駅前の寒い寒い出来事

本日駅前を歩いていたらロータリーの中央部でたたずむ爺さんが俺が通りかかると同時にビラを一枚ひらひらと掲げてきていったい何の事かしらんと目を上げてそのビラを読み上げれば「アベ政治を許さない」とか何とか書いてあったのである。その爺さんは普通のおっさんであり真冬なのに麦わら帽子をかぶっているところが粋というかダサかっこいいというか降り積もる齢を感じさせる落ち着いた雰囲気を顔に浮かべながら通りがかりのさまざまな人々に綺麗なお辞儀をしながらビラを渡していくのであった。だが通りを歩く人々はどうしようもなく薄情者でありうつけ者、爺さんには目もくれずに各々のスマホを凝視しながら足早に通り過ぎていくのである。なんという世の中であろうか。俺は憤慨した。寒空の下貴様らの何年も長く生きて寄る年波に揉まれたお爺さんが重々しく微笑みながら渡してくれるものに対してそのような軽薄かつ不誠実な態度をとるとは何事か。ふんふん唸りながらせめてこの俺だけは爺さんのささやかな気持ちをありがたく頂戴致しましょうなんて思ってそのビラを受け取ろうとしたものの、俺はあろうことかすんでのところで手を伸ばすのを辞めてしまいそそくさと通り過ぎてしまったのである。

あほんだら。俺は何という愚か者であろうか。冷酷無情なる世の中に一つ暖かい風を吹かせ、アットホームな空気感を醸成するためにわが身を献じようという小粋な精神を抱えていたのに行動できずウジウジしているとは。いったいなぜ俺はためらってしまったのだろう?「アベ政治を許さない」のビラ、受け取ってしまえばそれだけで爺さんの心は多少なりとも孤独から救われるはずであり、それを見た周りの人々も温かい気持ちになれるはずであり、そのような小さな出来事から温かな人の輪というものが日本全国に広がってゆきやがては全世界が愛情の温もりで席巻されようという大いなるチャンスだったのに。なぜ俺はためらってしまったのだろう?

なぜならば、このようなどこの馬の骨とも知れぬ爺さんから笑顔でビラを受け取っているようではこの弱肉強食の社会を生きていくには心もとないと思ったからであり、要するに優しさというものを振りまこうとした自分が嫌になったからである。自分はこの先少なくとも数十年は生きるつもりであり、かかる世の中を生き抜いていくためには道ばたでビラを配る爺さんなんぞに目もくれずただひたすら前を向いて歩いていくだけの土人根性というか冷酷さが必要なのであり繊細な感受性など虫も食わない誰も求めてないのである。一旦そのような暗雲が心中にたちこめるな否や途端に目の前の爺さんに対し警戒心を持ってしまうのがこれ人間というものの因果な本能であり、自分はかかる本能の命令に逆らえず爺さんのビラを受け取れなかったのである。

これは仕方がない。悪いのはこのような冷酷な判断を強いてくるこの世の中であり自然界であり、もっと言えば食うや食われずの世界を作っときながら自分は天上で酒など飲んでいる神々である。思うに世の中に生きている多くの人が優しさを持ち合わせているものの自分の身を守らなければならない、これからも生き抜いていかなければならない、冷酷にならなければならないという「要請」みたいなものを無視できず、他人に冷たく無関心にならざるを得ないのではないか。そう考えると無性に哀しくなってきた。吹きすさぶ季節風が橋の上で剥き出しになった俺の手のひらの熱を奪い空の向こうへ走り去ってゆく。一人では手は温まらない。誰かの手を握っていたい。

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