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【掌編小説】空いていながら座れない座席

 夕方の駅は通勤通学の人で混雑していた。高校への通学で電車を利用している僕もその中の1人だ。
 普段電車に乗ると、多くの人が座れるように、小さな子供は膝の上に乗せ、荷物は棚の上に載せるよう呼びかけるアナウンスが流れる。
 概ねアナウンスに従っている乗客が多いものの、中には気にしていないと感じられる人もいる。
 大股を広げて座り1人で2席分使っている男性。手荷物のバッグを隣りの席に置き1人で2席分使っている女性。
 そして割と多いのが、ゆったりと座ることで3割くらい隣りの席にはみ出してしまっている男性。7割くらいは空いていても、結局そこに座ることはできない。
 車内に空席が見られる時は、そんな状況もあまり気にならないけれど、明らかに座れずに立っている人がいる状況でそういう人を目にしてしまうと、僕は複雑な気持ちになる。
 とは言え、僕自身は座らなくても構わないと思ってるし、年齢的に他者からもそう思われるだろうと思うと、見ず知らずのそういう人に、わざわざ席を空けるよう言いに行くのも躊躇われる。
 若造が喧嘩売ってんのか、と睨まれて揉めるのも嫌だし、揉め事になったらかえって周囲に迷惑になりそうだ。
 僕がすることは、座っている時に譲った方がいいと思う人が乗って来たら譲り、席が空いていなければ座らない、というくらいのことだった。

 ホームに到着した電車に乗り込む。車内は、それ程混んではいなかったが、一見空き座席もない様子だった。
 しかしよく見ると、中途半端に空いている座席が目に入った。左右に座る男性が2割くらいずつはみ出しているために、空いていながら座れない座席が。
 複雑な思いで眉を寄せる僕に、その座席の斜め前、僕からは2メートルくらい離れた席に座っていた、30歳くらいと思われるスーツ姿の女性が、「こちらどうぞ」と、微笑みながら立ち上がったのだ。
 座りたいのに座れなくて不機嫌さを滲ませた坊や、と思われてしまったのかと思うと、急に恥ずかしくなった。それでも、僕を見つめる女性からは知性と美しさを感じるだけで、軽蔑されてはいないようだった。
 固辞するのも失礼かと思った僕は、頭を下げて「どうも」と言うと、女性が空けた席に向けて歩いた。
 僕に席を譲った女性はと言うと、斜め前にある中途半端に空いていた席の前につかつかと歩み寄って立ち、左右の席で2割くらいずつはみ出して座っている男性2人にそれぞれ、「こちら、よろしいですか?」と声をかけた。
 2人の男性はそう言われ、はみ出している部分を自身の席に引っ込めた。僕が座ってほどなく、女性も座れるようになった空き座席に腰を下ろした。
 女性は、自身に向けられている僕の視線に気づくと、にっこりと笑みを返してくれた。
 カッコイイ……! なんて勇者なんだ。
 僕が声をかけるのを躊躇っていた類の相手に、スマートに声をかけ、よろしくない状況を鮮やかに解決してしまった。
 きっとあの女性も、ここに座ってあの状況を見るに、いい気持ちではなかったのだろう。それで、僕に席を譲ることを利用して、空いていながら座れない座席の問題を解決したのだ。
 自分が座ってしまえば、譲った方がいいと思う人が乗って来たら譲ればいい。空いていながら座れない座席を前に、遠慮して声をかけるのを躊躇う人の代わりに。
 僕は、あの女性に大切なことを教えられた気がした。
 現状を良くないと思いながら、思うだけで何もしないでいるのは、思っていないのと同じだ。
 方法はあるんだ。ならば、ぐだぐだと悩んで行動できなかった自分に決別しよう。
 数駅の間電車に揺られた後、降りるために席を立った僕は、席を譲ってくれた女性に小さく頭を下げた。同じように会釈を返してくれた女性の微笑みに、胸が温かくなり、勇気を受け継いだ気持ちになった。

 それからの僕は、電車で空いていながら座れない座席を目にすると、積極的にそこに向かい、声をかけるようになった。
 笑顔と穏やかな口調を意識し、「ここに座ってもいいですか?」と尋ねる。そう言われて、内心どう思っているかはともかく、「ダメ」と言う人は結局のところいないものなのだ。
 ただ、1つの座席の問題を解決すると、他の座席も気になる。より多くはみ出され座れなくなっている席を目にすると、「しまった、あっちにすればよかった」と思ったりするのだ。
 そんなところ、僕もまだまだだ。
 それでも、最近電車に乗っている時間、随分気分がいいのは、きっと気のせいではない。
 今日も電車は、僕や多くの乗客を乗せて、町々を走り続けている。




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