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リーダーシップは常にフォロワーシップより先(職場を良質にするコンセプトv6_8)

「幸せなリーダーになる8つの習慣」(ロビン・シャーマ著、北澤 和彦訳、ダイヤモンド社)という本。なかなか好きだ。

もう10年以上も前の本。気づきの多い良質な本。本を読むのが好き。組織本、経営本、リーダーシップ本、伝記も一定数は読んだ気がするが、中でも、これはなかなか良い。総合的に自分の中でのベスト3。偉そうな難しさは無く、小説風で、読みやすい。学びを仕事で、経営で使わせてもらう。

素敵な言葉は例えば:
・きみが生まれて、まわりの人たちが喜んでいるあいだ、きみはずっと泣きっぱなしだった。きみが死ぬとき、まわりの人たちが泣いてくれるような人生をおくることがきみの使命だ
・気まぐれな経営術は忘れて、時を超えたリーダーシップの真理に焦点をあわせる
・内なるリーダーシップが外のリーダーシップに先立つ
・リーダーシップは地位に関することではなく、行動に関すること
・あらゆるリーダーの仕事は、社員に現実の意味を明確にすること
・われわれの期待が現実をつくりだす
・社員に敬意を払う
・会社の成長は社員の成長に正比例する
・褒めるのはただ
・自覚は変化に先立つ
・変化は人間の親友である。
・運動に時間をさかない人は、最終的に病気のために時間をさくことになる

今回は以下のフレーズにフォーカス:

”すばらしいリーダーシップのほうが、すばらしいフォロワーシップより先”


会社にいると、部下を批判してしまう。その気持ち、わかります。
あいつはダメだ。言ったことをやらない。言うことを聞かない。アウトプットがイマイチ。部下は批判するもの、批判して育てるもの、と思っているのか、上述の通り褒めるのはタダなのに、褒めない。褒めるにもスキルがいると嘯き、褒めない。褒める方が子供も大人も育つのはもはや心理学、教育学、人類学、脳科学の常識。

部下は部下でもちろん上司にぶひぶひ。あいつは指示が曖昧、朝令暮改、こっちの声は全然聴いてくれない、無理難題押し付け、期限も勝手に決める、こちらの事情はお構いなし。

わかるが、レベルは低い。

組織は上下関係が必然的に出来てしまう。「役職の上 VS 下」だけでなく、「所有者 VS 非所有者」「昔からいる VS 最近入社」「社内業務・手続きを知っている VS 知らない」「正社員 VS パート」「マジョリティ VS マイノリティ」など。

低いレベルのこの状態、どちらが先に襟を正すか。もちろん自分からだ。「他人と過去は変わらない。自分と未来は変えられる」。そして、自分が第三者ならば「チカラ」を持つ方から襟を正すよう促すべき。

リーダーシップはフォロワーシップより常に先、であるべきなのだから。


話がちょっと横道へ。慶応義塾高等学校が先の夏の甲子園で優勝。
周りの慶応OB/OGは大喜び。ボクは慶応BOYではなく違う道を選択(後悔?!)したけど、気持ちは慶応BOY? 慶応高校を応援してました。 

さて、慶応高校野球部の方針は:
自主性重視、のびのび、高度なスキルを目指すから野球を楽しめる、野球を楽しもう、監督は「さん」で呼ぶ、今までとは違うインパクトを高校野球・甲子園を通じて社会に与える。ニュースで見聞きしたレベルですが。

このインパクトが奏功している模様。全国の高校野球部に対し、親御さんから、スパルタ・指示命令から自主性・のびのびへの転換を主張されているらしいと、スポーツ通の方から聞きました。ありえそうです。この流れ、止められません。現代は、個性、多様性、自主性のやさしい社会。

で、会社に話を戻すと、慶応高校野球部を見習いたいが、そう単純ではない。この野球部と会社には圧倒的な違いがある。当たり前だが以下だ。

1.まずは、部員(社員)の数:
「自主的にのびのびと自ら考え、挑戦し、努力し、試し、学習し、監督や仲間を掴まえて議論し、トライ&エラーから学び、PDCAを回す」というすばらしい部員がいる一方で、そうでは無い部員も必ずいるはず。全く無い部員はいないのでしょうが、差は必ず出る。

ただ、100名の部員がいるので、相対的にこのプロセスで成果を出せる20名(ベンチ入り人数)を選べる。5分の1の選りすぐりの相対的な精鋭。

会社はそうはいかない。5分の1を選りすぐる、なんて不可能。2人ですら難しい。会社では人はコスト。余剰人員は原則無い。

社員は「人件費」としてPLに登場。「人件費」で”しか”登場しない。寂しいことに。。。だから、人員に余裕を持つことは困難。余剰人員=コスト高は会社としては回避すべきこと。

2.次に、ベースのやる気・熱意:
慶応に入りたい(ま、幼稚舎からですと親の意向ですが)、野球部に入りたい、という2段階の夢・想いが実現した後の部員たち。

会社でもこんなブランドがあり有名会社で、エース級が集まる憧れ部署、であれば同じ状況でしょう。ただ、約200万ある他の日本の会社は、一定の高さ(=”低さ”)の志望レベルの集団にならざるをえない。そもそものやる気・熱意レベルが違う。「慶応高校野球部員たる俺は心身ともにこうあるんだ!」なんて熱意は自主性だけでは期待できない。

3.そして、明確な夢・ビジョン:
「甲子園出場~優勝」という、明確で、わかりやすい夢・ビジョンがある。そして更にとても重要な点は、それが「世の中的にも多くのひとに評価される夢・ビジョンである」ということ。「自分」と「仲間」と「社会」が一つになれる。自分の挫けない心をかなり後押ししてくれる。

一方、会社は・・・悩ましい。ビジョンや存在意義、何を目指しているのかが、そもそも明確化されていない。あるいは、明確化しているが社内に伝えられていない。あるいは、仮に伝えられていても、共感される内容ではない。そして、世の中であまねく受け入れられるようなビジョンにはなりえず、あくまで個別的。仮に「甲子園を目指してます!」のように会社のビジョンを公言しても、”あっそ” ぐらいだ。慶応高校野球部の一体感・共鳴レベルと組織のそれは段違い。だから、「自主的にのびのびと自ら考え、挑戦し、努力し、試し、学習し、監督や仲間を掴まえて議論し、トライ&エラーから学び、PDCAを回す」なんていうのは自動には生まれない。

さて、どうするか。リーダーシップにしか解決は無い


会社は、「選りすぐり」の20名を選ぶことは不可能。目の前の仲間(部下、フォロワー)ひとりひとりを成長させるしかない。代替要員はいないのだから。まさに上述の本の通りで、ひとりひとりの社員の成長=会社の成長だ。

気に入らないからすぐにリストラし、より優秀なひとを新たに採用、も選択肢の一つだが、多くの企業で現実的ではない。法的にも採用コスト的にも。単なる採用・育成の責任逃れでもある。部下について、あいつはできない、言うことを聞かない、レベルが低いなどなど不平不満を言う前に、寛容に共感し、挑戦させ、支え、成長させるにはどうすべきかを考える。

そして、甲子園というビジョンも無ければ、慶応というブランドも、慶応高校野球部というブランドも無い。だから、会社では、意図的に作る壮大な、魅力ある、共感を生むビジョンが必須であり、将来に輝くブランドを定義することが必要だ。

リーダーシップは常にフォロワーシップより先。山登りで比喩すると、リーダーは、行先を示す、こんなすばらしい景色が見えるよ! 一番最後から支え、落第無くみなでゴールを目指す。仲間を褒め、鼓舞し、個々の役割の意義を伝え信じてもらい、邁進する。脱落者は無し。脱落させる余裕はないのだから。そういうことだ。


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