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三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」 TBSが保存していた当時の記録映像である。
100分de名著で今月、三島由紀夫の金閣寺が題材となっているので、彼のことをもう少し知りたくなり、このドキュメンタリー映画を観ていた。

東大駒場 900番教室で1000人の学生と三島由紀夫が討論を繰り広げていた。今の時代では考えられないほど何かしらの熱気が伝わってくる。終始印象的なのは、三島由紀夫のキラキラとした輝いた目と、相手の学生らが観念的なことばかりを言っているのにもかかわらず、彼の丁寧で優しさの滲み出ているような対応と語り方。

🍀印象深いインタビュー
全共闘は敗北したと言われるが、の問いに対して
木村(当時全共闘側司会担当)
敗北したとは思っていない。
一般的な社会風潮に拡散してしまったと思っている

橋爪(当時全共闘側)
正解はない。
何があったかは覚えておかなければいけない。死んでしまっては覚えておけない。
負けたあと、どうなるか?ということを考えきらなければいけない。

芥(当時全共闘側で三島と討論)
負けたとは勝手にあなたの国で決めたことで俺の国では決められていない。


人間と人間の間に
媒体として言葉が力があった時代の最後

🍀印象深い三島の発言
三島由紀夫
私は諸君らの熱情これだけは信じます

時代が変わっても世界を動かせるのは
熱情、敬意、言葉

今となってはこうしたものたちはとても希薄になってしまっている。

🍀
他、印象を受けた点

映像の中で三島がサルトルについて言及している。

私の大嫌いなサルトルが『存在と無』の中で言っておりますけれども、一番ワイセツなものは何かというと、一番ワイセツなものは縛られた女の肉体だと言っているのです。(略)
相手が意思を封印されている。相手が主体的な動作を起こせない、そういう状況が一番ワイセツで、一番エロティシズムに訴えるのだ。これが人間が人間に対して持っている(注ー性的)関係の根源的なものではないかと思います。

サルトル嫌いでバタイユに傾倒していた三島だが、サルトルの洞察力には一目置いていたのだろう。

また、彼の金閣寺を再読して、感じるのは、彼独特の燦然と輝きに満ちた日本語。
そして、瞬発力のある陶酔しきったエクスタシー。

とにかく、稀有な天才であったのは誰もが認めるところである。
それは、彼の残した文学を読めばわかる。
それでも、死なずに生きてこそ、彼の美学はもっと追求彼自身できた筈だろうし、本当に惜しまれる。
映像中、一年半後の死を覚悟しているような事も匂わせる事を言っていた。

三島由紀夫は究極のナルシストだと思うが、同時に非常に優しさと上品さを根底に持つ子どものような人物であるのが伝わってくる映像だった。

三島由紀夫は、エキセントリックスーパースター。

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