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「会社は集団行動の場」って本当? この思い込みが多様性や個性を邪魔してる?

集団行動と個人行動。会社ではどちらかと言えばどちらが大切?と質問すると、そりゃ集団行動でしょう、となった。「会社では、当然に集団行動が必要。というか集団行動の場でしょ」と。オフィスで「どうもあいつは集団行動を乱すんだよなぁ」との愚痴を言う仲間がいて、ふと質問してみた結果。

でも、本当にそうなのかな。単純に思い込んでいない?

朝9時に来てね。リモートでも9時からはPCを立ち上げてね。フレックスもありだけど、わかっているよね、結局は9時だよ。工場の全ラインは9時からスタートだよ。終業は18時ね。昼休みは12時から13時だよ。

これらは集団行動とは関係ない。単なる会社のルール。集団で動いているわけではない。個々でイレギュラーがなければ守っているだけ。そっちの方が仲間と効率的に仕事ができるから。

年始の社長挨拶は大会議室に集まってね。9時10分前までには来てね。新入社員は1週間、皆で同じ行動よ。泊まりがけで部長研修。新任部長は皆同じ行動よ。社長が東京マラソンに出るから社長室や人事部は応援必須だよ。どこどこに何時に集合ね。今日は避難訓練の日、13時10分からみな階段で降りて1階まで行ってね。

これらは集団行動。ただ、一定の任意性があるとも言えるし、会社の日々のルーティンではない。年に1回か、あるいは会社人生で1回の話。会社は集団行動の場だ!と大げさに言う類いではない。

毎日、作業開始の前にラジオ体操ね。毎朝のフロア全員での朝礼。あるいは組合員でのベースアップを交渉する統一行動。

ただこれらも、効率的な連絡の方法、あるいは、身体をほぐし、リラックスし、事故をなるべく防ぐ目的、あるいは、組合員全員の活動のようで実は一部。全員でシンクロさせるダンスをしている訳ではない。それに、毎日8時間の5分ほどであったり、会社の本質的活動ではない。なので「集団行動」として大げさに言うことではない、と思うのだ。

つまり、会社に集団行動は全くないとは言えないが、会社が集団行動がメインの場とは考えにくいと思ったのです。個人で動くことが殆どだし、50人のプロジェクトでも50人で軍隊の行進のごとき同じ動きではない。個々が個々の仕事をし、足し算なだけ。

どうでしょう。こじつけ? 偏った主張かな? でも、どうだろう、まずは「会社は「集団行動の場」ではない。個人個人が力を発揮する場。個人で動く場」と前提を置いて、そう社員に伝える、のは。

「皆はそういう思想でいて欲しい! もちろん、業務の流れの前後を役割する仲間と円滑に連携し、結果を高める活動は当然に必要で、これを不要と言っているわけではないです。けれどこれも「集団行動」を強要しているわけではない。前後がそれぞれベストマッチを考えて、その後は個々で動いているでしょ。会社は個人行動の場として捉えて欲しい」みたいな。

というのも、この前提に立つと、大いなる価値があると思うのです。集団行動ではなく、個人行動の寄せ集めと捉えるならば、他の部署や年齢・役職などが異なる他のメンバーの感情を考え、配慮することができる。多様性・違いを受け入れることができる。だって個人の活動の場ならば、当然に自分は他者とは違って良いのだから、他者が自分と違っても良くなります。

個性をそれぞれが発揮する共同作業。自分らしさを常に押し通せるわけではないけれど、自分らしく行動することが原則、許容される。結果、VUCAなんて言われる現代では組織として強くなれると思うのです。

集団行動の世界なら、思考なんて不要で、みなが同じであるべきということのみに縛られて、違いや多様性や個性を受け入れなくなる。考えることを止めてただ盲目。こんな組織が今の時代に生き残れるわけはない。

でも、実はそんなことは皆、解っている。なのに、会社は集団行動の場とうっかり思ってしまう。それを求めてしまう。会社は集団行動の場なんてことは全くない。個人が自ら考えて行動し、結果、チームとしての強さが発揮される。そう思ったのでした。いずれにせよ、会社という複数の人が存在する場である限り、両方のエッセンスが必ず混ざり合う。だから、原則としてどちらをベースとして捉えているのか。これが大切なメッセージかなと。

・弊社は集団行動を重んじる会社です。
・弊社は個性、個々のチカラ、個々の自発的行動を重んじる会社です。

後者がいいな。


読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_80)


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