公共とは④ その定義は?京都御苑と純喫茶にいて考えたこと。

土曜日の朝6時44分広島駅発の新幹線に乗って、
新神戸駅で降りて、地下鉄に乗って、三宮駅まで行って、
バスターミナルから淡路島に行きました。

対話ワークショップに参加するために。

淡路島へ、全国いろんなところから集まった11人で、
11時から18時半まで、対話し続けたテーマが「公共」でした。

その足で西に向かって、京都で二泊。
淡路島でどっと押し寄せた多層的な学びを、ゆっくり吸収する(その準備をする)のに京都という土地は、私にはぴったりでした。

学生時代をすごした大好きな京都。
(今回の滞在は、手ぶらで気ままに過ごしていたので、”京都住民ごっこ(住んでるの広島だけどねと心の中で思う)” をひとりで楽しんでいました笑)

いま、どの時間も、実りがありぜいたくだった、
あの週末を思い浮かべながら、書いています。天気よかったんです。

ちょっと、ほっこりしてきました。

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さて。公共とは。

いろんな人が/無料で/利用できる場所、だと思っていました。

淡路島に行く前のイメージ。
漠然としているー!

いろんな人って?本当に万人?
全部が全部、無料?
利用するってどういうこと?ルールは?

これをかみ砕いてみて、
淡路島と京都ですごした私のいまの答えがこちら。

公共とは、
その1)そこが生活圏内である人たちにとって、
その2)自分の思いのままに過ごすことができる選択肢があって、
その3)なくても生きていけるけど、行ってみると気分が良くなる、
場所や人の活動。

ちょっと補足しますね。

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その1)そこが生活圏内である人たちにとって

いろんな人がいる、を公共の場合の具体性を考えてみました。

たとえば、淡路島で参加したワークショップは、
東京、京都、大阪、兵庫、和歌山、広島…と複数の県に住む人が集まっているわけで、参加者さんの多くは、淡路島という場所と日常的なつながりがあるわけではなくて。

これは、公共とはすこし違うと感じました。

私が言葉にしようとしている公共は、”いい図書館”のイメージです。
普段、読書会をしているから、本にまつわる場所をイメージすると具体的に考えやすいです。

いい図書館って、なにがいいんだろう?
その良さは、公共がうまく機能しているからこそでは、という仮説。

ちょっと、話がそれちゃった。

公共に集まる人は、その地域に根差している人がほとんんど、という状態がいいのではと思ったわけです。

これは、京都の純喫茶で過ごしていて感じたことでした。

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京都滞在中に、モーニングで行った喫茶店は、六曜社スマート珈琲
それぞれ、創業1950年と創業1932年。

朝の時間に、いろんな人が来ていました。

新聞が似合うおじさん、鮮やかなルージュが似合うきれいな女の人、
おしゃれなコートを羽織る若い男性、学生のカップル、
仲睦まじい老夫婦、世間話で盛り上がるおばちゃん3人組…。

いろんな人が、入れ替わり立ち替わり。

それぞれコーヒーとトーストを楽しんで、起き始めた京都の町へ出かけていっていました。

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おひとりさまでも、誰かと一緒でも大丈夫。
こどもがいてもいいし、何歳だって大丈夫。

そういう”いろんな人”が集まるのは、

やっぱり地域に根付き、そこに住む人たちに愛されている場所だからだろうなーと感じたんです。

観光地のように、県外から来る人がターゲット層の場所には醸し出せない、あったかさや居心地のよさを、私は純喫茶で感じていました。

生活の一部になりうること。
大事な要素の1つだと思います。

私の読書対話会は、まだお客さん層が偏りがちです…。
それでも、去年から毎月サイエンス読書会をするようになって、小学生やそのお母さん世代の人との関わりが増えたのは嬉しいこと!親子参加も嬉しい。これから、大学生や、おじいちゃんおばあちゃん層とも一緒にしていきたいな。多世代ミックスの対話の場にしていきたいな。

面白そう!

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その2)自分の思いのままに過ごすことができる選択肢がある

これも、喫茶店にいる人たちの人間観察と、ワークショップや自分の読書対話会の様子を比較して感じたことです。

喫茶店では、それぞれ好きなメニューを選んでいます。

喫茶店だからって、みんながみんな、ホットのブレンドってわけじゃない。

同じように、居心地がいい図書館って、本を借りる、だけでなくて、
勉強したり新聞を読むだけだったり、ぼーっと過ごしたり、寝ている人がいたり。

図書館だからって、本を選んで借りて返す場所、以上!
となってしまいがちな図書館のことを、私はいい図書館認定しがたいです。

石垣島の図書館が、すてきな場所です。
座り心地のいい一人がけのソファが、館内の真ん中のほうに置いてあって、ついつい、うたた寝しちゃったことが何度か…笑
選書もいいんですが、空間としても、開放的なものを感じました。

また、映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を思い出しました。図書館って、こんなに多様な人の営みを生み出すきっかけになる場所になれるのか、と感動しっぱなしでした。

上映時間長い作品ですが、ぜひ見てみてほしいです!

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公共の意味での「利用できる」ということは、自分がやりたいことをできる選択肢や余白がある、ということではないでしょうか。
いろんな人が集まるには、それだけ楽しみ方の幅が必要になるはず。

さらには、
何もしないで、ただいるだけ、もOK。

公園のイメージを抱いてみてください。
私は、京都の御所で、ベンチに座って、広い敷地や早咲きの人たちを眺めて、ぼーっとしていました。
あきらかに公的施設を利用しているけど、なんにもしていない。
その場所に、ただ私がいるだけ。
ぼーっとしたい気分だったから、そう過ごしていました。

ただいるだけでもいい、は公共の大事な特長の1つです。

言うは易く行うは難しってやつだと思うんですけどね。

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私が普段している読書会は、問いをこちらから投げかけることで、そのときのテーマを深堀することが基本のスタイルです。
公園と比べると、参加者さんの行動をかなり制限しています。
だから、公共ではなく、マイパブリックになるわけです。

同じ理由で、喫茶店のようなお店が、公共と異なる理由になると思います。
なにかしら”注文すること”、がお店を利用する1つの条件になるからです。

読書会という手法では、なかなかこの公共の2つ目のポイントを抑えることは難しそうだから、読書会以外の方法で、いるだけでもokという場を表現していけないか、模索してみたいです。。

ただいるだけでいいという場は、ひと息安心の場につながるような気がしているから。愛がたまる場、につながる気がするから。

そんな場所が、暮らしのなかで、この社会のなかに、どれだけあるだろう??

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他人との違いを認め合う→いろんな人がいる場→公共、、という考え方もあると思いますが、「違いを認める」ということが、私自身はぴんときません。

違いを許容できるって素晴らしい!って、ちょっとちがうと思う。

長くなっちゃうので、詳しくはまた別で書くとして、公共の場では、もっと良い意味でお互い無関心でいる感じです。

自然と、ただそこにいるなーと。
森の中でさまざまな生き物が共存する生態系みたいな。

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その3)なくても生きていけるけど、行ってみると気分が良くなる

さてさて、ほんとうに最後のところ。
ここまで読み進めてくださって、ありがとうございます。

「なくても生きていけるけど、行ってもいると気分が良くなる」というフレーズは、散歩ってやっぱりいいな、と京都でぶらりして感じたことから、思いました。

京都御苑でも、いろんな人が、散歩しているのを見ていて、みなさん穏やかで楽しそうだなー、いい感じだなーと思いました。

いまの時代、これだけ技術が発達して物があふれていて、
生きていくうえで必要なものって、ほぼ持っている人が多い。

だから、公共的な場に行かなくても、人は死なない。

それがなくても生きていけるけど、気分が良くなるから、行ってみよっかなっていう軽い動機で、公共的な場に人は足を運ぶのかな。

散歩するみたいに。

軽やかさ、がポイントになるのかなと。

とりあえず、私はこんな軽やかさが、好きです。

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そうそう、「無料である」と最初の公共のイメージで挙げていましたが、いまの公共へのイメージには入っていません。

これは、無料だといろんな人が来やすいけれど、無料であることが絶対条件にはならないと思っているからです。

やっぱり、無料で、いち市民が活動を続けるってしんどい。

無料のサービスを続けるには、やっぱりある程度「官」の力は必要だと思うんです。「官」の役割。

無料でなくても、その1~その3の要素を持っている活動で、その活動が誰かの拠り所のひとつになっているなら、「公共的」って言えるんじゃないかと思います。

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公共テーマの考察まとめ

最後っぽく、考察まとめって書いてみたけど、あまりまとめる気ありません笑 ごめんなさい笑

私の公共へのイメージ、公共の定義、伝わったでしょうか?

公共とは、
その1)そこが生活圏内である人たちにとって、
その2)自分の思いのままに過ごすことができる選択肢があって、
その3)なくても生きていけるけど、行ってみると気分が良くなる、
場所や人の活動。

私はこう思ったのですが、みなさんどうでしょう?

「こんな考え方するんだけど、どうよ?」などありましたら、ぜひ教えてくださいねー!対話が趣味の私は喜びます。笑

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いやはや、公共について書ききりました。
ほんと頭の中整理しておきたかったんだなー。
いまね、実は夜の3時です笑

でもこうして没頭する時間が、自分で自分らしいなと思っていて、好きなんです。大げさ言うと、自分が自分生きている感じ、します。

noteでは、自分のライフワーク(いまは読書会)についての学びと試行錯誤の思考の跡を、書き残してみようと思っているので、よかったら、また読むのお付き合いください!

ではではー!

あや

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