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2020.11.17 うちの家族〜父親編〜

わたしは、父親のことをよく知らない。死んでる訳でも別居してるわけないけど、よく知らないというより父親というものがよく分からない。のが正しいのかも知れない。あまりにも父親の話が出ないものだから我が家は母子家庭と間違えられることが多い。
職業は、トラックの運転手だ。

小さい頃からの記憶であるのは、夜勤の父親にお弁当を作ったことがある。ちょっと焦げた卵焼きとウィンナーとかミートボールだったりとか母親と作っていた気がする。「最近なんでつくらないの?」と思っていた頃には単身赴任をしてあっちこっちに荷物を運んでいた父親だ。

夜勤含めていろいろとすれ違い生活が多かった。休みがあっても昼間は寝ているイメージだ。煙草とお酒を好んでる。好きな食べ物とかよく知らない。なんでも食べるけど、何故かサーモンのお刺身が嫌いなのは知っている。でも焼鮭は好んで食べている。

運動会、父親参観は仕事で来れないからお兄ちゃんの友達が両親の代わりに参加してくれてた。寂しいなんて思わなかった、だってそれが普通だと思ってたから。学校の先生はどう思ってたかは知らない

小学生のとき、方言を調べよう。という授業があった。てっきり父親も愛知だと思ってたから、だから母親に聞いた、三河弁を教えてくれ。って、そう言ったら父親は、四国と九州と関西、おまけに東京に住んでた。という事を終わってから教えてもらった。多少関西弁なのはそのせいだ。なんとなくわたしが関西弁が出るのはそのせいらしい。なんでやねん。はよ、言えや。

りんごの皮を剥くのを、「皮をはぐ」と言うのはいつもびっくりする。ホラーすぎるだろっていつも思っている。

父親に人生で怒られたのは2回だけだ、あとは怒られたことがない。どんなときもわたしを怒るのは母親だ。父親に怒るのも母親だ。さっきも書類を書いてて怒られていた。

怒ると言うより先に、悲しませてしまった。わたしが高校生の時毎日死にたい時があった。「こんな思いをするために生まれてきた訳じゃない。」と言ったら、「久しぶりに話すのにそんなこと言うんじゃない。」と言われた。
そのあと部屋でこっそり泣いてた父親をみて、わたしは謝った。一生言うんじゃない。と父親はわたしに怒った。

もう一つは、はじめて怒られたときだ、よく覚えてないけど車に乗ってて、とにかく怒ってここで降りろ。と言われた。お兄ちゃんとお母さんとわたし。家から15分のところだ。

だから怒って、わたしたち歩いて帰ったの覚えてる?って聞いてみた。なんで怒ったかはちょっと覚えてないけどって言ったらなんとなく覚えてるらしい。母親も覚えてない。覚えていても言わないのかも知れない。

父親は回転寿司が苦手であまり行ったことがない。一回連れてったけどランチで、1人海鮮丼を食べてた。そう言えばうどんが好きな気がする。

家から歩いて15分のところに回転寿司がある。「わたし、ビール飲みたいから歩いていかない?」と誘った。
「最近、一日1万歩歩いてるから大丈夫だよ。」なんて言うから、余裕だな。と思ったので歩いて行った。意外と遠いな。そう言えばここで、3人車から降ろしたことあったな。とぼそっと言ってるし、回転寿司も、良いもんだな。なんて言いながら炙りサーモンを手に取ってた。
炙れば食べれるらしい。焼鮭か。

相変わらず、よく分からんな。って思いながら、わたしもビールを父親に注ぐ。そして父親がビールをわたしに注ぐ。

来月誕生日なので、何かしらお正月に向けて美味しい酒と相変わらず煙草をカートンで送っておこうと思う。高くなったわ、タバコ。

今朝、免許証更新してくると言った、まだまだトラックには乗るらしい。次の更新まで頑張ってください。そんなことを言ったらゴールドなんやで。と笑ってた。

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