こっそり(公開)ファンレター|岸見一郎さん
身辺が落ち着いたので、遅ればせながら2022年のnoteを振り返ると、大きな出来事がふたつありました。
そのうちのひとつについて、(うれしいことだったので)書き留めておこうと思います。
🌱 note からの通知
note からのメール通知をONにしているので、たまにフォローしてくださる方がいるとお知らせが届きます。
思わず目をむいたのがこちら。
「岸見一郎さんがフォローしました」。
...天下の岸見さんが...(震)
一瞬取り乱しかけました...同時代の著名人の中で、身構えることなく親しみを持って、メディアやSNSを拝見できる、私にとっては希有な方です。
いろいろなことを教わりたいと、ご著書を拝読している身なのです。
岸見さんのタイムラインのお目汚しになるかと思うと、もはや畏れ多くてnoteの更新ができないんですけど...? と冷や汗をかきましたが。そういえば、「相手がどう感じるかは相手の課題ですから、気にしなくていいのです」と教えてくださったのが、当の岸見さんだった...と思い返して、緊張が少しおさまりました。
それにね、きっと、小指がフォローボタンをかすめただけで、お気づきになってらっしゃらないのだろうと思ったら、さらに気楽になりました。
今もこの記事を書きながら、(まだフォローしてくださっているのだろうか...)と確認して、緊張したり、うれしくなったりしています...私、特に専門性が高い分野もないので...。
🌱 岸見さんのnote〜お写真も楽しみ
岸見さんのnoteはいつも楽しみにしていて、じっくり拝読しています。
哲学者・岸見さんですから、メインのコンテンツはもちろん文章。哲学や勇気づけ、物事の捉え方、人生において求められる知恵など、心を整えるための文章をお書きになる方です。
ご著書やnoteを読みながら、「岸見さんが私より先にお生まれになっていてよかった」と思うこともしばしば。人生の様々な局面について考察され、指針を書いて下さるからです。まさに、"先に生まれた"先生、ですね。
内容はもちろんですが、文章そのものがとても穏やかなので、読んでいて気持ちが落ち着きます。思慮深い方、というのが、私の思う岸見一郎さん。
ですが、ひそかにもうひとつ楽しみにしているのがタイトル画像のお写真。
note のプロフィールを見ると、ご趣味がカメラ撮影。GR3とのことなので、おそらくはRICOHのGR Digital III のことだと思われます。
広がりのある画面はとてもきれいですし、やっぱり写真も穏やかですね。鳥のクリアな写真は望遠レンズっぽいのでGRではない気がしますが、風景はきっと広角度合いから推測してGRなのでしょう。
写真を鑑賞して、言い表す言葉を考えてみるのですが、やっぱり「穏やか」。クリアすぎず、少し曖昧で余韻のある雰囲気がとても趣深いのです。あと、なぜか"車窓から見ている景色"という感覚になります。
日常の景色を撮っておられるのかなとは思いつつ、どこか旅人感のあるまなざしを感じます。きっと、古代から現代までを自由に行き来しておられるからこその、"時の旅人"的な感覚だと思うのです。
Twitterでは、お孫さまの利発でかわいらしいご様子♡も伝わってきますが、いつかカメラのおはなしも拝読したいなあとひそかに思っています。(きっと語り出したら止まらないはず(◍•ᴗ•◍)✧*。)
写真で選んだ記事(ウィリアム・ターナーの風景画みたいですよ)↓↓
🌱 おうちにGR Digital II があったので(^^ゞ
実は家族がGR Digital II を持っていて。私がカメラ好きになる前からあったのですが、あまり意識したことがなかったのです(外観が硬派なのもあって)。でも、岸見さんとお揃いだから♡(たぶん) と、お蔵入りしていたのを貸してもらって、劣化していたバッテリーを購入。さっそく撮影に出かけました。
ちょうど縮景園(広島市中区)で、冬咲き牡丹の展示をしていたので、そちらへ(その写真は過日掲載しました→『冬咲き牡丹の前でためらう|写真|日記』)。
この記事では、縮景園の帰り道、広島県立美術館前の南北の通りで撮影した夕景を載せます。GR Digital II、iPhone8、そしていつものPEN E-PL9 + zuiko ED 60mm macro で撮り比べ。GRに慣れていなくてAutoモードで撮ったので、条件を揃えるために、E-PL9も(めずらしく)Autoで。
建物の多い街なかで撮ると、端の建物が内側に傾いてしまうことも多いのですが、GRはiPhoneより歪みが少なめでした。きっとレンズがよいのね(^^)
あとで知ったのですが、カメラを水平だけでなく鉛直に構えると歪みが少ないのですね。(だけど、水平を取るので精一杯なのよ)
🌱 本筋に戻って〜岸見さんの本
岸見さんの本の中で一番感銘を受けたのは、『嫌われる勇気』(続編『幸せになる勇気』も♡)。この本で岸見さんを知ったからというのもありますが、劇仕立てというのが個人的にツボなのです。
「青年」のちょっととんがった性格設定に共感。ドストエフスキー『地下生活者の手記』や中島敦『山月記』なども思い浮かべたりしながら...。
終盤の「ダンスをするように生きる」のくだりは本当に感動的でした。
ちなみに、エネルゲイア的な生き方というのは・・・人生を旅に喩えるとき、目的地に到着できてもできなくても、旅すること自体が楽しい、一瞬一瞬が充実している、というような意味です。
この本は電子書籍で読んでから、家族と知り合いに勧めるべく書籍版を2冊買って実際にプレゼントし果せたという、私にしては行動的なことまでした本です。
でも、「自己肯定ではなく自己受容」「〈いま、ここ〉に強烈なスポットライトをあてて生きる」など、読んだはずなのにまた振り出しに戻って同じ堂々めぐりで悩んでいることを発見。また読み直さなければと思いました。
こういった本は、知識として「わかった」だけではだめで、思考の癖がつくまで、音楽/運動系の部活みたいに練習を積み重ねなければならないものなのかもしれません。《エネルゲイア部》ちょっと始めてみましょうか(◔‿◔).・:*♡
🌱 『幸福の哲学』
さて、上記の本は共著なので、岸見さんファンとしては単著もご紹介しなければなりません。いろいろありますが...たくさんあるので読み切れてはないのよ(>_<)
...などなど、目次の見出しを振り返るだけでも頷くこと多々。根が心配性で不安定なので、処方箋は欠かせません(^^)
岸見さんの本は、岸見さんの声...というより語り口で脳内再生されています。文字で書かれた口承(語りもの)みたいで不思議。
古代ギリシャの時代からすでに、幸福について考えられていて、時代によってさまざまな変奏曲を奏でつつ、集合知としては「こうすれば幸福=穏やかに生きられる」という処方箋は出来上がっている。でも、個々人でそれを実践し《悟りを開く》ような心境に到達するには、人生は短すぎるのかもしれません。そんなことも思いつつ...。
三木清やアドラー、森有正、フロムなど、ご著書で取り上げられるたびに、読んでみようかなと目を向けるのです。でも、やっぱり岸見さんのご説明が一番わかりやすいし、現代に合わせた解釈が入るところも変奏曲の醍醐味ということで、結局原典までは手が伸びず...。
岸見さん軸で読みたい私です。
今は『愛とためらいの哲学』を読んでいます。
その次は...SNSを続けるほどに裏返しの病理みたいにくっついてくる『不安の哲学』『孤独の哲学』にしようかな...(^^)
🌱 『愛とためらいの哲学』より引用
では最後の締めくくりとして、(劇というパッションの力を借りずとも)しみじみと深く沁み入り、希望の湧いてくるような、岸見さんの真骨頂(たくさんあるけど)ともいうべき箇所を引用させていただきます。
電子書籍で読んでいるため、紙の本でのページ数が不明なのですが、主に「第3章 人を愛するとはどういうことなのか」からの引用です。
人生において最も重要なのは「愛」だろうと思いますが、なぜそうなのか、ということが視えてくる、とても大切な"鍵"だと思っています。
ほのぼのとした前向きな言葉、気持ちを高揚させる一時的な励ましだけでは乗り越えられないことも多い人生。その、長い時の流れを渡りながら、味わっていきたいことばだと思うのです。
勇気という名の、小さいけれど確かな灯り、なのかもしれません。
↑これが叶えば、戦争もなくなるのになあ、とため息をつく私です。
↑恋愛に限らずあらゆる人間関係において、肝に銘じている言葉です。
↓そして、なぜ人生において「慈しみ」や「優しさ」「配慮」...なかでもとりわけて「愛」が重要であるかの理由。
個人的な感覚かもしれませんが、「愛」の対義語を考えるとき、「憎悪」や「無関心」ではなく「死」なのではないかと感じます。しかも、対立するものでありながら背中合わせの関係。
愛を知ることによって、本当の痛みを知るようになるのも、そのつながりなのかもね。慈しみ/優しさ/配慮はそこまで深い痛みを伴うことはないけれど、「愛する」相手がたとえば怪我や病気をしたら、自分も蚊帳の外にはいられません。お互いに半分溶けかかって混ざっているようなものなのかも...。(たとえが美しくなかったね・汗)
上記の引用で、愛=永遠が死と対比されつつセットで語られるのは、ちょっとキリスト教的でもありますね。
「愛の宗教」とも呼ばれるキリスト教ですが、イエス・キリストが隣人愛・人類愛のために十字架で死を迎えた(しかも神の子という高い地位(?)でありながら)というそのことが、当時の人にとって驚天動地=思考の枠組みの大転換のもととなっていて、それはソクラテスの毒杯に続く、人類精神史上の二大「死」。
その理不尽な死への憤り、師への思慕や「愛」情こそが、"弟子"たちをたゆまぬ"布教"に向かわせた...というのを別の本で読んだことがあります。(甲田純生さん『1日で学び直す哲学』)
「愛」も「永遠」も「死」も、西洋思想の根本に関わる問い、なのかもしれませんね。
(東洋だと立ち位置が違う気がするので)
「愛」もまた、理解するのではなく実践し、相手に合わせて更新し続けていくもの。《エネルゲイア部》のパート練習、いえ、メインテーマもしくは大いなる"交響曲"として、部活に励みたいと思っています。岸見さんを名誉顧問にさせていただくことにして(◔‿◔)♡
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