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座右に置いている知の巨人の書物3選・(読書論エッセイ)


今回は私自身が人生を通して、手元においておきたいと感じている書物、3冊を精選し、その魅力や出会ったきっかけを語ってみたい。

これら3冊に共通しているのは、著者が非常に聡明な人たちであるという点であり、手にすることで、強力な味方となってくれる点にある。

知の巨人の書物(海外篇)


まず、この一冊から。

エマニュエル・トッドはフランスの歴史人口学者であり、ケンブリッジ歴史学博士。日本では、地政学的な予測で知られている。
本書で明かされるのは、一言で言うなら、トッド博士がこれまでの人生を通してどのような知的マップを構築してきたか、それをこれまでの人生に立脚した具体的な経験を通して、語っている。

本書を読む前の段階では、「現代最高の知性」という表紙の言葉からは、非の打ちどころのない知的巨匠というイメージが連想された。
けれども、本書で語られるのは、決して優等生で、エリートの道を悠然と進んできた頭の切れる頭脳ではなく、IQという処理的知性とそれに代表されるエリートを一笑に付す、挫折を重ねてきた生身の歴史家の姿である。少なくとも、私はそのように感じた。

しかしながら、歴史上、そして現代においてさえ、完全な知性など存在するだろうか。完全な人間があり得ないように、その人本人が直接語る経験を傾聴すれば、完璧性のような先入観や幻想を排した姿を想像できる。
全知全能というのは、それが当てはまるのは、神しかいない。
弱さのない人間などというのは、幻想である。

その意味で、本書を通して、トッド博士の知的マップが丹念に再現されており、読者も自らの知的マップを構築し、人生という旅で、いかに独創的な発見をしていくかのヒントを探求できるといえる。

本書の最後に、ブックガイドが付いてるのは、なんとも、好奇心をそそった。すべてが読んだことのない書物だった。博士は膨大な書物や文献を読んできたというから、きっと、そのなかのうち、博士が特に影響を受けた、選りすぐりの書物ばかりなのだろう。古典作品やSF作品が含まれているのは、なんとも嬉しかった(博士が本書で語る4つの助言には、古典を多く読むこととSFを読み、想像の世界へ行くことが含まれている。博士はSFからも多くのインスピレーションを得てきたようだ)。

知的巨匠、知の巨人というのは、一つの分野のみならず、広範な分野の書物をベースにしていることが多いように感じる。例えば、経済学者、道徳哲学者のアダム・スミスは、その蔵書を眺めてみると、経済学の書物はごく一部分で、文学、詩、芸術、旅行記、博物誌など、非常に雑多な分野というか、広範なジャンルの書物で構成されており、その非経済学的起原が窺えるという。

その意味でも、トッド博士は、ただの歴史学者というよりは、非常に教養豊かな、一級の知的巨匠という感じがかなりしてくるのである。(ブックガイドにアダム・スミスの主著があるのは偶然ではないような気がする)


さて、次に移ろう。2冊目は、この一冊。

ジェームズ・ラヴロックが本書を著したのは、100歳の誕生日記念である。ブライアン・アップルヤードが序文で書いているのだけれど、彼が話し始めると、それを目の当たりにした聡明な人々でさえ、非常にうろたえてしまった、というような描写が語られている。それほど、ラヴロックの知性は耀きを放っていたのだと、私は感じたのだけれど、読み進めていくうちに、その独創性に満ち、軽妙な加減で展開していく思索に魅了された。
ラヴロックは、ガイア理論の生みの親として知られているが、世界を代表する100人の知識人の一人として、プロスペクト誌に選出されたことや、数々の栄誉に輝いていることも、知らなかった。ラヴロックを初めて認識したのは、千夜千冊を読んでだけれども、本書を知ったのも、千夜千冊のアントロポセンの回を読んでだった。
電子的知性が開花するであろうという予言が唱えられており、地球がアントロポセンから、ノヴァセンという新たな地質時代のステージへ突入していることなどの、数々のアイデアが、語られる。私は、これを読んで知的に興奮した。カーツワイルやハラリのシンギュラリティ論を読む前に、ラヴロックの思索をインストールしたことで、それらの神話が色褪せて見えた。いや、正確に言えば、私はこっちにほうに惹かれたといえる。
本書を座右の書と自認するのは、そのSF的センスの高さとハードサイエンスの融合感、そしてそのクリエティビティ溢れる思索の躍動を日常的に浴びたいからだといえる。
デジタル時代といわれる現代は、アントロポセンという生命が捉えなおされる時代と両義的である。電子的生命と超知能の出現というデジタルと生命が融合する、新時代をリードする大きな知的革新の到来を予言した一冊。

次は、この一冊。

ワイアード誌創刊エグゼクティブエディターであるケヴィン・ケリーの著作。
テクノロジー版・種の起源といえるけれども、本書は、知性とは何か、創造性はいかにして成り立っているか、という不朽の問いを探求しているといえる。つまり、知性や創造性を成り立たせ、その背後に躍動する宇宙的原理を記述してみようという壮大な試みである。テクニウムとは、創造性を成している宇宙的原理、テクノロジーの生態系と解釈できる。ケヴィンが定義するテクノロジーとは、iPhoneやジェット機、テーブルや机、ロケットやコンピューターなどといった、人類が発明してきた物理的な製品や道具だけを指すのではない。
法律や神話、人権や学問体系や哲学原理など、非物質的なものも、テクノロジーとみなす。つまり、人類の創造性が生みだした、あらゆるものをテクノロジーと捉え、その背後にある創造的宇宙原理を想定している。
本書はまだ少しずつ読み進めている途中なので、理解はまだ浅い。
本書の存在は、二冊目の『ノヴァセン』を読んで知った。

これで、私のバイブル的な書物三冊の紹介を終える。
けれど、以上の著者はすべて外国人である。日本にも、耀きを放つ知の巨人がいることを私は忘れていない。


知の巨人の書物(日本編)


私が認識する日本の知の巨人といえば、立花隆さんと松岡正剛さんである。

この二人の著作で、座右に置いている講談社現代新書の著作は二冊ある。

まず、立花さんの一冊から。

実は、この本は、昨日買ったのだけれど、すでに読了した。一生連れ添いたい書物であると確信した。
1984年に初版がでた書物なので、いまとなっては古い箇所もみられるという意見をネットのレヴューで目にしていた。それを承知で手に取ったが、そのコアは不朽であると感じた。非常に満足だった。
知の巨人、立花隆さんが遺した方法論的書物。私は立花さんに興味があり、立花さんを少しでも知りたいと望んで手に取った。
十分すぎるほど、価値のある一冊である。
特に面白かったのが、難解と世評のある古典的書物の読解に、できるだけ若いうちに脂汗をかきながらでも、挑戦しておいたほうがいいというようなアドバイスである。詳しくは本書を手に取ってほしいのだけれども、そのような難解な書物で精神集中を極限までトレーニングすることが非常に価値のある経験となるのだという。こんな高度なアドバイスはこういう書物からでないとなかなか得られなかった。立花隆さんならではではないだろうか。
他にも、未知の分野を一から学ぶ上での指南や情報収集の肝、文章表現の技法など、目から鱗だった。不朽の名著である。

松岡正剛さんの一冊はこれ。

松岡正剛さんの千夜千冊を、サイトをたまに閲覧し、主にエディションを愛読しているのだけれど、本書はまだレヴューできるほど読み込んではいない。これから紐解こうと座右に置いていると言える。

知の巨人の書物(番外編)


最近刊行された書物で、だいたい読み終わったのは、この一冊。偉大なる哲学者ヒュームとアダム・スミス、そしてスミスのいう人類の支配者とアメリカ社会、気候危機がキーワードな気がします。


以上、座右に置いている書物plusアルファの紹介でした。

中公新書の魅力


最後に、愛好している新書レーベルについて、書いておきたい。そのレーベルとは、中公新書である。私は、中公新書が好きだ。
どうしてかを考えてみると、三点に絞れる。一、その重厚感、二、良質な文章なので、読みやすい、三、良質だからこそ、文章を書く上でのセンスというか、バランス感覚を養える。
一点目は、新書にしては厚みがあるという意味である。けれど、分量が概して他の新書よりも大きいのかどうか、それはエビデンスをとっていない。目測である。
二点目の意味は、もしかしたら私が読んだ中公新書の文章が概して好みだったというだけかもしれないが、なぜか中公新書は文章がさらさらっとしていて読んでいて心地よい。人それぞれ好みがあるだろうけれど。
三点目は、ほぼ確信に近い。中公新書は文章のバランス感覚を養う上で、適していると感じる。
上に紹介した立花隆さんの著作で、いい文章を書くには、とにかくいい文章をたくさんインプットするしかない、と書いていたけれど、中公新書は、いい文章の好例だと思う。文学作品の個性的文体とは、また違うけれど、この点は重要である。


最後に

経済的にも混迷した、激動の現代。
私たちは、思考のコンパスを必要としています。
世界には、そして日本には、知性を極限まで磨き続ける知者たちがいて、その思考地図を手掛かりに流れゆく巨河を私たちも進んでいく、そして、その舵をより強くできる、そうした思いから、今回の記事を書きました。


ご清聴ありがとうございました。



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