションの違いを理由として脱退した事実。これだけで、ナンバーガールの自壊の原因は火を見るよりも明らかである。

何より再結成後のインタビューでは向井秀徳も、バンド活動をする上でのスタンスがどう考えても長続きするものではなかったことを認めている。現在向井、田口、中尾の3人は自身がメインで活動しているバンドをそれぞれ持っていて、アヒトは福岡で仕事に就いているため、当時のテンションでの活動はやろうとしてもそもそも無理な話なのだが、ひょっとするとそういった事情も再結成の後押しになったかもしれない。あくまで現在の各メンバーの他の活動の様子を見ながらの、かなり「割り切った」形での再結成。自分が10〜20代の頃であればこのような形の活動は望まず、もっと尖った「現役のバンド」としての本格的な再結成の姿を望んだと思う。ただ向井の最近のインタビューでよく出てくる「生きている内に」という、人生を逆算し始めたかのような発言に、むしろ今の自分は親近感を覚える。「生の実感」という言葉を発して続けてきた人間が発するからこそ、「死へ向けた予感」がひしひしと伝わる。「死」を意識するからこそ今の「生」を大事にするという感覚。メンバーも数年で50歳である。ナンバーガールの楽曲を高いクオリティで演奏出来るタイミングとしては今しかなかったのではないだろうか。

それだけに、昨年来悪い意味でネットで話題になったアヒトのVolaでの件の楽曲にはガッカリしたし、あの騒動と「謝罪になっていない謝罪」が無ければこの再結成を素直に喜べただろう。ナンバーガールが特別である理由の一つが、アヒトのあの独特なドラミングであることは疑いの余地がない。あのドラムを叩けるのは世界でアヒトのみだし、それに合わせて演奏出来るのはナンバーガールのメンバーだけである。そうでなければ、あれ程のドラマーが音楽で食えなくなるという悲劇は起こりようがない。Volaは活動を再開し、クラウドファンディングで山下敦弘にPVを撮影してもらう資金を集めていたが、そのリターンとしてアヒトはナンバーガールで演奏していた機材の一部を提供していた。輝かしい時代を知っているからこそ、それら全てが悲しく、そしてなんとも寂しい気分になる。このような再結成は、自分は少なくとも本意ではなかった。過去に大きな刺激を受けた人間として、全てを清算し気持ちよく皆で「乾杯」三唱を出来る日が来ることを待つ他ない。

#NUMBERGIRL #ナンバーガール #雑記

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