感想:映画『ミーン・ガールズ』観察者からの卒業

【製作:アメリカ合衆国 2004年公開(日本公開:2005年)】

親の仕事のため、16歳までアフリカで暮らしていたケイディ。自宅学習で学校に通ったことのなかった彼女だが、米国に戻ったことを機に高校に編入することになる。
人種・社交性・趣味等で派閥に分かれる高校生達の姿に戸惑うものの、絵を描くのが好きなジャニスと、生徒会役員でゲイのダミアンに声をかけられ、学校での居場所を見つけるケイディ。
ところが、学内でも支配的な位置にいる女子グループ「プラスチックス」との接触により、彼女の生活は波乱に見舞われる。
プラスチックスのリーダーであるレジーナと遺恨のあるジャニスに唆され、ケイディはグループのメンバーになるが……。

本作はスクールカーストをはじめとした学校での人間関係をテーマとした作品である。
主人公ケイディの、「学校生活を経験したことのない帰国子女」という属性を活かし、学生の対人姿勢を啓蒙する内容だった。

アウトサイダーのケイディは、当初は既成の集団を俯瞰する「観察者」である。また、学校生活におけるキャラクターが定まっていないために、複数のグループを渡り歩くことができる可塑性も持つ。
序盤で、ケイディが群れて動き回る同世代の学生達を野生動物に擬えるシーンがある。これは、アフリカで実際に動物に相対していた彼女ならではの眼差しであるとともに、ケイディが同級生達を対等な存在として捉えておらず、見下していることの表れでもある。
しかし、ケイディは複数の集団の中に入り、人間関係を形成していくことになる。本作はケイディが学校生活の当事者になり、周囲の人間に敬意を持つようになるまでの物語だといえる。

プラスチックスに近づいた当初のケイディは「スパイ」であり、わがままで意地の悪いリーダー・レジーナの弱みを握り、かつて彼女に事実と異なる噂を流されたジャニスのリベンジに寄与することを目的として行動する。
しかし、レジーナの元恋人であるアーロンに惹かれ、ケイディ自身も彼女に対するライバル意識を持つようになり、また、トップカーストの一員として学内で過ごす中で、ケイディは本来の目的から逸れ、レジーナをリーダーの位置から追い落として自らがその座を手に入れようとする。
「ミイラ取りがミイラになる」といった形でリーダーになることには成功したものの、振る舞いや服装などはレジーナのコピーの範囲に収まり、プラスチックスとしての活動を優先して約束を疎かにしたことで、ジャニス・ダミアンとの関係も悪化。

ここで「何者でもない観察者」の属性はマイナスに転じ、ケイディを取り巻く環境には暗雲が立ち込める。
レジーナが学校中の生徒の顔写真と彼らへの悪口や揶揄を書き込んでいたノートが流出し、女子だけの臨時集会が開かれ、トップカーストにいる一部の生徒のみならず、あらゆる生徒が誰かの悪口を言った経験を持つと発覚する。
こうして学校内の人間関係が相対化された後、各々がかつて悪意を持った相手に心境を吐露し、謝罪するよう促され、多くの生徒はここでわだかまりを解消する契機を掴む。
しかし、プラスチックスの他のメンバーやジャニスが次々に告白を行う中で、ケイディは口を開くことができない。
これには、当初「観察者」として同級生を見下していた彼女のプライドの高さや、同級生を対等な存在として捉えていなかった後ろめたさが関係していると思われる。

ケイディは集会で謝罪のチャンスを逃した後、かねてから勧誘を受けては断っていた数学部で過ごし、自分の能力や個性を活かせる場を見つける。
彼女は数学が非常に得意であるにも関わらず、アーロンの気を惹くために解ける問題をわざと間違え、数学部は学内でも最も「イケてない」(変わり者扱いされるジャニスやダミアンよりもさらに"下"である)ポジションのひとつという理由で彼らを避けてきた。
しかし、周囲を見下しながら周囲の目線を気にして過ごした結果、対人関係で失敗したケイディは、先入観を捨てて数学に打ち込み、「他人を外見で判断せず、真摯に向き合う」という姿勢を身につける。ここには、自己を確立することで他者をも尊重できるというテーマも含まれている。
ケイディがミスコンの王冠を割り、グループを問わずあらゆる生徒達に分け、ひとりひとりが賞賛されるべき存在だと語る最後のスピーチは、彼女の挫折があるからこそ説得力を持つ。

様々な属性の人が一同に会する場にいるとき、理解できない人・グループを揶揄して異物化し、自己防衛を図る経験はある程度普遍的なものであると思う。
本作は作品のターゲットである学生達に周囲を「俯瞰」するのではなく真摯に向き合い、周囲の人間を自分と同じ存在として捉え、それぞれの性質をリスペクトするよう訴える点で一貫しており、これを伝える上でケイディのキャラクター設定がうまく機能していた。

人種やジェンダーへのバイアスは強く(現在のタイトルからして、「女子は陰湿」というステレオタイプがあると思う)、レジーナのように攻撃的で影響力のある人物と、周囲にからかわれがちな大人しいグループに属する人物を「どっちもどっち」とするのはいかがなものか、など気になる点も多かったものの、コミュニケーションが上手くいかない焦りから冷笑的になる悪循環などは心当たりがあり、ハイスクール映画として良くできていると感じた。
(アリアナ・グランデ"thank u,next"のMVは、本作の人間関係に対する前向きな姿勢やビジュアルなどのエッセンスを取り込みつつ、「女子どうしの歪み合い」という典型を克服する形でオマージュがなされていて巧みだと思う)

レジーナのキャラクターが強烈で、周囲の裏切りに激怒しつつ悪口ノートを流出させる手段が極めて理性的なところが恐ろしかった。
プラスチックスをはじめとした登場人物のファッションも印象的で、個人的にはジャニスのスタイリングが好きだった。

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