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アウシュヴィッツ収容所の訪問を経て考えた

こんにちは。ねこです。
ヨーロッパを1ヶ月半まわり、色んなところを見てきましたが、やはり一番心に深く残っているのはアウシュヴィッツのユダヤ人収容所。
ポーランドのクラクフを訪れた際に、足を伸ばして行ってみました。その際に自分なりに考えたこと、感じたことを、ここで文字に書き起こして整理したいと思います。

また、アウシュヴィッツに関して学ぶ際、下のポッドキャストを参考させていただきました。大変聴き応えのある内容です。お時間のある方はぜひ聞いてみてください。


粗悪な環境と非人道的扱い

たくさんの方が訪問記を上げてらっしゃるので、施設の詳細を1から説明することはしません。ここでは、とくに私の中で印象に残った事実を写真とともに振り返りたいと思います。

収容された方々が寝かされていたベッド。寝具はここにわらを敷いたのみ。何よりも驚いたのは、一段あたり4、5人が寝かされていたということ。つまり、ベッド1台に15人程度が押し込められていたのです。

ベッドに関する信じられない事実はまだ続きます。収容者たちは、就寝時は裸になるよう命令されていました。しかし冬は氷点下を下回るポーランドの厳しい気候。朝起きると端っこに寝ていた方が寒さで亡くなっていたこともあったそうです。
ろくな暖房設備も無い中、暖を取る術は人肌のみ。収容者たちは数時間ごとに真ん中を譲り合い、身を寄せ合って寒さをしのいでいました。

初見では、なにこれ?と思いました。何かの作りかけだろうか、と。詳しい説明がなかったので確信はありませんが、これはトイレだと思われます。栄養状態が悪いため、皆つねに下痢でした。そこから感染症が広がることも多々あったそうです。
長いあいだ列車に揺られ、着いた先で『選別』が行われました。子供とその母親、お年寄りは問答無用で『シャワー室』、つまりガス室行き。働けそうな人々は、文字通り「死ぬまで」働かされました。
アウシュヴィッツの秋。黄色く色付いた木々が美しい。しかしどことなく寂しく、暗く、限りない冷たさが忍び寄ってくる風景でした。
ON THE WAY TO DEATH「死に向かう道」と名付けられた写真。収容された方々は「これからシャワーを浴びますよ」と言われガス室に連れて行かれました。

ガス室に関するエピソードはまだ続きます。『シャワー室だと偽られガス室へ誘導された』という話は有名ですが、収容者に不信感を抱かせないために巧妙な仕掛けがありました。たとえば、監視役はコートを番号付きのハンガーに掛けさせ、収容者たちにその番号を覚えておくよう指示します。そうすることで、収容された方々は「本当にシャワーを浴びるだけなんだな」と安堵します。しかしながら、その方々が自身の服を着ることはおろか、番号付きのハンガーのもとへ戻ることは二度とありませんでした。

ホロコーストは、どこからどうやって始まるのか

ここからは、見学を経て私が感じ取ったことについて書いていきます。

まず、ホロコーストってどこから始まるのか。日本では、ヒトラーという1人の独裁者の命令で行ったものだと考えられがちです。事実、わたしもそういった認識を持っていました。しかし、実際は政治家1人の力なんてそこまで強くないのです。どれだけ政治犯や異なる思想を持つ人々を取り締まったって、民衆が力を合わせれば政府を打倒することは可能なのです。過去をふりかえっても、民衆がそうやって政府を打ち倒してきた歴史は大いにありますよね。
民衆が強い『NO』の意思を持っていれば、政治家の方針に対抗することは難しくはありません。(もちろん、犠牲を生むことは多々ありますが)

それでは、歴史上最悪のホロコーストを生み出した根本の原因はなんなのか。
それは、民衆の小さな『アイツらなんかいけ好かないな』という負の感情の集合体ではないでしょうか。
なんだか好かない。気に入らない。そういった気持ちを持つ人が増え、多数派となったとき、それは『民意』となり、国をも動かす大きな力となります。

大げさに聞こえるかもしれませんが、学校に例えると分かりやすいと思います。
誰かが『◯◯先生ってウザいよな』と言い始める。数人が同調する。それまで何とも思っていなかったクラスメイトも、確かにムカつくところあるよな、と思い始める。皆もあの先生ウザいって言ってるし、ウザいんだろう。
このように、1人のヘイトが波紋のように広がり、クラス全体に大きな波を起こします。それがクラス全体でのボイコットや、先生をからかうような態度につながります。そういうことって、ありましたよね。

当時のドイツは第1次世界大戦に負け、多額の借金まみれ。生活も苦しいし、プライドもズタズタ。なんでこんな風になっちゃったんだ…。
そこにヒトラーが登場し、『ドイツ人の誇りを取り戻すぞ。ドイツ人以外は劣等民族。絶滅させるぞ』と強い言葉で人々を扇動します。
たしかにそうだな。ユダヤ人は前からいけ好かなかったし。
こうやって小さなヘイトが積み重なり、それをうまく煽る人物が登場した結果、史上最悪の出来事が起こってしまったのではないでしょうか。

ベルリンでナチスに関する資料館を訪れた際、衝撃的な写真を目にしました。
ユダヤ人の方が木に縄で首をくくりつけられ、公開処刑をされている写真でした。
もちろんご遺体にもビックリしました。しかしもっと驚いたのは、そのご遺体を取り囲み、人々がニッコリして眺めていたことです。

目の前に遺体があり、それを笑顔で眺められるという心理。取り囲む民衆のなかで、目を覆ったり、憔悴したりしている人は誰一人としていませんでした。これは明らかに民衆がユダヤ人に対して嫌悪感を持ち、彼らが公開処刑されるという「異常事態」を異常だと思っていなかったことを表しています。
ここでもやはり、一人ひとりの『嫌い』が積み重なった結果、非人道的な事態を招くことがわかります。

受け入れがたい、理解しがたいことが起こったとき、人は線を引いて理由を求める

ちいさな『嫌い』が積み重なって惨劇を招くことをここまでお話してきました。
それでは、私のなかにもこういう感情がないと言えるのだろうか?
日本で、絶対にこのような出来事が起こらないと確信できるだろうか?
自問自答しました。 
答えは『NO』。

わたしにも思い当たる節がありました。
スペイン留学中、自身の常識では考えられないことが起こったとき。
『彼らはスペイン人だから』『ヨーロッパ人はすぐ◯◯するから』と、国や人種で線を引き、理解できない物事に対して理由をつけようとしました。

そうすることで、心の平穏を得ようとしました。
もちろんこれが全く駄目なわけではありません。自身の中で困難を切り抜けるための一つの手だともいえます。

しかしそれによってステレオタイプを形成し、全員に当てはめるのが良くないのです。当たり前ですが、時間に厳しいと言われる日本人でもルーズな人もいるし、スペイン人で時間をきっちり守る人もいます。(というか、約束するとみんなかなり守ってくれました)

そうして個々の対話をないがしろにし、人種や出身国、性別などに理由を求めるという行為こそが、ホロコーストのような惨劇に繋がっていくのではないでしょうか。

『自分は差別なんかしたことない』『日本には差別は殆どないよね』と考える方にこそ、自身に問いかけてほしいのです。

過去に、民族や人種、性別による線引きを行って理由をつけたことはどれくらいあるのか。
そこにすこしでも嫌悪感が含まれていたか。

誰しも嫌悪感を持つことはあります。持つなと言いたいのではありません。『持っている』ことを自覚してほしいのです。小さな『嫌い』の感情を、ホロコーストの芽を、自分の中にも持っていることを自覚する。これによって、惨劇を繰り返さずに済むのではないでしょうか。


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