見出し画像

ミヒャエル・エンデ 「はてしない物語」 アッハライの続きの物語を妄想したけど、書く技術がないのでネタだけにする 自己受容について

スキ、フォローありがとうございます。
嬉しい。

中学生のときに、
はてしない物語を読みました。

はてしない物語との出会いと思い出

モモが好きだったので、
誕生日にもらったお小遣いをはたいて
購入した覚えがあります。

ハードカバーの、
あかがね色の表紙。
中は二色刷り。

1人テンション爆上げ。

夢中で読んで、
生まれて初めて徹夜してしまった。

隠れて豆電球で読んだので、
目が悪くなったのも
しょうがないというものです。
それぐらい面白かった。

あと、映画になったとき、
がっかりした記憶もあるなぁ。
私の想像の中の美しさには
追いついてなかった。

ファルコンじゃなくてフッフールだよー!
フッフールは真珠色の鱗でしょう?
アトレーユは緑色の肌なのよ!
バスチアンは…あれ?覚えてないな。

ちなみに、
夫はあの映画おもしろかったという。
本は読んでいない。
虚無の話だよね?と。
ええ〜。全然わたしと理解が違うぞ。
びっくりである。

読み返す?すぐはムリ!

この記事を書く前に、
ちょっと読み返そうかな、と
パラパラめくってみたけれども
ムリ。

長い。

もう徹夜できないし
note読む時間が減ってしまう笑

モモは何度も読み返してきたけど、
はてしない物語は
読み返してないなぁ。

これはじっくりとコツコツと読み返すのが
いいのかもしれません。
楽しみが増えた。

はてしない物語は
自己受容の物語なんですね。
子供の頃はそんなこと考えずに
読んでいたけど、
今はしみじみと考えさせられる。

アッハライのシーンあらすじ


40年くらい経っても覚えている
アッハライのシーンだけ読み返しました。

アッハライに関するあらすじ。

銀細工を作る醜い芋虫のアッハライ。
自分の醜さを嘆いていつも泣いていて
常泣虫ともいわれている。
その涙で銀の都アマルガントの湖は満たされている。

それはバスチアンが作り出した存在。
その後、実際にアッハライと出会った彼は
そんな存在を作り出してしまった
罪の意識に耐えられず、
いつも楽しく笑っている蝶となる物語を
新たに語る。

アッハライは
常笑いの道化蛾、
シュラムッフェンになった。
おばかさんになって
常に笑う道化蛾シュラムッフェン。
銀細工も壊しまくる。

時は経ち、

バスチアンの旅の終わり。

シュラムッフェンはバスチアンに対して
余計なことをしてくれた、
アッハライに戻して欲しいと言う。
銀細工は壊れ新しく作るものもいない。
常泣虫の涙がなくなり湖は干上がり、
銀の都アマルガントは困っていると。

その後シュラムッフェンがどうなったかは語られない。


はてしない物語では本筋から反れると

これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう

と言う言葉で本筋に戻る。
ここも「はてしない」なんだね。

この後のアッハライの物語をしめくくるのは
その他の物語と同様に
アトレーユとフッフールが引き受ける。

どうやってしめくくる?
幸運で。

さて、エンデは続きの物語をどう想像してたのだろう?

この語られない別の物語たち。

これって
エンデが私たちに、
この続きは今この物語を読んでいる君が
想像/創造してね?
って問いかけていますよね。

このあとどうなっちゃうんだろう?って
思わせる話がいっぱいある。

40年近くたっても今だに、
あの蛾になっちゃった芋虫
どうなったんだろうな?
って思い出すことがあるくらいに。

はてしない物語は自己受容の物語。
そして、フッフールは最後、
物語は幸運の力でしめくくると言う。

だから絶対ハッピーエンドなはず。

そして、翻訳のせいではなさそうな、
バスチアンは蝶になれと願ったのに
蛾になっているところ。

芋虫と言ったら蝶でしょう。

醜い芋虫なら美しい蝶になるものじゃないの?

きっとこんな話になったと思う

  • 道化蛾シュラムッフェンは
    銀の都アマルガントに辿り着くと
    まるで魔法が解けたかのように
    醜い芋虫のアッハライに戻る

  • アッハライは以前、
    自分の醜さを嘆いていたが、
    シュラムッフェンになったことで
    初めて、
    自分たちが銀細工を作り
    涙で湖を満たし、
    アマルガントになくてはならない存在だったことを自覚した

  • 彼らは銀の都アマルガントの
    美しい銀細工を再び作り始める

  • 彼らはもう自分たちの
    醜さは醜さとして受け入れている
    美しい銀細工を作れる力があるのだから!

  • 彼らのうち、
    銀細工作りに没頭し、
    最高傑作を、
    もうこれ以上のものは作れないと
    感動の涙を流したものから順に
    サナギとなり蝶に生まれ変わるものが出始めた

  • そう、かれらは
    シュラムッフェンにならずとも
    美しい蝶の子供たちだったのだ

  • 蝶は恋をし、そして卵を産む
    卵は芋虫となり銀細工を作り、
    そしてまた蝶となる

  • 湖は再び
    感動と愛と喜びの涙で満たされた

  • アトレーユとフッフールはそれを見届けて次の旅に出るのであった

きっとこんな感じ。

この物語、
美しい言葉で綴れたらいいなぁ。

そして、徹夜して読んだあの頃の私と
語り合いたいものよ。


ネタ書くだけでもすごく疲れました。
読んでいただきありがとうございました。

今日も良い一日をお過ごしください。


こちらも良かったらどうぞ

ミヒャエル・エンデのモモについての記事

ミヒャエル・エンデの鏡のなかの鏡と関連した記事

固定記事

この記事が参加している募集

読書感想文

やってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?