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月の砂漠のかぐや姫 第298話

「いた・・・・・・」
 羽磋の口から、小さな声が漏れ出ました。
 ずっと彼は必死になって、濃青色の球体の姿を探していました。ですから、ようやくそれを見つけることができて、もっと大きく喜びを表しても良さそうなところです。でも、身をギュッと固くしてしまった彼の口からは、それ以上の言葉は出てきませんでした。
 羽磋が身構えてしまったのは、再び地下世界の空間に現れた濃青色の球体の姿が、これまでのものと全く異なっているように見えたからでした。
 外部の物が映り込むほど滑らかだった濃青色の球体の外殻には、大きな裂け目が生じていました。球体の内部でグルグルと渦巻いていた青色の雷雲は、さらにその動きを増していて、その一部に至っては、裂け目から外へ飛び出していました。外側に出た雷雲は、外殻に沿うようにして上へと昇りながら、湯気のように空気の中へ消えて行っていました。
 空に浮かぶ雲のように優雅だった球体の動きは、もう見られませんでした。時折りガクンガクンと不規則な動きを見せながら浮いているその様は、球体が息を切らせながら苦し気にしているようにさえ見えました。また、球体の下部から絶え間なく降り落ちていた青い雨は、いまでは青い水流と言えるほどに水量が増えていました。
 そして、一番変わったものとは、その球体から羽磋たちが受け取るものでした。初めに現れた時には、その球体は理亜たちに対する不信感と怒りを顕わにしていました。ただし、この時に球体が伝えてきたのはそのような気配だけで、羽磋たちが母を待つ少女の母親と言葉を交わしたのは、その球体に吸い込まれた後に入り込んだ意識世界の中でのことでした。
 ところが、いま青い煙のようなものを割れ目から吐きながら宙に浮かんでいる球体からは、その内部で聞いたものと同じような大きな叫び声が伝わって来ていました。
「それだっ! 私が聞きたいことも、それだっ! 少年よ、その少女が言うことは、間違いではないのか。どうして、その少女が私の娘であるということになるのだ。由は、私の娘の由は、そのような赤い髪ではなかったぞっ!」
 その声は人間が出す声のようでもあり、熱水が地面から吹き出す時に生じるくぐもった音のようでもありました。それは非常に大きくて力のある声として伝わってきましたが、球体内部の意識世界で母親から浴びせられたような、強い憤りや激しい怒りを伴ったものではありませんでした。羽磋には、その声が伴っている感情は、王柔から掛けられた声に伴っていたものと同じものに思えました。それは、「深い当惑」と「答えへの渇望」でした。
 そうです。いま正に、母を待つ少女の母親が変化した濃青色の球体は、自らが覚えた深い当惑の答えを羽磋に求めるために、傷ついた姿を現したのでした。
 濃青色の球体内部にある意識世界の中で、小刀を構えて自分に向かって来る羽磋やその背後にいた理亜たちに向かって、母親は巨大な竜巻を投げつけました。その竜巻は沸騰する怒りのままに自らの持てる力の全てを集中して作り上げたものでしたが、それを投げつける瞬間に予想外のものが目に入ったためにわずかに手元が狂い、羽磋たちには命中しませんでした。恐ろしいほどの力を与えられた巨大竜巻は羽磋たちの頭上を通り過ぎ、意識世界の外殻、つまり、濃青色の球体の外殻に激突し、それを大きく打ち砕いてしまいました。
 このようなことは、「母を待つ少女」の母親がこの地下世界に落ちて来て濃青色の球体に転じて以降、一度もありませんでした。それはそうでしょう。そもそも、この地下世界に誰かが訪れることなどなかったのですから。また、この地下世界で彼女がしてきたことと言えば、自分と娘に降りかかった恐ろしい出来事に魂が凍り付くまで悲しみ、それを与えた精霊とこの世界を心の底から呪うことだけでした。あまりにもそれらの事だけを一心に行っていたので、最後には、それら以外の感情をほとんど持たない、半ば悲しみと呪いの精霊のようになってしまったほどでした。
 その反動なのかもしれません。理亜や羽磋たちから受けるこれまでには無かった刺激によって再び動き出した母親の感情は、非常に振れ幅が大きくなっていました。
 内側から破裂したとさえ言えるほどの大きな傷が生じたため、飲み込んでいた羽磋たちを地下世界の丘の上に吐き戻した後、濃青色の球体は宙に浮く力すらなくして丘を転がり落ちていました。羽磋や理亜が球体の姿を探して地下世界の空に当たる空間や天井付近を見回しても見つけることができなかったのは、そのためでした。
 人間に例えるならば、深い傷のために立つこともできずに地面にうずくまっている状態です。できることならば、このまま丘のすそ野に隠れて身体を休めていたいところです。でも、自分の頭上で羽磋と王柔が交わしている言葉の断片を耳にした濃青色の球体、すなわち、「母を待つ少女」の母親は、そのような自分の状態を気にするどころではなくなり、残された力の限りを振り絞って宙に浮かび上がったのでした。
 何故なら、仲間からは「理亜」と呼ばれる一方で自分では母親の娘の「由」だと名乗り、仲間が構えた刀から母親を守るように立ちふさがる一方で母親が吹き飛ばした男を心配して走り去った赤い髪の少女。彼女がいったい何者なのか、どうしてそのような一貫性のない行動をとるのかについて、「母を待つ少女」の母親は全く考えを持つことができずにいたのです。だからと言って、母親は彼女のことを単純に「訳のわからない存在」と判断し、自分とは関わりの無いものとして切り捨ててしまうことは、とてもできなかったのでした。





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