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学校のデザイン 創作大賞2023応募


回路

高校の頃、違った人同士が友人になった。

ある人、マナブは、数学が好きで、高校では珍しく塾に通っていた。しかし、数学以外は僕の方が点数が高かった。しかしだからこそ惹き付けるものがあった。そして僕は、英語は得意であった。塾とかは通ってなかった。それに勉強はできるのに、学校サボったり、いろいろな反抗をする友人、たかしもいた 。その友人は、僕やマナブがまんべんなく勉強できないからこそ、物理的にすごいやつで、そういう尊敬の念や必要にしてることが、そのたかしを学校に繋いでいたのだと思う。それを言うなら、マナブと僕もお互いに必要だったのだろう。

そうは言っても学校は高校は楽しかったがそれ以前は憂鬱であった。日曜日になると怖くなったのを覚えている。

大学の頃のゼミの仲間は皆良いやつだったがお互いに壁を作ってしまってるようですごく楽しかったかと言えば楽しくはなかった。なぜかは、楽しいことに臆病だったからだと思う。設計図はあるが、そこにいろいろなダンジョンが混じり、上手く設計図を完成させられなかったんだと思う。怖がりなんだよ。

助け役がいなかった。それが必要。

学校は、勉強に偏ると勉強が一番になると、いじめや辛いことが起こる。

何か自身の思いを受け入れてもらえるという安心感や、一緒に何かを成し遂げる達成感、学校という場が楽しいと思えることがあるとやはり、その人の自己肯定感は強くなり自身をも大切にする。

学校とは小さな社会なのかもしれない。とは言っても、コミュニケーション力や基礎学力は学校では重要な学びだ。

学校とは社会の縮図という設計回路なのかもしれない。

話を戻そう、高校の頃はお互いに必要としていたが、それだけではなかった気がする。

そこにもしかしたら、何か組み込まれていたのかもしれない。ゲームも勇者や魔法使い、戦士だけではなく、何かしら、途中急遽助けてくれるキャラがいる。

それは高校の頃にもいた。それは常に休み時間は図書館にいる友人だったり、交友関係が広く、いろいろなやつと関われるやつがなぜかちゃっかり一緒にいたりした。

価値観が近くて、全然違うやつがいた。

それは、恐らくだが、図書館にいる友人は異性に興味があり、そのどうしよもない葛藤を持っていた。だからこそ、僕やマナブ、たかしというそんなにモテないが時に女性の話題で盛り上がるやつ、そして、そういう僕らだからこそ、入って来やすかった。そしてもう一人の友人は恐らく好きな人が、不器用な人を好む人で、そのことで冴えない僕達に興味を持ったのだろう。もちろんそれだけが理由じゃない。要は、勇者や魔法使い、戦士を助ける人も、助けられていたんだ。気づかない内に。

設計回路はや僕らを繋いでいたものの一つに、恐らく、誰かが誰かに恋をしたり、好きな気持ちがあったように思う。

で、大学の頃、あなたはなぜ福祉を目指した?と聞かれることがあるが、それを答えられる人ばかりじゃないから、それはあまり気にしない方が良い。その人なりの設計図があったんだと思うよ

そして、今もだが、自身を悪と思っていて助けを呼ぶに値しない人間だと考えている。

そして今。

福祉分野にはアセスメントというものがある。身体的な障害があったり生活する上での困難がある方が、生活する上でどんな困難さがあるかについて把握するための情報収集だ。

そして原因を把握して生活しやすくするためには、生活するにあたって、生活歴を知る。生活歴は、その人がどういう風に生きてきたかだ。

そこからどんなものを好むかやどういう特技があるかわかることもある。そして食事や排泄、お風呂、いろいろなことに対して、現状はどうか考える。それは身体的にも精神的にも、できているか、あるいは誰かに助けてもらってできているか等確認していく。

その上で、課題になるものがあれば、それはどんな支援があれば、改善されるか考える。そこには、その利用者の強みや力が果たす役割も大きい。そして最後に、そこからニーズを導き解決を目指すんだ。

それも多職種が一緒になって考えていく。

恐らく、その方の問題解決をしたい気持ち、そして、その人の生活が改善されたら、その人だけでなく多くの人が幸せになる。もしかしたら、それは自分にも及ぶかもしれない。それぐらい誰かを支えるのは不思議なものだ。

それは、高校生なら恋する気持ちだが、今は幸せという気持ちに変化したのかもしれない。

そういう意味では、設計回路は、アセスメントという物に変化しただけなのかもしれない。実際はもっと複雑たが。

そういう捉え方で、人々が助け合うようになれば、学校は楽しく、自身も大切にできるのかもしれないと思う。

そういう意味では、アセスメントで、人の人生に介入することは恐怖や緊張だけでなく、自身の中で尊いものなのかもしれない。

人の長所や生き甲斐や、何かできる喜びを知るということは、なぜ楽しいかの回路、設計図を述べた

子どもの楽しい、遊ぼうにだってこれだけの設計図があるんだ。

福祉の仕事は、思い出を作っていく仕事なのかもしれない。

僕の社会福祉士の仕事への憧れやしたい気持ちはそういう過去に感じた楽しさから来てるのかもしれない。

もともとの理由は言葉で表すことができないほど複雑で単純ということがよくわかる。

それを複雑に考えるからこそ、この道にいる?のかもしれない。