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0328-0329眠れない

日本全国、朝にしてはやけに光が少ないであろう今日の私は、文体が変わりそうな気分の沈み方をしているけれど出来るだけ普段のように軽口を叩きたい。

身体の調子がすこぶる悪いのを天気と生理のせいにしているけど、なんだかそれにしては熱が上がったり下がったりチワワを飼いたくなったりしているから、仕方なく寝たきり生活をはじめて4日目。
夜中にうなされながら薬を飲んでいたけど、なかなか治らないものは治らない。ウーンウーンと唸ったところで治るような身体症状ではないし、承知の上で唸ってみせる。

眠れないまま朝を迎えてしまった。しまったと文末につけてしまうような、眉を下げている10代の女の様子を想像してはならない。外は薄灰色の膜が張って、私みたいな人間が地球から出られない(いや、出ようとしない)ことを知っている様子だ。

3月28日の時間帯にあった今日は、映画を観た。意図せず2本。
「裸のランチ」を見終わったあと、ふいにテレビに黒澤明の「羅生門」が映った。

へっぴり腰の男の斬り合い、畳み掛けるように叫ぶ女、あまりにも面白いのでいくらか画面を写真に撮る。下人の目の感じ、盗人の肩のすくめ方、オーバーといえばそうかも知れないけれど、最近の映画やドラマよりも、見てて心地が良いまでの感情があった。

黒澤明は避けてきた。なんとなく、巨匠と呼ばれる人間の作品を見るのは、芥川賞を獲ったばかりの作家の、大量に陳列される本の1冊を手に取るような風情があり、私には好ましいものではなかった。
しかし、その感覚も間違いのように思えてきたから、黒澤明は私の思想を曲げかねない畏怖すべき存在だ。接近したい欲求に飲まれ、あぁ、これが恋なのだろう(違う)。

さて、映画を普通に座って観たと思い込んでいる人に、“ダイニングテーブルに横たわりながら映画を見ている”ということを伝えとりあえず映画の話はおしまい。

夜が始まると、朦朧としながら布団の中でウンウン唸っていた。医者から先日処方された薬は効かないし、仰向けのままギターを弾いてもすぐに飽きるし、枕元に本は積まれるばかりで一向に読めない。

熱が上がったので冷えピタを貼ったら、ゆってぃになった。朦朧としてるので笑いながら自撮りをしてTwitterにあげたら、楽しくなりすぎた。無駄なハイ。


暴力とか殺意とか、そんなことを意気揚々と喋り、自分にある最大限の高まりのまま、ツイキャスで短歌を読む(評をする)練習を兼ねた遊びをする。
短歌や詩を読み込むのは好きだが、喋ったり、時間に追い込まれたり、他者の言葉の音質を知ることで考えが深まるため、なかなか1人では出来ない。なので歌集詩集は読めないまま、本棚に行儀良く収まってしまうから、定期的に読むキャスをしたいな、という思いが生まれる。

あ、そういえば東京は雪の予報らしい。

東京を離れてから1ヶ月が経とうとして、もう季節は春に身を浸していると思っていたのに雪が降ると言う。
私はもう、戻るつもりのない土地の雪を見たかった。
朝6時に薄手のコートを羽織って海へと歩いてゆく。小雨が降り冷たいが、傘は好きではない。ただ呆然と防波堤に腰を掛け、深夜のツイキャスで投げられた

きっときみがぼくのまぶたであったのだ 海岸線に降りだす小雨/正岡豊

を思い出した。
私はまぶたを失って、最近過去ばかりを思い出すようになった。お陰で忘れかけていた希死困憊で身体の調子が総じて悪い。まぶたを閉じるとまぶたしか見えない。東京で私は、辛いことばかりではあったけど眼前の現実をいつも見ていた。小雨という、今ある感情に純粋なまでの思いを馳せることが出来なくなった主体は、暫く薄灰色の空を見るかも知れない。でもそれ見ることを、私は好ましく思う。

体が鈍って仕方がない。まだ暫く眠れない。視線を携帯の画面に落とし、皆が少しずつ起きていくのを眺める。

私はなんだか、許されている。