アナログ派の愉しみ/映画◎赤井英和 主演『どついたるねん』

ボクシングが
能の所作のごとく


かねて疑問なのは、日本のテレビではやたらにスポーツ番組が幅を利かせているのに、映画の分野にはアニメや青春学園モノのたぐいを除くと、なぜか本格的な大人のスポーツを主題とした作品がほとんど見当たらないことだ。わたしの記憶にあるのはせいぜい、黒澤明監督の『姿三四郎』正(1943年)・続(1945年)、丸山誠治監督の『男ありて』(1955年)、阪本順治監督の『どついたるねん』(1989年)ぐらいのもの。それぞれが描くのは、柔道、プロ野球、ボクシングだ。なかでも、『どついたるねん』はタイトルに偽りなく、スクリーン越しに痛烈な一撃を食らわせられた印象が残っている。

 
これは、「浪速のロッキー」の異名を馳せた元プロ・ボクサーの赤井英和が、引退後間もなく、現役時代の破天荒な生きざまを綴った自伝にもとづいて、みずからが主役となってつくりあげた映画だ。したがって、実話を脚色したフィクションのドラマだとしても、モデルの人物に当の本人が扮している以上、他人の俳優がまねごとで演じるのとは異なり、一種のセミ・ドキュメンタリーと見なしてもいいのではないか。その意味で、はなはだ希少価値の高いスポーツ映画だろう。

 
近所のガキ大将だったころからボクサーに憧れ、その夢を実現した安達英志(赤井)は、世界タイトルマッチの前哨戦でノックアウトされて脳挫傷を負い、開頭手術によって一命を取り留めたものの再起不能となる。そこで、リングに立てない代わりに、自分の名前を冠したボクシング・ジムをオープンして、かつて日本チャンピオンだった左島(原田芳雄)をコーチに迎えて後進の指導に当たるが、その方針は「どついて、どついて、どついたるねん!」という攻撃一辺倒で、強引なやり方に選手たちは逃げ去ってしまう。窮地に追い込まれながら、なおもボクシングを捨てきれない安達は、このうえは自分がカムバックするしかないと決意して、主治医にニセの診断書を強要してライセンスを再取得すると、ふたたびリングをめざす……。

 
そんなひとり息子の身勝手な振る舞いに踊らされる父と母、腐れ縁のボクシング・ジムのオーナーとひそかに心を寄せるその娘、パトロンを引き受けるオカマ・バーの経営者(美川憲一の怪演)ら、安達を取り巻く人々が通天閣の街で紡ぐのは昔ながらの人情喜劇だけれど、その中心にあって、新たな四回戦のリングに向けて苛烈なトレーニングと減量に取り組む主人公だけがひとり別世界を生きているように見える。凄まじい表情は、たんにドラマのなかの演技ではなく、実際に脳挫傷の履歴を持つ赤井にとって、撮影現場で試合の相手役をつとめた日本ミドル級元チャンピオンの大和武士との殴りあいが非常な危険をともなうものだったゆえだろう。

 
「ボクシングは殺しあいや」

 
安達が吐いたセリフは、赤井自身のセリフでもあったに違いない。それにしても、狂気さえ窺わせるかれの張りつめた姿の、目がくらむほどの美しさはどうしたわけか?

 
能(申楽)の奥義を説いた『風姿花伝』(15世紀初頭)のなかで、世阿弥が芸を花に譬えたことはよく知られている。たんに比喩ではない、現実の花を観察するところから学ぶ必要があるとしてこう続ける。

 
「そもそも花といふは、万木千草において、四季折節に咲くものなれば、その時を得て珍しきゆゑに、もてあそぶなり。申楽も、人の心に珍しきと知るところ、すなはち面白き心なり。花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散るゆゑによりて咲くころあれば、珍しきなり。能も、住するところなきを、まづ花と知るべし」(花伝第七)

 
手元の注釈書によれば、最後のセンテンスの「住する」とは停滞するとの意味で、つまり、花とは必ず散るからこそ美しく咲くのであって、芸もまた、たとえ瞬く間に散ろうとも決して同じところに留まらないかぎり美しさをまとう、と教えているのだ。

 
であるなら、いまさらながらカムバックして若いボクサーの連打を浴びて失神しかける安達のありさまと、映画撮影にかこつけてなおリングの上に立ち続けようとする赤井のありさまはあいまって、停滞を拒む「花」と咲き、あたかも能の所作のように眺められるのである。もはや栄誉のためでもない、カネのためでもない、自己陶酔のためですらない、ただボクシングに取り憑かれた孤独な男。そのばかばかしいまでに一途な美しさを描きだした作品は、日本独自の美学を示したのではなかったか。と同時に、この国においそれとスポーツ映画が出現しない理由も明かしてしまったのかもしれない。
 

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