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気になる記事をシェア“愛と科学の融合!人気の「にぎらな寿司」を食べてみた”

forbes web 2019.5.7より一部抜粋

東京・汐留で行われた少人数の試食会に出かけた。そこで目にしたのが、写真のようにレンゲに乗ったゼリーに似たジュレ状の寿司である。しかも、ガリまでジュレ状だ。

実はこれ、愛知県豊橋市にある医療法人さわらび会/社会福祉法人さわらび会が、嚥下障害の高齢者向けに開発。食べてもらったところ大いに喜ばれて人気となり、全国から「家族に食べさせたい」という声が舞い込んだという。

そこで2017年、「SAWARABI HAPPY FOOD PROJECT」が始まり、同グループの山本左近CEOをプロジェクトリーダーに、現場の介護士やクリニクルフードプロデューサーの多田鐸介氏らが開発した。アドバイザーとして、宮城大学・石川伸一教授、東北生活文化大学・濟渡久美氏が参加して、作り上げた。

口の中に入れてみると、意外にも(失礼)、おいしい。いや、かなりおいしいのだ。日頃の介護で見てきた、プラスチックのお椀に入った、かぼちゃの柔らか煮や粥といった「病院食」のイメージとは大きく異なる。

実はおいしくないと、嚥下障害のトレーニングにならない。食べ続けることが大事であり、それには「食べたい」と思える、おいしさが必須条件なのだ。

開発した多田鐸介氏は、幼少期からおばあちゃんに料理を教わり、18歳でフランスの「ル・コルドン・ブルー・パリ」に入学。卒業後はフランスの一流レストランで働き、帰国後はパークハイアット東京などに勤務。彼の人生を変えたのが、浜松の病院にメニュー指導に行ったときのことだったという。
余命2週間の末期がん患者がいて、すでに噛んで食べることができなくなっていた。このとき、「飲み込むことができるゼリー」をつくると、「おいしい」と喜ばれたことが、フランス料理から一転、介護食の道に入るきっかけとなった。

多田氏は「寿司がもっともハードルが高いんです」と言う。「施設に入居している高齢者の方々は免疫力が低下しており、菌に注意する必要があります。すべて加熱をしていますが、加熱をするとマグロがツナになってしまう。そこで出汁を入れるなど、加熱方法を工夫することにしました」

また、匂いにも苦労したという。「魚はすりつぶしたり、練ったりすると、表面層が増えてしまい、生臭い匂いがでます。コメも同様で、油臭くなります。そこで匂いが出ないようにするため、白麹由来の有機酸を含む白麹清酒を使用しました。この中和によって生臭さを抑えることができました」

他にもいくつもの工夫がある。わさび、ガリ、海苔などの香りのある素材を炙るなどして香気を強調して、「食欲を刺激して、よりおいしく食べていただけるようになります」(多田氏)。また、流動性が高いジュレにしたことで、口中で香りの広がり方に時間差をもたらし、おいしさを味わえるという。

嚥下障害にはレベルがあり、これまでは出来上がった料理をミキサーで砕いたり、刻んだりするものだった(重度のレベルは、胃にチューブで直接栄養物を流しこむ)。人間は加齢とともに口の中で噛んで唾液と混ぜる咀嚼の力と、飲み込んで食道に流し込む嚥下の力が低下していく。高齢者の死因で常に上位となる肺炎のうち80%以上が「誤嚥性肺炎」(食べ物が食道ではなく、気管に入ること)だ。 誤嚥を防ぐには、適度な粘度があって「かたまり」になりやすく、ベタベタする付着性をなくし、なめらかに喉を通っていくことが重要になる。
そのため、どうしてもミキサーで料理をドロドロにしがちだったが、料理そのものの味を再現できたのが、「にぎらな寿司」である。

日本は世界で最初に超高齢社会に突入し、アジア各国がそれに続く。 食べることは栄養源の補給だけではなく、「喜び」や「楽しさ」でもある。

いつか「にぎらな寿司」が冷凍食品のようにスーパーで手に入るようになると、食事に困る人々の生活に、楽しみが生まれるかもしれない。

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食べることって本当に生きていくことの基本だなと思う。
上記記事の中にもあるように、食べるものが身体を作るという意味だけではなくて、食べるということの喜びや楽しみを感じることが生きていくことの中心になりうるという意味でも。

高齢になったり、あるいは病気で食事の制限ができてしまうと、それだけで気分が落ちてしまうだろうと容易に想像できる。

だって、実際自分が入院した際術後のごはんの内容にがっかりしたことがあったから(私の場合それはほんの一時的な制限であり、仕方ないことなのだが・・・。)。

それが長いことずっと続くと思うと、特に食べることが好きな人にはとても苦痛だろうと思う。
私の祖父(物心ついたときには亡くなっていて、あまり一緒に過ごしたという記憶が少ないのであるが)は大の白飯好きで、病院で入院をしていたときの食事に粥が出て、「なぜ白飯を食わせないか!?」と激怒したのだと父が言ったいたのを思い出す。

生ものは確かに免疫力が低下した高齢者には避けてしまう食材であるし、また嚥下がうまくできない高齢者に、どろどろではないものを、となると難しいから食べさせない、という選択肢を周りがとることは簡単だ。

でもそこにあえて果敢にチャレンジしたというところがすばらしい。


最近別の記事で、透析患者さんでも食べられるメロンを開発した、という内容を見たことがある。(カリウムの体内での正常な濃度の範囲はせまく、低すぎても高すぎても人体に深刻な影響を与える。透析患者さん、あるいは腎臓の機能が低下した方はカリウムを排泄することが健常の人より難しいために、高カリウム血症に陥りやすい。生野菜や果物で容易に上がってしまうので摂取量に注意が必要である。)
透析患者さんは、カリウムだけでなくリンなど様々な値に注意が必要で、何かと食事制限も多い。食べたいものが食べられず、週3回透析に通わねばならず、拘束や制限だらけで本当に大変だと感じる。
そんな中、このメロンなら食べていいよ、と言われたら、果物好きな患者さんはどれほど喜ぶだろうか。
生きる希望すら感じるだろうな、と思うのは大げさではないだろう。

科学や医療が、単に人の生活を便利にするだけというのはもう古いのかもしれない。
いかに困った人、不安を抱えた人を安心させられるか。
障害や病気があり、生活上困難を感じているところを手助けできるか。

技術だけではなく、人としての接し方もそういう視点を持つべきではないか、この記事から私も患者さんとのコミュニケーションや接し方を改めて考えさせられたところだ。


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