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定番を経て成った革命論──『朱子学と陽明学』

中国哲学史』を読んでいる時に、以前に読んだこちらの本を思い出しましたので、2つの本の内容をふまえて簡単に感想を記載します。


書籍データ

感想

朱子学=政治の王道でいい子ちゃん思想
陽明学=草の根からの批判的危険思想

というイメージだったのですが。

成り上がりで努力して主流派になろうとした朱熹と、生まれながらの文化貴族として染み付いたその主流思想の違和感に気づきぶち壊そうとした王陽明。
むしろ提唱した本人たちの立ち位置は逆だったということがわかり、新鮮でした。

結局、朱熹・王陽明共に、後世に影響する思想を遺したわけですが、それを広めて利用したのは本人ではなく後世の人で。
本人の意識と、後世の評価とか使われ方のギャップも興味深いところです。

朱熹の朱子学のもとを起こした時も、その朱子学を批判する形で王陽明が陽明学をのもとをおこしたときも──批判される説は、その時代に主流派として重要視されていた思想で、だからこそ批判する価値のあるものだったということなんでしょうね。

どんなに優れた解釈でも、100年も経てば形骸化するし古典化するし、説自体がもはやミイラ化するでしょうから、そうやって新派新説が出るのは、考えてみれば当たり前の流れですよね。

今回、双方の中身にほんの少しですが触れて思いました。
朱子学の王道感もすごいし、陽明学の革新性もまじですごい。

備忘録:朱子学の思想

性・理・気

身体的、物質的な気と、天の理を共有する性からあらゆるものは説明できる。孟子を受け継ぐ以上、性は本来的には善であるはずだ。では、悪はどこにあるのだろうか。それは、気としての身体や、欲望が偏った私から生じる。

『中国哲学史』朱熹と朱子学 p.190

朱熹は、その悪を払う方法として、内面に向かう『誠実』というアプローチを採用した。

誠は充実である。意は心から発出するものである。心から発出するものを充実し、必ず自己に満足し、自己を欺かないようにする。

『大学章句』

一方でこの考え方は、他者に見えない分「成果をどう評価するか」「どのようにこのような自己啓蒙を他者にもはじめさせるか」といった外部との関係が問題になる。

この問いに対して、朱熹は「すべての理を知り尽くす=他人と共有・検証可能な状態におく」という解決策を提示した。これは一見理にかなっているので、朱子学は仏教にはできなかったこの世界においての善を実証する装置を整えた

朱子学の限界

ただし、この説はまだまだ問題を孕んでいる。

「(一番に理に通じているはずの)君子の自己啓蒙は、他の誰にも通じないのではないか」という問いである。

君子の独に閉ざされた意識は、他人を予想することがないために、自己欺瞞が純粋に可能となり、その結果、悪の中の悪である巨悪までなしうる。

『中国哲学史』朱熹と朱子学 p.197

そしてこの問いに対する答えはない。
ひたすら道を極めることを説いた朱熹の思想の限界は、ここだったらしい。

しかし先ほども述べたように、善を実証するための対外的な評価指標を示した点で儒家の思想を底上げした朱熹の功績は大きかった。

以上が、ストイックで融通が効かないイメージのある朱子学の概要。

備忘録:陽明学の思想

誰もが聖人になる

朱子学が課題とし、こだわった外部性を打ち払い、内部性に徹したことが陽明学の特徴であると『中国哲学史』では書かれている。

「この花はあなたの心の外には存在しない」

陽明学は、"実在の成立は心に依存している"という考え方。しかし、花を見ながらこの言葉を友人に投げかける王陽明は、友人の心をなんらかの形で理解している。心には他人による了解機能が備わっているといえる。

それはなぜか。
天地万物はもともと一体であるから、「私の心」も「あなたの心」もまた一体である。だから、それぞれの心において成立する実在という構造は普遍的なものになる──という「良知」という考え方で解答している。

このようにして、王陽明は外部性を廃すること理論を一つ立てた。
では、悪に対する対処はどうか。

良知は自己反省的な構造を持つ。
だから「人はみな良知によって心の善悪を自ら知る。そのはたらきは君子も小人も変わらない」というのが王陽明の説である。

君子の才であった善悪判断が万人化したら、小人と君子の違いはどこにあるかというと、陽明学では「小人は助け助けられ、他者の中で生きざるを得ない」という点がそれを分ける。
先ほども言ったが、王陽明の思想の特徴は内部化の徹底である。なので、そこと矛盾させない両者の区別は「良知(自己反省)すれども徹底できないのが小人」ということになるらしい。

民衆の知に言及した思想

それまで儒家思想において、徳を備えた君子が率いるものという認識であった小人──民衆の知に言及した点が、陽明学が後世の歴史に大きく影響を与えた核心部分なんだと思う。

王陽明(とその弟子)が系統立てた陽明学は、聖人を万人化したこと、人欲を肯定したこと、人と人との交友・関係を重視したこと。
そして「吾が心に省みて非なれば、孔子の言といえども是とせず」というところから端を発した経書の絶対性を否定する向き。

それまでの儒家思想のあり方を大いに打ち崩すきっかけとなった王陽明は、やはり「思想の革命児」といえる存在だなと納得。

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