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断想二篇


わずかながら悲しみや痛みを知る者として、慈しみという名の愛を歌う。
そうすれば、後ろ指をさされることもない。

けれど、痛恨の極みながら私がうたいたいのは愛ではないらしい。


美、というもの。

古い友人がかつてこう言っていた。
飢えてさまよう幼子の足を止めさせ、魅入らせる絵を、自分はいつか描きたいのだ、と。

それは支配であり傲慢、また究極の救いであり愛だ。

おそらく、ウィーダの小説『フランダースの犬』で、少年が見たルーベンスのような絵なのだろうから。


私はどうなのか。

美には愛とは違う作用がある。

愛は永劫である。世のある限り続く。
美は、その一瞬に目を奪い、その一瞬、時を止める作用がある。
──永遠と無時間性の関係。


破壊衝動を、諍いを、戦争を止めるのは、愛なのではなく、もしかしたら美なのかもしれない。
少なくとも、かつて戦争によって、人命や尊厳とともに奪われた美そのものを修復することなら、少しはできるかもしれない。



けれど美には同時に禍々しい部分がある。優しく清いだけでなく、きれいな切り口から滴る鮮血のような凄みもある。
ときには、清冽なる預言者の首を銀の皿に載せさせたりもする。

その冷たい刃の美は破壊を止めはしないだろう。


それならば、美とは何なのか。

おそらくは、愛よりも先に地球にあったもの。
愛が人間とともに終焉を迎えても、
まだ残り続けるであろうもの。


中島智氏の「ヒトに先天的に仕掛けられた『呪われた部分』」という言葉を見たとき、目を開かれた思いがした。

慈しみは人を呪わない。
けれど美はヒトを呪うことがある。


そう思いながら、今日も私はことばのただ中、頭や心、体すべてに響く色彩を探している。時に自分自身に後ろ指をさしながら。




今でも、そしてこれからも一生忘れないであろう一枚の写真がある。

小学4年生、原爆資料館で見た展示写真だ。

ひとの形をした黒灰色の、フィルムの加減か緑がかった塊は、上半身を斜め背後から写してはいたが、ほとんど焼かれた爬虫類に見えた。

おそらくABCCが撮ったものだろう。


写真とは、このようなものを撮るために生み出されたのだろうか。

好んでカメラを花に向けるようになってから、時折その思いが迫ってくるようになった。

あの一枚の写真のために、何枚の美しい写真を撮れば、事実が取り消せるのだろう。修復できるのだろう。眼裏まなうらから消えるのだろう。

決して元には戻らないと知りながら。


加害と被害の果てに、かつて破壊され復興を遂げた広島の、かつて壊滅した泉邸=縮景園で、私はまた美しい花の写真を一枚、撮ろうと思う。



あとがき

前回載せた詩のこと。
ふたつの断想(メモ)をスマートフォンに書き留めて、やっと正体がわかりました。

あの男性は「美」で、女性はおそらく「人間」ということなのだと思います。
(はい! わたしです! と名乗り出るのはおこがましいのでやめておきます(*´艸`)クスッ 私は一人の使徒、巡礼に過ぎませんから)

男性が持つ、火花のような美しい目、永遠に朽ちることのない体。死んでいるのは完成(人生は死をもって完成しますので)、不変の表れ。
合一することができても短い間で、呼ばれながら焦がれながらさまよって、見つけ出しても触れ得ず、そばで守ろうとすることしかできない。
そして、美の禍々しさゆえに「過ち」でもある、ということ。

美≒自然と考えるなら、最後に女性が半ば樹になっていくのも頷けます。

無意識って、なにもかも承知しているのかもしれないね。

なぞ解きできてすっきり(^^)

これで、この夏にじっくり読み込んだオスカー・ワイルド『サロメ』からの、もうひとつの銀の皿に載せられた置き手紙を、お返しすることができる…かな?(◔‿◔)


P.S. 広島のおはなし。いつもためらいながら…今回も、迷っていたけれど、みんフォトご利用通知をたどって2件訪問したら、どちらも戦争と平和のおはなしだったので。




縮景園の芙蓉
「また会いましたね」
声をかけてくださったのは、ボランティアガイドさん。
紫陽花の終わる頃、お話しした方です。
木々の実を取って、調べてから味見をすると前回伺ったので、
その後レパートリーが増えたかどうか、訊いてみればよかった。


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