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「純喫茶」の本当の意味

全日本コーヒー協会のコーヒー年表によると太平洋戦争の前後にコーヒー不足或いはコーヒーがないという時代がありました。
コーヒーがない時代にはコーヒーに代わるものとして「チコリ」「大豆」などを業界で使用していました。
現在のように表示法や規制する法律が整備されていない時代においては仕方がなかったのかもしれません。
私がこの業界に入った30年前には看板に「純喫茶」と書かれた喫茶店がまだたくさんありました。
当時の当社の番頭格の社員によると「純喫茶」とはコーヒーだけ或いはコーヒーを軸としたメニュー構成のお店として
教えられておりました。「純喫茶」という言葉の定義なんてものはありません。
先日、コーヒー業界を古くから詳しく知る方とお話をする機会があったのですが、衝撃の事実を知ることになりました。
「純喫茶」とは混ぜ物・代用コーヒーを使用しないコーヒーで運営している喫茶店ということでした。
代用コーヒーが普通に流通している時代は100%コーヒーというものに価値があり、「純喫茶」は高級喫茶店という位置づけで
あったようです。
「純喫茶」という言葉のきっかけは当初そういう意味ではじまったようですが、時代が進むにつれて100%コーヒーが当たり前になり
純粋にコーヒーに向き合うというような意味で「純喫茶」が変化していったようです。
1972年発売 ガロの「学生街の喫茶店」が流行した時代は喫茶店が全盛で当社のお得先様のマスターもコーヒー中心のメニューだけで
家を建てられるほど収益のあった時代で、喫茶店でのコーヒー一杯の価値が現在よりも高い時代でした。
1941年(昭和16)
農林省が「代用珈琲統制要綱」で代用コーヒーの規格を定める
1942年(昭和17)
コーヒー豆の輸入が完全に途絶え。戦時中は統制会社日本コーヒーによりレギュラーコーヒー、インスタントコーヒーが製造され、軍に納入された。
1945年(昭和20)
コーヒー豆不足が5年後の輸入再開まで続き、コーヒー豆は貴重品となる
1948年(昭和23)
連合軍放出コーヒーの払下げが行われ、各地の組合を通じて家庭配給された。
1950年(昭和25)
8年ぶりにコーヒー豆の輸入が再開される
1950年(昭和25)
コーヒー豆の物品税が50%から30%に引き下げられた(年ごとに順次引き下げられていった)
1953年(昭和28)
戦後初のブルーマウンテン輸入。

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