アナログ派の愉しみ/映画◎是枝裕和 監督『万引き家族』

もうひとつの
『サザエさん』の可能性


「血がつながってないほうがいいこともあるんじゃない?」

 
砂浜にすわって海風に髪をなぶられながら、かあちゃん(安藤サクラ)がばあちゃん(樹木希林)に向かってそう問いかける。波打ち際では、とうちゃん(リリー・フランキー)を中心に亜紀(松岡茉優)、祥太(城桧吏)、ゆり(佐々木みゆ)が賑やかにじゃれあっている。

 
たとえば、こんなふう。亜紀の水着からこぼれそうになっているバストに目を奪われた祥太に対し、とうちゃんは「いいんだ、男はみんなオッパイが好きなんだ」と告げたあとで、その股間に手をやって「最近、朝、ここが大きくなるんだろ?」と訊ね、相手がうなずいて「ちょっと病気かと思った」と応えると、肩を抱いて「健康な証拠だよ」と笑う。まことにもって、絵に描いたような家族団欒の図だろう。いや、まさか。いまどきこんな温もりのある会話を交わす親子など存在しまい。映画のうえでもリアリティを感じ取る観客はほとんど皆無だろう。そこに是枝裕和監督の『万引き家族』(2018年)の立脚点がある。まさしくかあちゃんが喝破したとおり、かれら6人は血のつながりがなく、戸籍の法的根拠も持たない集まりであればこそ、こうした血の通った家族の交流が成り立つという逆説が示されているのだ。

 
もともと年金生活者のばあちゃんが独居していたあばら家に、おたがい過去にいわくのある者同士がその過去を消して住みつくようになったらしい。だから、天下晴れて正業に就いたり学校に通ったりするわけにいかず、いきおい万引きや日雇い・風俗業といった日陰の稼業で糊口をしのいでいた。そうしたところ、冬の夜、両親のネグレクトで行き場を失った幼いゆりと出会い、仕方なく迎え入れたことで、かれらは傷ついた小さな心を快癒させるために結束し、いっそう濃密な情感を育んでいって、半年後の夏には前述のとおり一家そろって世間へ繰りだし天真爛漫な海水浴が実現する。

 
しかし、やがて認知症の兆候の現れたばあちゃんがあっけなく息を引き取ると、その事実を隠蔽して年金を不正受給しようと遺体を床下に埋めたことから、かれらの相互の歯車が軋みだし、ついに祥太がスーパーの万引きで捕まったことをきっかけとしてすべてが露見して、祝祭の日々は終わりを告げる。なるほど、しょせんファンタジーの家族像であり、現実の社会秩序のもとではごく当然の成り行きとわかっていても、何かしら胸底にわだかまりを覚えるのはわたしだけではないはずだ。

 
ファンタジーの家族像と言ったら、第一に指を折られるべきは『サザエさん』だろう。終戦直後から今日まで70年以上にわたり漫画・アニメの形で人々に愛され君臨しつづけてきたことは、日本社会における家族の激しい移り変わりを考えれば奇跡的であり、この三世代7人によって構成された「磯野家」はまさに盤石の家族と見える。だが、果たしてそうか。もしも、カツオが祥太のように万引きに手を染めたら、タラちゃんがゆりのように両親のサザエとマスオからひそかに虐待されているとしたら、あるいは、波平やフネがいよいよ認知症に取り憑かれたとしたら……どうだろう? あのいつも明るい笑顔に満ちた家族の平和は、まるまると膨らんだ風船に針を立てたようにいっぺんに破裂してしまうに違いない。『万引き家族』の一家6人は、いまや世間にありふれているそうした状況と対峙してともかく持ちこたえようとしており、その意味では、将来に向けてもうひとつの『サザエさん』の可能性なのだ。

 
前科を持つとうちゃんに代わって、幼児誘拐や死体遺棄の罪を一身に背負ったかあちゃんが、やがて5年の刑期を終えて出所してきたときに、いったんは離ればなれとなったかれらがどんな人生の選択をするのか? その答えは、われわれがみずからの家族のありようを省みながら見つけるべきものだろう。デビュー作『幻の光』(1995年)以来、一貫して日本のさまざまな家族像を描いてきた是枝監督が、ここで血縁や戸籍の根拠をかなぐり捨てて新たなヴィジョンを示したことは、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールの栄誉よりも意義が大きいとわたしは考えている。
 

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