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母子家庭、アパレル復帰。

話はまたまた過去に戻ります。


アパレル復帰が出来る嬉しさと、心療内科へ通院している事を会社に黙っている事と、発作が仕事中に出たらどうしよう…
そんな不安も抱えながら、薬を上手に服用しながら働いていました。
年末年始はアパレルの繁忙期。
人混み。長蛇の列。逃げ場が無い。
そんな事も働いている環境が好きだったからか、発作と上手く付き合う事も出来ていた。
最悪、従業員トイレに篭る。

ただ保育園のお迎えはいつも延長保育の1番最後。
ごめんね。って気持ちと辛抱してね。
こんな事を思いながらも、、
実は遅延が多い電車通勤区域。
毎日地獄な日もありました。
遅延をすると言うことは、次に乗る電車は満員電車。
何回も挑戦しようとしたけど乗る前から脂汗。
手の震え、吐き気、気が遠くなる様な感覚。

乗れなかった。
何回か見送って人が少なくなった電車に乗り込む。
こんな事が増えてきて
最後の方は、帰りの電車すら乗る事が出来ない日もあった。
保育園…迎えに行かな…!と思うのに乗れなかった。
愛息子の事を思っても考えても、
"根性"と言うものだけではなんともならなかった。
親友に甘えた事も何度もある。
保育園に迎えに行ってもらったり、職場まで迎えに来てもらったり。
今考えても、有り難い。感謝でいっぱいになる。


こんな感じで、薬が何回か変わったり、減ったり、増えたり。
心療内科の院長とはすごく合う。
院長に会うと落ち着く。

仕事もなんとか…って感じで順調な頃。
韓国に行きたい。
ずっと前から行きたかった韓国。
勢いで今なら行ける気がする。
パスポート、飛行機のチケット、ホテル。
流れ作業の様にすぐに予定を立てた。

空港までの移動は寝る。
飛行機の中も寝る。
この作戦で、なんと。
いや、もはや、私の病気は治ったのか?と思うくらい
昔の私がいた。

人混みでも平気。
人の多い場所でもご飯が沢山食べられる。

あれ?何?

そこから帰国するなり、韓国に行く事を目標にして働いた。
昔の元気だった頃の私に会う為に。
まだ小さかった息子がしきりに言ってきた言葉がある。
『◯◯ちゃん、(私の事を名前呼びします。)韓国に行こう!◯◯ちゃん、日本より元気!どこでも出かけれる!だから行きたい!』
息子ですら感じている。

日本で過ごす私と、韓国での私の違い。

ほんまは、私といっぱいいろんな所に行きたいんやろうな…そらそうよな。と思いつつ
周りの力を沢山借りて、九州に旅行に行ったり、その頃すきだったコンサートにも息子と出かけたりした。
勿論、韓国にも。

よく、パニック障害で飛行機は乗れないよ!って言ってる方もよく見かけます。
わかります。私は大丈夫なんです。でもバスや地下鉄は乗れません。きっと人それぞれなんです。
私はパニック障害の当人なので、だから同じパニック障害の方なのに、なんで美容院に行けるの?!
なんで遊園地に行けるの?!映画行けるの?!
私もそんな時がありました。
飛行機…絶対乗れるタイミングがきますよ。
大丈夫です!
絶対にうまく付き合っていけるタイミングがあります。

分かった事が1つ。

すきな事だから、すきな場所だから。
発作が出ない、出ても軽い。
最初はそう思っていた。
でも、初めはどうだったか?
すきな場所ですら逃げていた。

じゃあ、今と最初の違いは…
今は確実に病気に向き合い出した。
例えば、発作が出たらどうしよう!!!!
ばかりだったのが
発作が出たら、こうして、ここに逃げよう。
発作が出そうになる前に信頼してる人に先に伝えよう。
って事を勝手に先読みをする様になっていた。

この脳への意識信号がうまくバランスを取れていたのだろう。

だが…

何年か過ぎた頃。
確実に仕事が苦痛になっていた。
こんなにすきな仕事なのに。
こんな話が出た。
エリア社員にならない?
エリア社員と言うのは関西エリア全ての店舗での勤務。
母子家庭の私には到底、無理難題。
いや、精神疾患を患っている私には無理だ。
長時間の通勤時間、勤務先の新しいスタッフ、子供が熱を出したなど、急に帰る事が不可能になる。

勿論、母子家庭だし子供ちゃんの事もあるからね。
と、言われ一旦保留という形を取った。

ただ確実に雲行きが怪しくなる。
上司が変わったり、スタッフが卒業したり、正直責任が重くのしかかっていた。

ストレス。

辞めたい。
体調もまたふりだしに戻っていく感覚があった。
よく家で泣いていた。
何が辛いか分からない。
仕事に行こうとする足が重くなる。
職場に着くと吐き気。


ある日、仕事に行けなくなった。

連絡もせずに。無断欠勤。
いろいろ問題になり、エリアマネージャーまでが店舗にくるまでになっていた。

思い立った時には、社員証、入館許可証を持って、電車に乗っていた。
エリアマネージャーに『ごめんなさい。辞めます。』
こんなにも働きたくて働いていた場所をこんな二言で辞めれてしまうのか。

エリアマネージャーが、私に優しくて、ほんまは辞めるのを引き止めたい。と言う。
ただ、涙がとまらなかった。
私が普段から熱心だった事を見てくれていた人だったので、泣く程、辞めたくない素振りなのに何故辞めてしまうのか。
不思議だったのだろう。

正直に話をした。
持病がある事、いろいろなプレッシャー。
嘘をついて、入社をして申し訳無かった事。

沢山話し合いました。
普通は辞めます。
わかりました。
これで終わるはずなのに、辞める私に時間ある?
体調大丈夫そう?と言ってくれ
最後に話をしたいと言ってくれた。

この数年、私を見てこんなに熱心で、心からほんまに服がすきだ!ってスタッフを見たのは久しぶりの事で母子家庭で大変なスタッフだけど期待をしてくれていた事、将来的に本社で働いてもらえたら…と思ってくれていた事。
実は、このエリアマネージャーに古着の買付けとか興味ある?ピック一緒にやりたいね!って話を振ってもらった事があって、アメリカなんだけど、子供ちゃんの都合つけるのは難しいよね?と配慮してくれていた。
勿論、そうなんだけど。私の病気を知らない人ばかりで海外なんて絶対無理。
これが本音。

最後、身体と心は大事にしなよ!またどこかで。
と、本当にアパレル復帰から数年で退社した。

今考えても、迷惑かけっぱなしだったけどすごく良い同僚に出会えました。
今でも、その同僚とは仲良しです。
たまにお店にも覗きに行きます。

母子家庭のアパレル復帰、最後ははちゃめちゃ。
結局、何歳になっても破天荒。

もう少し仕事は休む事を決めて。

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