あしたの少女

シネマート新宿にて、チャン・ジュリ監督、ぺ・ドゥナ主演『あしたの少女(英題:Next Sohee)』を鑑賞。メインテーマである社会の構造・仕組み・搾取については見れば自明の事なので、正直なところあまり触れたくない。同じような環境で短期間働いた人間から言えるとすれば、あのようなシステムは人間の尊厳を奪う。生きている意味を考えてしまう。韓国に限らず、どの国でもあるような事だし、日本も同様だ。そういったシステムの中で平然と生きているという事実を鑑みれば、我々は悪人とまでは言わないまでも罪人ではあるように思う。分かっていながら無視しているからだ。そして罪人の中には当然、私も含まれている。

パンフレットで語られているように、捜査を担当するユジンは監督の前作『私の少女』のヨンナムの数年後も姿を連想させる。ユジンを演じるぺ・ドゥナの毅然とした姿、立ち振る舞い。現代に生きる大人として、少なくとも私には理想的な姿。しかし大多数の我々一般人は、ユジンのようには行動出来ない。出来ないからこそ、観客はユジンに期待する。しかし、ユジンですらシステムの前ではどうにも出来ない事がある。この映画の中にある「現実」の可能性の儚さに、やりきれない思いになる。終盤、ユジンからテジュンにかける一言。あれがユジンに出来る精一杯のアクションだったのではないだろうか。そしてそれは、優しさと思いやりに溢れている。

自死を選んだソヒは何故あの終わり方を選んだのか。理由は明示されないし、おそらくする気もなかったはずだ。単純化出来るような物語ではないから。結局のところ全ては解明されないが、最後にソヒが残したあるもの、そこにある輝きに、統計上の数字に表れない「一人の人間」としての輝きと誇りを見る。この映画の価値はおそらくそこにある。

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