旅するふるほん屋「ぼちぼち堂」

旅するふるほん屋「ぼちぼち堂」です。奈良から世界へ旅します。 「ぼちぼちさん」とよんで…

旅するふるほん屋「ぼちぼち堂」

旅するふるほん屋「ぼちぼち堂」です。奈良から世界へ旅します。 「ぼちぼちさん」とよんでください。

記事一覧

2024『大門玉手箱』

「おおもんたまてばこ」と読みます。 奈良市鍋屋町にある、小さな神社でひらいている「ふるほん+あるふぁ」の市です。2009年から始めたので、今年16年目になります。 ほそ…

第百回「大門玉手箱」

空気が冷たくなってきました。ある神無月の一日。ぼくにとっては特別な一日です。きょうは大門玉手箱の日。13年前にはじめて、とうとう百回目になりました。たくさんの人と…

第98回「大門玉手箱」

本日開催します。 11時から午後4時くらいまで。 お散歩にいかがでしょうか?

記憶のひきだし

すきなものを集めたら、とりあえず引き出しにしまい込みます。 記憶もいっしょにそのものたちに魂のようにきざみこまれています。 ぼくたちの魂は太古の昔から引き継がれて…

忍びの街を忍んで歩きました。 「大門玉手箱」の相方の名前でもあります。 ご縁があるのでしょう。 かつて「おくのほそ道」を記した文豪もこの街に生まれたといいます。 …

こころの眼

みえないものを信じるには少々ちからがいるようです。 ただそのちからは、だれにでもそなわっていて、 使うことができるように思います。 そう、だれにでもです。 おひさ…

白と黒

もう白黒をつけるのをやめることにしました(笑) 眠い時はねる。おなかがすいたら食べる。 そしてまたねる。 ササもってこい♬

つき

ひかりの玉をみたことはありますか。 龍はその玉をさがしているといいます。 あるときは月。 あるときは太陽。 また、あるときは地球。 広い宇宙にただよう玉。 じつは…

船出

さあ、どこへいくのでしょうか。 こころ遊ばせる旅に出ましょう。

いのりとひかり

おまじないが効く年齢になりました。 こころの平安は、ろうそくの火のむこうにあります。 鈴の音が自分のこころのなかに響くとき、 過去と未来が同時にきたよう感じます。…

初詣いかがですか?

初宮神社の初詣お茶会。 本日ひらいております。 奈良市鍋屋町10 初宮神社が会場です。 お申し込み不要、参加費無料です。 ご自身で食べ物と飲み物、消毒薬をご用意くだ…

大門玉手箱2022

空をまうとき

きょうはプテラノドンに変身です。 いつか大空を舞っていた時のことを思い出しています。 あのころも今も地球は丸くて美しいことに変わりありません。 変身してもなにも変…

おおもん玉手箱の秋

ことしも残すところ3回となりました。 細々といまだ続けている「大門(おおもん)玉手箱」。 今回は「第91回」です。 百回目にはNYへ。 実現するのでしょうか? 秋も深ま…

恐竜時代の記憶

ぼくのなかに恐竜時代の記憶があるのかもしれません。 遺伝子の中には大古の記憶がつみあげられているかも。 たまにトリケラトプスだったころにもどりたい衝動にかられます…

ぼくの時間

日曜日のあさ。ツクツクボウシはまだ鳴いていません。遠くで草刈り機がひびき、バスの通り過ぎる音がきこえます。気持ちのいい朝です。 三月ほどのあいだ、自分の部屋の片…

2024『大門玉手箱』

「おおもんたまてばこ」と読みます。 奈良市鍋屋町にある、小さな神社でひらいている「ふるほん+あるふぁ」の市です。2009年から始めたので、今年16年目になります。 ほそぼそと続けていると、2月でなんと111回目となりました。 うそのようなほんとのはなし(笑) 「ならしみんだより」2月号で記事にして頂きました。長年続けていると不思議なことが、つぎつぎおこります。 はやり病が世界をかけめぐっているあいだも、静かにちいさく、ひっそりとつづけていました。おこられることもなく(笑)

第百回「大門玉手箱」

空気が冷たくなってきました。ある神無月の一日。ぼくにとっては特別な一日です。きょうは大門玉手箱の日。13年前にはじめて、とうとう百回目になりました。たくさんの人と本を通じて出会うことのできた幸せをかみしめています。始めた時は一度で終えるつもりでした。不思議なご縁をいただきました。 春日大社の若宮さんの摂社である初宮神社の神様に呼び止められてから不思議なことがたくさんおこりました。あれもこれも、あのはじまりの一度がなかったら起こっていなかった奇跡です。大門前の市場にも神様がい

第98回「大門玉手箱」

本日開催します。 11時から午後4時くらいまで。 お散歩にいかがでしょうか?

記憶のひきだし

すきなものを集めたら、とりあえず引き出しにしまい込みます。 記憶もいっしょにそのものたちに魂のようにきざみこまれています。 ぼくたちの魂は太古の昔から引き継がれているのでしょうか。 時に恐竜時代の記憶があるような錯覚をかんじることがあります。 それは、もしかしたら錯覚ではなく、本当の記憶なのかもしれませんね。 ながい間、宇宙空間をただよっていたように感じています。 最近は潜在意識の深い旅をしています。 顕在ノートに書くのではなく、 潜在ノートの書き換えを意識的におこなうよう

忍びの街を忍んで歩きました。 「大門玉手箱」の相方の名前でもあります。 ご縁があるのでしょう。 かつて「おくのほそ道」を記した文豪もこの街に生まれたといいます。 「隠密として旅をしていたとも言われている」。 そんなことも最近になって知りました。 読書というのは、いつかつかえる「夢多知識」をふやしてくれます。 きょう、大門玉手箱、やっています。 「忍」について、語ろうとおもっていたのですが、次の機会まで我慢します。忍耐、忍耐、どろろんぱ♪

こころの眼

みえないものを信じるには少々ちからがいるようです。 ただそのちからは、だれにでもそなわっていて、 使うことができるように思います。 そう、だれにでもです。 おひさまが誰にでもひかりをくださるように。 だれにでも。 おつきさまも、いつまでもいっしょにいてくれるように。 みえないようでみえるものも。 みえるようでみえないものも(笑)。 「ついている」とおもったひとはついているのですよ。 ハルウララ ひょうたんふれば こまのつき まわるおひさま いつもにっこり

白と黒

もう白黒をつけるのをやめることにしました(笑) 眠い時はねる。おなかがすいたら食べる。 そしてまたねる。 ササもってこい♬

つき

ひかりの玉をみたことはありますか。 龍はその玉をさがしているといいます。 あるときは月。 あるときは太陽。 また、あるときは地球。 広い宇宙にただよう玉。 じつは、自分自身の魂のなかにも同じものがあるようです。 そう、宇宙はひとのなかにひろがっているのかもしれません。

船出

さあ、どこへいくのでしょうか。 こころ遊ばせる旅に出ましょう。

いのりとひかり

おまじないが効く年齢になりました。 こころの平安は、ろうそくの火のむこうにあります。 鈴の音が自分のこころのなかに響くとき、 過去と未来が同時にきたよう感じます。 父が極楽へ旅立った歳になりました。 ぼくもそろそろ旅立ちの準備にかかろうと思っていました。 新しい時代は、ふしぎと不安を感じることがありません。 先日、ふと100歳まで生きれるような気がしました。 体がかるくなったのです。この感覚、不思議です。 足が体の重さを感じなくなったように思います。 ニュートンの時代

初詣いかがですか?

初宮神社の初詣お茶会。 本日ひらいております。 奈良市鍋屋町10 初宮神社が会場です。 お申し込み不要、参加費無料です。 ご自身で食べ物と飲み物、消毒薬をご用意くださいね。 楽しくお話しましょう!!

空をまうとき

きょうはプテラノドンに変身です。 いつか大空を舞っていた時のことを思い出しています。 あのころも今も地球は丸くて美しいことに変わりありません。 変身してもなにも変わらない休日。 ちょっと気持ちを空へ向けてみましょう。 きっと違った何かが見えてくるはずです。 最近力学のお勉強をはじめました。 フォークリフトに玉掛、小型移動式クレーンの技能講習を受講して、クレーンゲームの獲得勝率を高める研究をしています。 学校が嫌いになりつつある小学5年生が少しでも元気になるように(笑)

おおもん玉手箱の秋

ことしも残すところ3回となりました。 細々といまだ続けている「大門(おおもん)玉手箱」。 今回は「第91回」です。 百回目にはNYへ。 実現するのでしょうか? 秋も深まってきました。 読書の秋に、なにかをみつけてみましょう。 箱主さんもゆるくゆるく募っております。 当日、直接きてくだってもOKです。

恐竜時代の記憶

ぼくのなかに恐竜時代の記憶があるのかもしれません。 遺伝子の中には大古の記憶がつみあげられているかも。 たまにトリケラトプスだったころにもどりたい衝動にかられます。 本もなければ、人間もいない。そんな世界が懐かしい。 すこしこころが疲れているのかもしれません。 ただ旅をしていたい。そんな思いです。 あるときは魚だったかもしれません。 大海原をきもちよく泳ぎ、サメのえさになっていたころ。 いつも旅をしていたし、いつも楽しんだり、恐怖を覚えたり。 それは結局、いまとかわりが

ぼくの時間

日曜日のあさ。ツクツクボウシはまだ鳴いていません。遠くで草刈り機がひびき、バスの通り過ぎる音がきこえます。気持ちのいい朝です。 三月ほどのあいだ、自分の部屋の片づけをしています。 いつのころからか、貯めこんだ本と、いろいろな人生の雑貨たち。それをみていると懐かしいやら、あほらしいやら(笑)。それでもそのあほらしい自分が好きになる瞬間があるのです。そのときぼくが必要としたものが、その瞬間ぼくに幸せな時間をくれたのはまちがいありません。ありがとう「あほらしいものたち」。 もの