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冒険ダイヤル(26) 嘘はついてない 

(前回まで) 高校生のふかみたちは謎解きゲームをしながら、幼馴染みの魁人を探している。彼を思わせる赤いスニーカーの人物を発見した。

いつだったか駿と三人でおやつを食べようとして公園のベンチに並んで座っていた。サラダせんべいと魚肉ソーセージと紙パックのジュースだった。
せんべいの袋を切ろうとしてギザギザのところをつまんだらビニールが伸びてしまった。力を入れれば入れるほど伸びるだけで開けられない。
困っていると魁人は歯で噛みちぎって切り口を作り、そこから開けてくれた。
次に魚肉ソーセージのフィルムをめくろうとしたが、テープの先がちぎれてしまった。
すると魁人は端の部分を金具ごと勢いよく歯でかじりとり、皮一枚でくっついているのを渡して「ここから剥ける」と渡してくれた。
次に紙パックジュースの側面に付いたストローを取り外そうとした。
ストローを包んだビニールの接着力が強く、指でストローを押し出そうとしたがビニールが厚くて硬い。
魁人は黙って深海にそれを渡せと手を出した。
彼は紙パックを受け取ると、ビニールを剥がしたりせず、吸口の方を下にしてベンチの縁にひっかけ、押し付けながら強く引き下ろした。
ストローの尖った方がビニールを突き破って出てきた。魁人はストローの先を口にくわえ、首を横に振って取り出し、歯の力でストローを伸ばした。
そして当然のように勝手に飲み始めた。
「ありがとうって言おうとしたのに」と深海が言うと、にやにやして「こっちをやるよ」と自分の分を放ってよこした。
深海と駿は彼をまねてようやくジュースを飲むことができた。
普段はハサミを使うのでそんな開け方を初めて見た駿は感心して「おれ、もっと歯磨きして歯を丈夫にする」とつぶやいていたのがおかしかったのを懐かしく思い出す。

「きっとあれが魁人だ」
深海はハートせんべいのくぼみからそっと片目で覗いてうなずいた。
「目標を確認しました。追跡を開始します」
陸も同じようにせんべい越しに深海を見てうなずいた。

駿と絵馬は横断歩道を渡ってコンビニに入っていく。魁人らしき人物もコンビニに入った。
深海たちはコンビニの脇の路地から出入り口をうかがった。彼にその気があればそろそろ名乗り出てもいい頃だ。
しかし店から出てきた駿たちはまだ何も知らない様子だった。

「ふかみちゃん、もうこっちから話しかけようよ」
陸は焦れったいのかムーンウォークをしてみせた。
赤いスニーカーはなかなか出てこない。駿たちは横断歩道を渡っていってしまった。
「どうしてついていかないんだろう」
店に飛び込んで魁人を質問攻めにしたい気持ちもあるし、彼の意図がわかるまではそっとしておいた方がいいのかもしれないとも思った。
謎が解けたら会おうという言葉の意味がまだひっかかっていた。
 
やがて自動ドアが開き、真っ赤なスニーカーを履いた人物が出てきた。彼はしばらく遠ざかっていく駿たちの後ろ姿を目で追いかけていた。
髪をかきあげると見覚えのある彫りの深い顔立ちが現れた。
以前より眉は太くなり頬骨や顎が尖って、肌は浅黒く日に焼けている。筋肉がついてがっちりとした体つきになっていた。
彼は喉仏を上下させて買ってきたばかりのペットボトルを一気に全部飲み干し、荒っぽくゴミ箱に放り込んだ。
 
陸は深海の服をつまんで引っ張った。
「魁人くんかどうか確かめてくる」
止める暇もなく彼はすたすたと近付いていってしまった。
深海はハートせんべいで顔を隠し、あわてて彼らの死角に入った。

   *

「もしかして魁人くん?」
陸は近所であいさつするような軽さで話しかけた。
深海は手のひらがじわりと汗ばんでくるのを感じた。
陸は親指で自分を指して人懐こい笑顔を見せた。
「僕、縄田陸だよ。鶯町の小学校にいた魁人くんだよね?中学で見かけなかったけど元気だった?」
しれっとそんなことを言う。

もちろん魁人が陸を知っているはずがなかった。
陸は同じ小学校に通っていたとは一言も言っていないのでぎりぎり嘘ではないが、元同級生だと勘違いさせるのには充分なほど絶妙にずるい言い回しだった。

彼は少し後退って陸の顔をじっと見つめた。
こんな同級生がいたかと記憶を探っているのだろう。
魁人は変わり者として校内では有名だったので魁人の方では知らなくても同学年の子どもたちはみんな彼を覚えていた。本人もその自覚があったはずだ。

一呼吸おいてから彼はぼそりと答えた。
「ああ。転校した」
深海の心拍数が跳ね上がった。彼はやはり魁人なのだ。
「そうだったんだね。今でもあの頃の友達と会ったりしてる?」
「いや、もうずっと会ってない」
「僕は川嶋っちと同じ高校に通ってるんだ」
陸はいつもと全く変わらないのほほんとした調子でそう続けた。
駿を川嶋っちと呼んでいるのを深海は一度も聞いたことがなかったので、なぜ呼び方を変えたのか不思議だった。その小さなほころびが魁人に見破られるのではないかと深海ははらはらした。
 
だが魁人は陸を疑わなかった。
「へえ。川嶋駿?あいつ元気か?」
淡々と彼は答えた。駿と無関係にここへ来ていると装うつもりらしい。
「元気だよ。今でも鉄道が好きでさ、僕も鉄道研究サークルだからこの前一緒に撮影旅行したんだ。魁人くんの話をよくしてるよ。あいつも今日この辺に来てるんだってさ。この後会うことになったんだけど、よかったら魁人くんも来ない?」
陸はひとつも嘘をついていないが肝心のところが抜けている。なかなか巧妙だ。

「きっとあいつも喜ぶよ。おいでよ。何か予定があるの?」
無邪気な表情でそう畳みかけた。
どう答えるのかと息をするのも忘れて集中していた深海は、持っていたハートせんべいが足元に落ちた音で我に返った。

魁人は振り返って深海の方をちらりと見た。
あわててせんべいを拾うふりをしてうつむいた拍子に今度は黒いキャップが頭から落ちた。
まだ顔を見られてはいないはずだが、ひやりとした。

私はここにいるよと言えばいい。言うなら今だ。
それなのに深海は声が出なかった。
魁人に会いたくてここに来たはずなのに。
顔を合わせるのを恐れているのは魁人ではなく自分の方ではないのか。
頭が混乱して胸が苦しかった。

魁人は特にこちらに興味を持たず、陸に向き直り「用事があるから」と断った。
「残念だな」
陸は心からそう思っているようだった。
魁人は陸の眉毛が八の字になったのを見て申し訳なく感じたのだろうか。優しい口調で「ごめん、じゃあな」と切り上げた。
 
彼が半歩踏み出したところで深海はほっとして気を抜いた。
その時ふいに彼はもう一度振り返って言った。
「誘ってくれてありがとう」
とても寂しそうな顔をしていた。
深海が一度も見たことのない顔だったのでつい見入ってしまったのがいけなかった。
魁人は自分を凝視しているもう一人の誰かがいるのに気付いてしまった。

「ふ…かみ?」
まるで外国語のようにたどたどしく彼はつぶやいた。
深海はすっかり痩せて背が高くなり少年のように短い髪でくすんだ色のツナギを着た姿だったが、彼の目をごまかすことはできなかった。
魁人の顔からすっと表情が消え、ゆっくりと背を向けた。
それから素速く横断歩道を渡り、駿たちとは別の路地へと入っていく。深海は後を追っていこうとしたが車に阻まれた。
 
ようやく車が途切れてから深海は後を追ったが、もう彼の姿はどこにもなかった。
「ふかみちゃん、これ落としたよ」
陸が黒いキャップとハートせんべいを拾ってきてくれたが、せんべいは袋の中で無惨に壊れていた。

  *

「そうか、ばれたか」
駿は陸からの電話を受けてもあまり驚かなかった。
「どうせすぐばれると思ってた。長く保った方だよ」
駿と絵馬は湯本橋のそばの甘味処でさらにソフトクリーム看板を発見し、〈ふ〉という文字が書かれた紙片を手にしていた。

和傘の下に緋毛氈が敷かれたベンチに座り、絵馬はしきりと汗を拭いている。
日焼け止めが流れてしまうのを気にして顔を拭くときはそっとハンカチを押し当てていた。
「もう隠れる必要もなくなったし、楽でいいんじゃないか?その海鮮の店をお前たちがチェックしてくれよ。おれたちも折り返し歩いて探すから」

通話を終えると絵馬がうらめしそうにこちらを見ていた。
「色々と言いたいことがあるけど、正直暑すぎてどうでもよくなってきたよ。あたしそろそろ汗臭くない?」
「臭くないよ」
むしろ石鹸の香りが漂ってくる。
駿は自分の方が汗臭いのではないかと気になった。
女性と一緒に歩いた経験がないので絵馬に不快感を与えていないか少々心配だったが、かといってどうすればいいのかわからない。
せめて接近しすぎないようにしようと座る位置をずらした。
するとふたりの間に置いてあった絵馬の帽子が自分と一緒にベンチの上を滑ってきてぎょっとした。
 
帽子にはふんわりした糸で織られたリボンが結んであって、その繊維が駿の腕時計にからんでしまったのだ。
焦って取ろうとしても繊維がますますほつれてくるばかりだ。
「きゃっ!引っ張っちゃだめ」
絵馬もこれに気付いて金切り声をあげた。
片手では難しいとわかって腕時計を外してからやってみたが一向に取れない。

絵馬は涙ぐんだ。
「ふーちゃんに付けてもらったお気に入りのリボンなのに」
「困ったな」
ハサミを店の人に借りに行こうかと考えていると、絵馬はいきなり糸を口にくわえた。
バチンと音がして糸が切れた。噛み切ったのだ。
「うわ、お前すごいな」
「ふーちゃんが手芸の時によくやってた」
絵馬はなぜか誇らしげに腰に手を当てた。
「あたし必要なときは手段を選ばないの」
「そうだろうなあ」
駿は伝言ダイヤルに絵馬が割り込んできたときのことを思い出して苦笑した。
絵馬のそういう所がだんだんと気に入り始めていて、自分でも不思議だった。
 
湯本橋から今度は駅の方角へ引き返すことになり、ふたりはまた炎天下を歩き出した。そこからは順調にソフトクリーム看板が見つかり、さらに〈つ〉〈き〉の二文字を探し当てることができた。
「これでふーちゃんとりっくんがもうひとつ探して来てくれれば七つ揃うね」
「そこからが本番なんだ」
魁人が深海の尾行に気を悪くして帰ってしまっていなければの話だが。
 
ひとまず喫茶店に入って深海たちと待ち合わせすることになった。
ちょうどレトロな雰囲気の素敵な店があったのでドアをくぐった。店内の涼しさがありがたい。
「天国だ」
「天国だね」
この酷暑の中、深海と陸は大丈夫だろうか。早く謎解きを終わらせて一緒にのんびりしたかった。

シャンデリアを模した控えめな照明の下に赤いビロード張りの椅子が並び、テーブルの間に観葉植物が配置され、壁にはステンドグラスが飾られていた。
ぎらぎらした日光に晒されてきたところだったので落ち着いた店内の空気に安らぎを感じる。
ふたりは奥まった席に陣取ってケーキセットとクリームソーダを注文した。
それから向かい合ってテーブルの上にこれまでに集めた紙片を並べてみた。

〈よ〉〈み〉〈ふ〉〈つ〉〈き〉
 
そして今は手元にないが〈な〉の字を深海たちが持っている。

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