数学なんて社会にでたら必要ないっしょと思ってました
有機農業やオーガニックに近年注目が集まっている。
化学肥料や農薬、遺伝子組換え技術などを用いない「有機農業」を推進するために、2006年12月には「有機農業の推進に関する法律」が施行された。最近まで農林水産省は補助金を出すために、有機農業に取り組む事業者を公募していた。また、有機農業を推進する議員の連盟なども設立されている。
ローカルな話で申し訳ないが例えば
現職と新人を合わせて6人の争いとなった愛知県知事選挙。現職の大村秀章氏が4回目の当選を果たしたのだが、その他の候補者の方の意見の中には
「表現の不自由展は不適切だった」
「ワクチンは辞めるべき」
といった現県政への批判があった。こういった批判は立候補するのだから当然あるだろうと思う。
しかし、注目したいのが、その他の意見として
「脱炭素」
「SDGs」
「有機農業・オーガニック」
などを推進してくべきといったものが多かった点だ。
わたしは農家であり、現役の薬剤師でもあることから食事や健康といったことには友人でも引くくらいこだわりの主義主張がある。
そんな私にとっては、彼らの主張は票集め以外のものを感じれず残念だった。
というのも、
候補者たちが支持者の利益になる政策を行うことと、感情的な問題を「解決します」と言って支持者を気持ちよくするのが得意なこと。
これらは全く関係がないことであり、だからわたしは支持者を気持ちよくしてくれる言葉というのは票集めのようにしか感じないのだ。
極端なことを言えば、不倫していようが、人前でしゃべれなかろうが、どうでもよい。
多くの人が利益や恩恵を受けられる政策を淡々と行っていれば、関係のないことだと思う。
政治家は不倫しないことや人前でしゃべることでお金をもらっているのではなく、支持者を豊かにする政策を行うからお金をもらえるのではないだろうか。
さて、ではなぜ前述のような「票集め」に票が集まってしまうのか。
少し抽象的な説明だったので、例えば「有機農業」「オーガニック」といったことを例に挙げて、票集めを支持してしまう理由についてより詳しく考察してみよう。
するとその理由は数学的な考え方が身に付いていないからではないか、という結論にたどり着いたので興味がある方はぜひ最後までお付き合いいただきたい。
有機栽培であると謳うためにはいくつか条件がある。
それらをクリアした上で、JAS法に従い登録認証機関が定期的に審査を行って、認証を得なければならない。
それ以外のものを有機農作物であると謳うことは原則できないのだ。
こういったことを聞くと
手間暇(とお金)がかかっている分、おいしいはずだ。
自然のもので作られているのだから身体にいいはずだ。
と思われるかもしれない。
もちろん私もこういった意見に共感できない訳ではない。
が、有機農業(なんとなくよさそうなもの)は身体にもよくて、おいしい(なんとなく全て良いはずだ)というのは幻想である。
わたしの以前書いた記事で紹介しているが無農薬の野菜であっても、なんのリスクもないというのは嘘である。むしろ、無農薬の野菜であるからこそ、リスクが生じる場合もある。
一部ここから抜粋すると…
無農薬野菜において虫の食害を防ぐために野菜自身が防虫成分を分泌しておりそれらを食することで悪影響をうける可能性がある(中略)。
この防虫成分はいわゆる天然農薬と呼ばれ、毒性学の第一人者であるカルフォルニア大学バークレー校のブルース・エイムス教授の「米国科学アカデミー紀要」に発表した論文で有名になった。
教授は虫の食害によって天然農薬は爆発的に増えると言う。さらに、調べた52種の天然農薬のうち、27種は発がん性物質であったという。メトキサレン、アリルイソチオシアネート、セサモールなどが有名である。
抜粋終わり。
つまり農薬が不使用でも、近寄ってきた虫を追い払うために、野菜は自ら天然の農薬を分泌するようになるということだ。
安全安心だと消費者に思わせて購入を決断させるために、有機栽培というのはいい手段なのかもしれない。
しかし、これが口に入れた時、本当に安全安心で(特に最低限の農薬や肥料を使ったものと比較して)おいしいか、というのが大事である。実際、美味しく作るのは難しい。
有機農業がうまくいった生産者の声を聞くこともある。
では、その農家が同じ方法で別の土地で同じ品質の農産物を作れるのだろうか。
そうでなければ、彼らは「たまたまラッキーで肥えた土地で農産物を育てていた」だけである。これでは持続可能な生産方法であると言うことはできそうにない。
カラカラの土地で農業をしようとする場合、土地に栄養と水を与えなくてはならない。
では、その栄養が「自然由来」か「人工物」かで何が違うのか。
結論としては、何も変わらない。地中の微生物が有機成分を作り出すか、工場などのクリーンな環境で分離、精製された有機成分を添加するかだけである。
消費者が「自然由来の方が何となく体に良さそう、人工物より優れている」と考えているだけである。
オーガニック肥料として動物の糞が使われることがある。
例えば牛糞の場合、まず牛を育てなくては肥料にはならない。その牛はどうやって育てられたのだろうか。
のびのびと、地面に生えた草を食んで、澄んだ空気の中、育つのか。
もちろん、違う。
狭い牛舎の中で、海外から輸入した遺伝子組み換え作物を餌にして育つ。
事業なのだから安くて良質な飼料を使うのは経済的に合理だと言えよう。
大量の作物を食べ、消化の途中でメタンガス(二酸化炭素より28倍の高い温室効果のある気体)を排泄し、そして大量の糞尿をし、水質汚濁につながる。せめてこの糞尿が最適に処理されるのを願うばかりであるが、、、それは牛舎で働いている方にしかわからない。
こうして、水や空気を汚してできたありがたい牛糞の一部を自然由来の肥料として使う。
その家畜が出した温室効果ガス、そして肥料にはならなかった糞尿による水質汚濁には目もくれず、家畜がたっぷり食べた遺伝子組み換え作物のことなどつゆ知らず、有機農業は素晴らしい事業であるかのように祀り上げられる。
散々なことを言ったが、そうと知っていて有機栽培を応援するのは否定しない。
ただ、有機栽培を国として推し進めていくべき、という風潮には反対であるというだけだ。
さて締めくくりに、いつもの抽象的な話でタイトルについて説明して、終わろうと思う。
100%の悪人なんていない。
100%の成功法則なんてものはない。
我々は頭ではそういうことは分かっている。
しかし「きっとそういうものがあるはずだ!」とロマンを持ってしまうものなのだ。
気持ちはとてもよくわかるが、そんなものはないという現実も知っておくべきである。
世界は複雑で、100%の善も100%の悪もない。成功する法則などないのだ。
以前からこういった添加物や農薬とかワクチンなど化学物質に対して忌避というか拒絶反応を起こしてしまう人達の心理について考えてきた。こういった人たちを勉強不足とか浅はかとか、簡単に表現することもできる。
以前のノート↑にも書いたように、世界とは複雑でグラデーションを持つものである。
担任の先生を殴るヤンキーが野良猫に餌をあげていたり、フィクションにおける敵役の過去が、実は同情を誘うものだったりする(鬼滅の刃などは典型だ)。
ヤンキー=悪
敵役 =悪
オーガニック=善
票集めの言葉を信じてしまう人達の中では、悪と善のような言わば2つの分類しか存在していない。
やさしいヤンキーはいるはずないし、家族を殺されて世界を憎む敵役には同情の余地が無い。
身体に悪いオーガニックがあるかもしれないなんて想像もできない。
要は場合分けと確率の問題である。
身体にいい有機農業があれば、身体に悪い有機農業もあったっていい、ということだ。
票集めを信じてしまう人は組み合わせの数が一つしかないと決めつけてしまうのだろうと思う。
つまり、有機栽培=安全の確率100%、という方程式が成り立ってしまうのだ。
是非、これを読んでくれた皆さんは、このような罠に陥らないよう注意していただきたい。
よく常識を疑えという言葉があるが、疑うというよりは本当にそれが全ての組み合わせの数なのかを考えてみるのが良いのではないだろうかとわたしは思う。
私は数学者ではないが、こういった基本的な数学の考え方は生きる上で役に立つと思ったので記事にした。
みなさんの気づきの一助にでもなれば嬉しい。
環境や食品に興味のある方はこちらもどうぞ。
ホリエモンも似たようなこと言ってるので気になる方はどうぞ。
最後までありがとうございました。
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他の記事もよんでもらえると泣いて喜びます。
さてこんな変わり者のわたしですが、結構人生相談されたりします。(他の記事参照)
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そこまでじゃないけどこんなこと話して!というリクエストあればコメントでもお待ちしています。
ではまたお会いしましょう。
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