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哲学者&エッセイスト宣言 ~肩書の再定義~

みなさん、こんにちは。Naseka です。
職場では監督者として、
日々チームをまとめることに四苦八苦しています。

前回の投稿で、自分の肩書について考えました。

今回は
「私は○○です!」
と自分自身が
自信と納得感を持って公言できる肩書を
自分なりに再定義していきます。


”哲学者” という肩書

ここ最近の投稿で繰り返し述べてきましたが、
私の趣味のツートップが
「読書」「思索(考えること)」

他の趣味とは違い、この2つは特に意識せずとも
自然とやっています。
たとえるならば、呼吸をするように…

特に note では私が本当に書きたいもの(コア
「考えること(その内容)」
 → 
特に「ものごとの ”本質” について考える」
「思索の末に行き着いた、自分なりの結論」
であるということに気づきました。

この考えること、これは
「哲学」
であり、それを常にしている私は
「哲学者」
といえるのではないでしょうか?

これについて
「哲学とはなんぞや?」
と調べてみましたが、
明確に「こういうもの」と
言い切れるものではないようです。

以下、参考 ↓(辞書による定義も載っているので)

時代や人により考える対象や主題は変わるものの、
少なくとも「私の思索行為が『哲学ではない』」とは
断定(大仰にいえば「証明」)はできなさそうです。

…であれば、これはもう

私は 哲学者 だ!!

”エッセイスト” という肩書

まだ始めて2か月少々、
毎日投稿してからは 3週間あまりではあるものの
(そして、中には つぶやきだけの日もあったが)
自分の書いた文章を投稿しています。

ここで
「エッセイ(随筆)とはなんぞや?」
と調べてみると、

随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想思索思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイエッセー: essai[1], : essay[1])などともいう。

随筆 - Wikipedia より

とある。当然ここから
「エッセイ(随筆)を書く人」が
「エッセイスト(随筆家)」ということになります。

…これは もはや私ひとりだけではなく、
note で文章を投稿している ほぼ全てのみなさんが
「エッセイスト」である

ということになるのではないでしょうか(※)。

これはもう

私は エッセイスト だ!!

(※ 注)
写真や画像 ”だけ” を投稿する人は
これには該当しないかもしれません。
もちろん note の活用方法は各人それぞれであり、
私はそれを否定するつもりは微塵もありません。

まとめ

生計を立てる主たる収入は、
会社員としての収入であることに
当面は変わりありません。
「あなたの職業(本業)は?」と問われれば、
相変わらず「会社員」という答えになるでしょう。

それでも 私は「ただの会社員」ではなく、
新しい肩書を名乗って
新たな人生を歩んでいくことを宣言します。

「私は Naseka 、『哲学者』『エッセイスト』です!」

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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