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ペンギンの憂鬱

著者 アンドレイ・クルコフ
訳 沼野 恭子
出版 新潮社 新潮クレスト・ブックス 2004/09/30 2017/08/30 15刷

最近ずっと自分の好きな本ばかり読んだり、再読したりしていたが、この本は久しぶりに妻と二人で読んだ。
可愛らしい表紙とは裏腹に、かなりシュールであり、また、当時のウクライナの複雑な情勢を背景に持っている事が伝わってくる反面、所々ユーモアがあってクスッとさせられてしまう社会派現代ロシア文学。ちなみに、とても、というか、かなり、読み易い!!!

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あらすじ

物語の舞台は旧ソ連崩壊後のウクライナ、キエフ。
憂鬱症のペンギンのミーシャと暮らす売れない小説家の男、ヴィクトルが主人公。孤独なヴィクトルと孤独なミーシャは互いの孤独を補いあって互いに頼りあっていた。ヴィクトルは、とある新聞社に<十字架>と呼ばれるまだ生きている大物政治家や著名人たちの追悼記事を依頼される。知人から預かった4歳の女の子ソーニャや出張中にミーシャの面倒を見てもらったことから親しくなったセルゲイらとの交流。静かな愛情を見せるミーシャ。しかし、ヴィクトルは、記事を書くことで次第に事件に巻き込まれてゆく。

無題

(Google mapより引用)

孤独を分かち合う媒体としてのミーシャ

憂鬱症で心臓の弱い不眠症で孤独なペンギンのミーシャはヴィクトルだけではなく、周囲の他の人々の孤独を分かち合う媒体として存在する。

ミーシャは主人を見て喜んだ。ヴィクトルが家に入って電気をつけたら、もう廊下に立っていた。
「ただいま、ミーシャ!」
ミーシャが微笑んだように思った。
本当にその目は喜びできらめいていたし、ぎこちない足取りで一歩、主人のほうへ歩み寄った。
「この世で、俺を待っててくれる人が誰かいればなあ!」とヴィクトルは思った。
立ち上がり、コートを脱いで奥に入った。ペンギンがペタペタあとを追ってくる。
ーペンギンの憂鬱 アンドレイ・クルコフ新潮クレスト・ブックスp32

皇帝ペンギンといえば、1mほどの大きな愛くるしく、どこかシュールなところのあるペンギンを思い起こす。物語の中のミーシャもとてもシュールだ。

「ミーシャっていいます!」客がそう自己紹介したので、ヴィクトルは思わず薄笑いをしてしまい、たちまちきまり悪くなった。
中略
<ペンギンじゃないミーシャ>は帰っていった。相変わらずどんよりとした雨模様の午前が続いている。ドアが開き、戸口でペンギンのミーシャが立ち止まった。しばらく立っていたが、主人に近づいてきて、膝に自分の体を押しつけ、そのままじっと動かなくなった。愛おしくなって撫でてやる。
―ペンギンの憂鬱 アンドレイ・クルコフ 新潮クレスト・ブックp14

そして、ヴィクトルに深い愛情を示している描写が散見し、読んでいる僕らもミーシャが愛おしくなってしまう。

ウクライナ

ウクライナといえば、チェルノブイリ発電所、ひまわり畑、コサックダンスやボルシチ、キエフバレエ団を想像する。妻の友人にも何人かウクライナ出身の方々がいるので遠いような近いような感覚もある。しかし、僕は1994年あたりのウクライナ情勢についてはあまり詳しくなかった。そこで少し過去から現在に至るまでのウクライナの情勢を触りだけ調べたり、聞いたりしてみた。

1932年ー1933年のホロドモール

ホロドモールとは、1932年ー1933年にかけてウクライナで起きた人為的な大飢饉のことである。これはスターリンによる計画的なジェノサイドとも言われている。

旧ソ連は長きにわたって大飢餓の事実を隠蔽しており、1980年代になってからようやく、旧ソ連政府はこれを認めたが、大飢餓であり、ジェノサイドではない、と否定している。ウクライナ側では、これはジェノサイドであったという認識のようだ。原因とされているのは、工業化推進に必要な外貨を得るために凶作であったにも関わらず、飢餓輸出をしたためと言われている。

ウクライナの独立

1991年に旧ソ連が崩壊すると、ウクライナは独立国となった。しかし旧ソ連時代での財産継承に関して未解決であったり、ロシアのクリミア編入などから、現在のウクライナ危機へとつながっている。そのためロシアとの関係は思わしくない。

アメリカでのウクライナの位置づけ

また、バイデン大統領の大統領選の際、バイデン親子のウクライナ関連で、とりわけ2014年ー2015年の期間、調査されたのは記憶に新しいところだろう。バイデン前副大統領はオバマ政権のウクライナ政策担当であり、同時期、子息のハンター・バイデン氏は、ウクライナのガス会社役員として高額の報酬を受けていた。そのようなことからも、アメリカにとってウクライナは重要視されていた時期があるほどに重要な位置づけであったようだ。しかし、トランプ前大統領の軽率な発言などから、ロシアとの和平交渉の際、ロシア側を有利にさせたともいわれている。

こうした背景をもとに、読んでいくと、主人公ヴィクトルの巻き込まれていく過程や、彼の行動の危険さが少しわかった気がする。

平穏を夢見る孤独なヴィクトル

十字架と名付けられた死んでいない人物たちの追悼記事を書いているとある事件に巻き込まれてゆくヴィクトル。平穏な田舎で突然地雷を踏んだ男が死んだり、周囲の人間が潜伏しなければならなくなったり。そんな中でも知人から預かった4歳のソーニャ、ベビーシッターのニーナ、ペンギンのミーシャたちとの平穏で平凡な暮らしを夢見る。

3人+ミーシャとの幸せな生活を送るという夢は疲弊しきったウクライナの一般市民の人々の願いのようにも思える。


心臓の弱いペンギンのミーシャの憂鬱症を治すには南極へ返すしかない。

最後の最後までシュールでどこかしら暗さもあるが、ミーシャとソーニャのおかげでその暗さも和らいでいる。

サスペンス仕立てでもあり、ぼんやりとしか内容に触れないと、完全なネタバレになる為結末に対しても曖昧にしか感想が書けないのがもどかしいくらいに面白い。

続編について

続編があるが、そこではミーシャはほとんど出て来ず、純文学というよりもエンターテイメント性がかなり強くなっている模様。


おわりに

ウクライナ情勢のこともほんのわずかだが勉強になったし、久しぶりに夫婦揃って楽しめて良かった。
続編の英語版はかなり抄訳されているようだ。ロシア語版が出ているので気が向いたら妻が読んでくれるらしい。

読後、表紙を見ると、少し切ない。

冒頭でも書いたが、とても読みやすいし、古典ロシア文学のように名前が覚えにくいとか、そうした懸念は一切ないのでオススメしたい一冊だ。





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