人類が狩猟採集民であった時代については、あまり目新しい情報はないなと思って読んでいたが、農耕の幕開けからの解釈が俄然面白かった。
下巻はまだ読んでいないが、すでに入手しているので必ず読もうと思う。
第2章「虚構が協力を可能にした」の章段のまとめとして、このようなことが書かれている。「サピエンスの特性である虚構(=想像上の秩序)を生むの能力から生まれたゲームとは何なのか」というところから、この本のメインストーリーが幕を開ける。
進化ではなく悲劇
第5章は、狩猟採集生活から農耕生活へと人類が“発展”したことは誤算だったという見方がとてもユニークだと感じた。
著者は狩猟採集型から農耕型への生活の変化は、今日から見れば人類の文明の進化を後押ししたように見えるが、章名にも明らかなように実際は大きすぎる犠牲を伴った「悲劇」だったのだと言う。
一定の犠牲を前提とするのが進化というものだという論調もあるだろうが、その犠牲がどれほど甚大なものであったのかは、過去に生きた不特定多数の人間ではなく、今目の前にいるかもしれない一人の人間に焦点を当てると身に迫ってわかりやすい。
世界は想像上の秩序の上に成り立っている
中盤からは文明社会が発達するステージに入り、いよいよ「サピエンスの特性である虚構の能力から生まれたゲームとは何なのか」というテーマに本格的に切り込んでいく。
著者はアメリカ独立宣言を引き合いに、人間社会の自由や平等という概念は「想像上の秩序」によって成り立っているのだと主張する。この例が非常にウイットに富んでいる上にわかりやすい。
これを生物学的に正しく言い換えると下記の通りになる。
やり口は超皮肉っぽいが、自由や平等というものが想像上の概念であることを著者は批判しているわけではない。ただし「想像上のものであることを自覚しておくべきだ」という主張が強烈に匂う。
人間は想像上の概念でもって“良い社会”をつくる一方で、“望ましくない社会”を擁護する理由にもそれを適用することがあることを忘れてはならないと。
私たちが生きていて「自然だ」と感じる概念は、生物学的なところではなくこのような想像から生じているというのが著者の見解だ。
ここからは私見も交えるが、「[A]は、神あるいは自然の法則によって成った」というロジックのAは、その時々の状況によってすり替えられる。感情に訴ることができ論理的に破綻しないストーリーさえ作れれば、どんな[A]であっても大衆は「自然由来もしくは神だったら仕方ないか」と──そう思い込まされることによって社会は「調和を保たれる」。
私たちの社会にはびこる(あえてこういう言い方をします)「想像上の秩序」は、おそろしいまでに自然に、文字や空間などの形で人間の社会の中に物理的に存在し、また、私たちの欲望を上手にくすぐり満たしながら共同体の統一的主観として存在する。常に崩壊の危険をはらんでいるはずなのに、非常に強固なものに見える。
しかし、実際にはそれが“つくられた神話”であることを、私たちは忘れてはいけない。
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