見出し画像

生きるとは変わることだ。|Review


神の医療用鉗子

『人類滅亡2つのシナリオ―AIと遺伝子操作が悪用された未来』(小川和也著、2023年、朝日新書)では、ゲノムテクノロジーに対する危機感が語られています。


ゲノム編集技術は、CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)の登場以来、研究と実用化が進んでいますが、とくに生殖系列細胞へのゲノム編集にはいくつかの問題が指摘されています(2015年ヒトゲノム編集国際サミット声明文より)。

オフターゲットやモザイクといった技術上の問題
ゲノム編集の際、意図せぬ場所や部分にも変更が生じてしまう可能性がある。
※オンターゲットと似た塩基配列がゲノム配列中に存在する場合、その領域までも編集してしまうことをオフターゲット作用と言う。
※※生物学におけるモザイクとは、元々同一の個体から遺伝的に異なる部分が生まれ、ひとつの個体の中で遺伝的に異なる細胞が混在することを指す。体細胞分裂における失敗や体細胞における突然変異などによる。

遺伝子改変の有害な結果を予測する難しさ
ゲノムを編集した結果がどのような健康リスクをもたらすかを正確に予測することが難しい。

個人のみならず将来の世代への影響を考える義務
ゲノム編集が将来の世代に及ぼす影響や責任を真剣に考えるべきだ。

人間集団にいったん導入した改変を元に戻すのは難しいという事実
一度導入されたゲノム編集の変更を元に戻すことが難しく、慎重な判断が求められる。

恒久的エンハンスメントによる差別や強制
永続的な強化が差別や強制を引き起こす可能性に対する警戒。
※エンハンスメントの語義は「高めること」「 強化すること」で、病気の予防、運動能力や知能などの強化に用いられることに対して、倫理的な問題を指摘する声もある。

人間の進化を意図的に変更することについての道徳的・倫理的検討
人間の進化を意図的に変更する行為について、倫理的な視点から考える必要がある。

著者の論点は、「遺伝子操作で生まれたポストヒューマンが、ホモサピエンスを淘汰する」という未来はイヤだ!というものです。以下に要約します。

見通せない行方

ゲノム編集技術はとても強力で、人間の生殖や体の働きに大きな変化をもたらす可能性があります。
とくに生殖に関するゲノム編集技術は、次世代から次世代へと影響を連鎖させ、未知の要素が多い未来をデザインする難しさを示唆しています。

著者は、善意や責任感だけで、今の世代がこの技術の悪用や将来の問題に十分に対処することが難しいと言います。
技術が進み、欲望が増えることで、将来の世代が制御できない事態になる危険性もあるそうです。
とりわけデザイナーベビーが認められると、デザイナーベビーか否かで人間の優劣が決められ、その差別意識が世代を超えて継承されて、社会的分断が進むおそれがあると分析します。

また、生命を操作するこの技術は、予測できない病気や障害を引き起こすリスクもあるそうです。
だから、ゲノム編集技術を完璧に取り扱い、安全性を永遠に確保できるという考え方は現実的ではないと説きます。

ヒトゲノム編集の倫理的な舞台裏

人間はみんな異なる価値観を持っているので、倫理的な問題に対する答えも様々です。
これが解決が難しく、悪用される可能性のある問題を引き起こすことがあります。

生命を自分たちでデザインしたり操作したりすることは前代未聞ですが、デザイン技術の進化、量子コンピュータや人工知能の進展により、人間が生命を操作できる範囲も広がっています。
しかし、それができるからといって、生命をシステム化することが順調に進むとは限りません。
その結果、取り返しのつかない問題が生じる可能性があります。

倫理学者のマイケル・サンデルは、遺伝子操作が「世界そのものの本性を根本的に変える」と指摘しています。
生命をデザインする行為は技術の進歩とは別の次元で、その影響は予測が難しいそうです。

著者は全人類がゲノム編集技術を倫理的かつ理想的に扱うことを期待しますが、その期待とその潜在的なリスクとの間にはまだ解決されていない矛盾が存在すると警鐘を鳴らしています。

この本を読んで再び『ダーウィン事変』に触れたくなりました。前の記事は⬇です。

『ダーウィン事変』再び

『ダーウィン事変』(6巻まで出たよ)は、うめざわしゅんによるSFヒューマンドラマ風の漫画で、2020年8月号から『月刊アフタヌーン』で連載されています。

物語はチャーリーという主人公を中心に展開します。
彼はゲノム編集技術によって生まれた人間とチンパンジーの交雑種(ヒューマンジー)です。
彼の生物学的父であるグロスマン博士は天才生物学者で、ゲノム編集技術を使って自らとチンパンジーのエヴァの遺伝子を操作し、チャーリーを生み出しました。
エヴァは知能が高く、一瞬見るだけでモノを記憶する能力が人間以上で、2次方程式を解くこともできるという設定です。

遺伝学の「雑種強勢」が働いた結果、チャーリーは人間を超える頭脳とチンパンジーを超える身体能力を持ちます。
この設定の元ネタは、「人間の遺伝子をサルの脳に移植したら、野生のサルと比べ認知機能が改善した」という2019年の中国科学院昆明動物研究所と米ノースカロライナ大学の共同研究だと思われます。

人間だけを特別視する理由があるの?とチャーリーは問い、自分も含めて「すべての動物はただの1=ONE」という考えを持っています。
一方、テロ組織でもあるALA(動物解放同盟)のリヴェラ・ファイヤアーベント(マックス)は、「ヒューマンジーはダーウィンの価値転換を加速させるゲームチェンジャーだ」と考えていて、どうやらポストヒューマン論者のようです。

グロスマン博士やマックスのような危険思想を持つ人物でもヒトゲノム編集に容易にアクセスできる世の中…
薔薇の品種改良みたいに、日曜大工感覚でバイオテクノロジーの実験を行う「DIYバイオ」がフツーな世の中…
確かにコワいですよね。
でも驚異的スピードで技術開発が進んでいるのも事実で、近い将来、確実にそういう状況になるでしょう。

ゲノムテクノロジーの進歩とその潜在的な危険性、そして人間が生命を操作することがもたらす未知の世界に対する警鐘として、この本とこの漫画をセットで読むのも一興かなと思います。

この記事が参加している募集

生物がすき

今こそ読みたい神マンガ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?