アナログ派の愉しみ/本◎ルナン著『イエス伝』

奇蹟とは何か
復活とは何か


キリスト教徒でもないわたしが、イエス・キリストそのひとの生涯をめぐる書籍や映画に惹かれるのは、おそらく人類史上最大のカリスマがまとう神秘のヴェールの内側を覗いてみたい欲求があるからだろう。あたかも、上質のミステリー小説で不可解な謎がひとつひとつ解き明かされていくのに胸躍らせるかのように――。その意味で、これまでいちばん大きな興奮を味わわせてくれたのはエルネスト・ルナンの『イエス伝』(1863年)だ。

 
19世紀のヨーロッパを席巻した合理主義の申し子たるフランス人の元神学生が、気宇壮大な『キリスト教起源史』の第一部として執筆したこの著作は、新約聖書以下の各種文献やみずからパレスチナへ出向いての実地調査をもとに、実証に実証を重ねてイエスの実像に迫っていこうとしたもの。その手際は、犯罪捜査にあたって、現場周辺の些細な証言や証拠から事件の真相を暴きだしてみせるシャーロック・ホームズのように鮮やかだ。

 
当然ながら、母親のマリアが処女のままで神の子を身籠ったとか、出産のときには東方の三博士がやってきて礼拝したとかのエピソードは影も形もなく、この本では「イエスは、平民の階級から出た。父ヨセフ、母マリアは、安楽でもなく貧乏でもない近東ではごくふつうの状態で、働いて暮す職人で、中位の身分の人々であった」と記述される(引用は岩波文庫の津田穣訳を現代仮名遣いに改めた)。そんなイエスがユダヤ人社会のもとで教育を受け、自分を父なる神の子と見なすようになり、バプテスマ(洗礼者)のヨハネとの出会いによって思想を発展させ、やがてテベリア湖畔の弟子たちをともなって宣教活動に入っていくのだ。

 
もっとも、最初期の教義内容や他宗派との対立関係といったデリケートな領域に門外漢の立場で踏み込むのは控えて、ここでは、われわれ異教徒にとっても馴染み深いふたつのエピソードだけピックアップして、ルナンの見解を眺めてみよう。まず、イエス・キリストと言ったらこれを抜きには語れない、かれが行った数々の奇蹟について――。

 
 イエスの実行したと信じた奇蹟のほとんどすべては、病を癒す奇蹟であったようである。その頃のユダヤの医術は、今日なお東方にあるような、少しも科学的でない、全然、個人の霊感に委ねられたものであった。〔中略〕このような知識の状態にあって、病者をやさしくいたわり、感動せしめる何かの身振りで、回復の保証を与える優れた人間の姿は、往々、決定的な薬であった。全く症候の明確な病害は別とし、多くの場合、気高い人物との接触は、薬剤による方法に匹敵しない、と誰が敢(あえ)ていいえようか。その人物を見る喜びが、癒すのである。その人物は、その与えうるもの、微笑を、希望を与える、そうしてそれは無益ではない。

 
ルナンが指摘しているのは、2000年前のパレスチナにかぎった事情ではない。21世紀の日本にあっても、ハンセン病の患者・家族の差別をめぐる国家賠償のあり方がいまだに論議され、また、コロナ禍のもとでは最前線に立つ医療従事者への嫌がらせや差別が社会問題となったのも記憶に新しい。人類にとって永遠の脅威である病気を前にして、しばしば矛先が病気より当事者のほうに向けられる状況はつねに同じだ。イエスが手を差しのべて、そんな虐げられた人々を癒すべく抱きしめただけでも奇蹟と呼ぶに値する行為だったろう。

 
また、およそ他の宗教には見られない、キリスト教の根幹をなしている不思議なエピソードにも当たってみよう。イエスが十字架上で天に召されたのちの、復活について――。

 
 日曜日の朝、マグダラのマリアを始め、女たちは、大そう夙(はや)く墓へやって来た。石は入口から除けられ、遺骸はもう、置かれた場所に無かった。〔中略〕誰が、彼の体を運び去ったのか。いつも軽信な熱狂的精神は、復活に対する信仰の打ち樹てられるところの数々の物語の全体を、如何なる状態において、孵化せしめたのか。このことは、反対する史料がないから、永久に分らないであろう。が、しかし我々はこう言おう、そのおり、マグダラのマリアの強い想像力が、主役を演じた、と。愛の崇高な能力! 幻想におそわれた女の愛情が、復活した神を世界に与えるその聖(きよ)い瞬間!

 
もはや多言は要すまい。ひとりの男が息絶えたのちに、ひとりの女がかれを愛するあまり死の事実を受け入れず、この世に戻ってきたとの確信を貫き通すとしたら、それこそが復活であって、たとえ肉体が蘇ったとしてもそこに愛の交流がなければ、ただのゾンビに過ぎないはずだ。ルナンの『イエス伝』は発表されるやいなや凄まじい物議をかもし、カトリック教会からは囂々たる非難を浴びせられたというが、わたしの目には、なんらイエス・キリストの尊厳を損なうものではなく、むしろ合理主義の立場によることで信仰の違いを超えて、人類にとって最高に美しい生き方を指し示していると映るのだが、どうだろうか。
 

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