この人のこともう好きじゃないのかも…離れた方がいいのかしら…

恋とは心配するもの。愛とは信頼するもの。
男はフォルダ保存型であり、女は上書き保存型である。

喧嘩するほど仲がいい。
好きの反対は無関心。

愛し抜けるポイントが一つだけあればいい。

こんなことが世の中では言われている。
しかしこういった知ったかぶりな言葉とは裏腹に、結婚しても2/3は上手くいかないことが統計でわかっている。

どうして人を長く愛し続けることは難しいのだろうか。
そして、どうやったら長く人と付き合い、絆や愛を熟成させることができるのだろうか。

小さなことでも感謝の言葉を伝える、とか相手の話を遮らずに相槌を打ちながら聞いてあげるとか、そんなテクニックや技術の話ではない。

愛とは何か。

人生とは何か。

幸せとは何か。

そういう類のお話である。

結婚式の準備、何もやっていないって嫁に怒られてさ。
ふらっと出かけたいつものメンバーでの旅行の帰り、二人きりになった車内で彼は相談を始めた。

半年前に会った時は
キツイ言い方しかできないし、いつもそれで喧嘩になるけど、これからもこんな感じでいいの?と訊いたら「いい」と言ったんだ、と。あのときは結婚してすぐだったか、嬉しそうに話していた。
お互い、言いたいことを言い合える関係なのかもしれないな、と勝手に想像したものだが・・・。

その想像は間違っていると5か月間という月日は突きつけたいらしい。

さて、どうしてうまくいかなくなったか、考えていきたい。

わたしの提案する考えの一つはB’zの歌詞を借りれば「愛し抜けるポイントが3つあればいい」であり、そして愛の定義とは「面積」であるというものだ。
さっそく説明していこう。

誰かを好きになるとき、そのきっかけとなるのは何か。
顔や体格など表面的なものではないだろうか。

それを自覚したときがいわゆる「気になっている」という状態だ。

わたしの解釈で表現すると、これは点の状態である。

例えばここからお付き合いが始まったりすると相手の内面を知ることになる。
すると「性格」など内面の好きなところができる。これはわたしの表現するところの2点、すなわち線の状態である。

ここからは大きな変化というのは少ない。だんだんと目新しさや、出会って最初の頃の初々しさがなくなってくる。
この状態がわたしの表現するところの3点ある状態、すなわち「時間」が加わった状態だ。

この状態であれば愛が存在すると言える。

すなわち、それぞれの点が頂点となった三角形(平行四辺形でもよいが)ができる。この面積が愛であるという考え方だ。

これに質・深さを加えてみよう。これが面積に対する高さととなって立体ができる。
この愛の上ある立体中の空間を占めるものが「エネルギー」であり、相手に何かしてあげるための活力の源になる。液体のようなものを想像してもらいたい、これをこの場では愛のエネルギーとでも呼ぼうか。
つまり、長い時間連れ添って、より深い関りを持ったパートナーにはより大きな愛情をそそぐことができるというわけだ。

色々と受け入れがたい考え方かもしれないが、まぁとにかく愛や何かをしてあげたいという愛のエネルギーというものがこうであると仮定したとしようじゃないか。
これは使い方が大事な考え方である。わたしの友人の話を例に、当てはめて解釈をしてみよう。きっとわたしの言いたいことが伝わるはずだ。

友人とその婚約者はお互い仕事が忙しく、休日はゆっくり過ごすことが多いとのこと。
このように二人とも忙しかったり、疲れていたりしたら余裕とかエネルギーは無くなっていく。
そんな感覚はだれでも身に覚えがあるのではないだろうか。

これはすなわち、この愛の立体の中の空間のエネルギーが削られている状態である。
愛はあるものの、その立体の中の愛のエネルギーが「蒸発」しているのだ。
このエネルギーというのは体力と同じように休むことで回復する。

しかし、せっかく休日には回復しても、そのエネルギーは仕事や職場での人間関係で消耗してしまう。

わたしは彼らがギクシャクしているのは次のループによるものだと思う。

  1. パートナーのために使われるべき愛のエネルギーが他人への気遣いで消耗される

  2. それは休日休むことで回復するがその間パートナーへ気を遣うエネルギーは枯渇している

  3. せっかくの休日なのに言い争いなどが起こってしまう

  4. 平日は回復しているので職場ではいつも通り振舞える

  5. 1に戻る

こういった悪循環に陥っているのではないだろうか。

それを説明するためにわたしの「愛の定義」というものを提案したわけだ。
さて、この考え方は使い方が大事だと言った。
では一番大事な使いどころは何か。

それは「相手のことをもう好きじゃなくなったのかもしれない」と思った時だ。

これはどういう状態か考えてみる。
すでに愛のエネルギーは枯渇していると思われる。
好きだったはずの相手のことを気遣えなくなったり、何かしてあげようというようなヤル気がなくなってしまう。
もしかすると、今まであったエネルギーの余裕がなくなって来て、ふと「もう好きじゃなくなったんだ」と思うようになるかもしれない。

それも当然である。
だって、そう思える心のエネルギーが枯渇しているのだから。

好きだったはずの相手に優しくしたりできなくなった時、人はその結果だけを見て解釈してしまいがちである。

「昔は優しくできた」→「今は優しくできない」

昔は好きだったから優しくできたけど、今は好きじゃなくなったから優しくできないんだ、と解釈してしまう。

そうではない。
そこに愛はあるんか?と問われれば愛はある。
愛は面積である。
だから、愛というものはちゃんと存在している。

その上の空間の中のエネルギーがなくなったから、優しくできないだけなのである。

すなわち、もし好きな人に優しくできなくなったときすべきことは
これが最も大事なことであるが
自分はただエネルギー不足になってしまっただけなんだ、と自覚することである

ガソリン切れの状態であるのだから、もっと言えばしっかりと食事・睡眠をとり、エネルギーの回復に努めること、そしてそれ以外にもそのエネルギーの出口を塞ぐことが必要であると言える。

例えば、嫌いな人から嫌いな仕事を頼まれた時、「いや今忙しいので無理です」ということである。



え?そんなことできないって?




いやいや、いつも休日、好きな人に優しくできない人が、平日に職場の嫌いな人にはイエスマンになるなんて、なんだか本末転倒じゃないですか?

本来、嫌いな人にこそ、テキトーに接する方が合理的、ですよね。


好きな人なら、これくらい許してくれる
社会はこれくらいのこと許してくれない

そう思っているなら、それは好きな人に甘えているだけなのではないか?
一度考えてみてはいかがだろうか。


少なくとも、ストレスの多い人間からはなるべく距離をおく。
いずれにしてもこれはオススメしたい。


とにかく
わたしがこの記事で伝えたかったことはパートナーに優しくできなくなったときそれは嫌いになったとか、パートナーのせいではないということだ。

自分の中の空間の余裕がなくなったことが原因なのであるから、それをまず自覚することである。厳しいようだが、自分が受け入れやすい理由を現実のもとしてはいけない。
あなたの心の不摂生が原因である。

まずはしっかりとした愛という基盤とその上に空間を作る。そしてその中のエネルギーの余裕をつくり、この状態を維持していることであなたの大事な人に「愛をもって何かをしてあげたい」というきっかけになる。


このような余裕作りが大事になるのだ。それを疎かにして、小手先で優しくしようとしても限界がきてしまう。誰かからアドバイスをされてもなんだかしっくりこない、なんてことが起こる。


自分の体調を整えたら、しっかりと相手に向き合うこと。自分のエネルギーを相手にあげるくらいの度量を持とう。
読んでくれた方の関係がうまくいくことを願っている。



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