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父とのこと 〜幼い記憶〜

うちの父はとんでもない人だった。

世間的には人見知りっぽく、学校行事にはほとんど顔を出さない、いつも車をいじっている旦那さんというイメージだっただろう。

家庭内の父は、アルコール依存症のDV夫だった。

わたしが見ていたもの

父と母は1ヶ月のうち1週間は確実にめちゃくちゃな喧嘩をしていた。

喧嘩の理由は、「母が電話にすぐに出なかった」とか「母が庭の植物に車をかすった」とか、些細なことだったと思う。

父は、母を責める理由を見つけては怒鳴り散らすことで、仕事のプレッシャーやストレスから解放されようとしていたのかもしれない。

物心ついた頃には、深夜のリビングで繰り広げられる両親の乱闘を階段の上から眺めることが定番になっていた。

当時は悲しいとか辛いとかよりも、母が殺されるかもしれないという恐怖心と、いざという時はわたしが助けるんだという正義感をいっぱいに抱いていた。

幼稚園くらいの記憶

精神的に脆く神経質な父と、朗らかで天然すぎるあまりに無神経なところがある母の相性は最悪だった。

わたしが幼稚園に入る前くらいの頃。

母が目の周りの骨を折ったと言うので、総合病院に着いて行ったことがある。

どうやら、父に殴られたらしい。

幼いながらも、何か不穏なことが起きているんだ、お母さんは嬉しくないんだ、ということは想像できた。

待合室で飲んだキティちゃんのりんごジュースのパッケージや味を、今でもありありと思い出すことができる。

振り返ると、「お父さん大好き!」なんて思った記憶は一切なかった。

父と2人きりにならないといけないことがあると大泣きするくらい、全く懐いていなかった。

経済的な観点を持っていない幼いわたしにとって、父は“居なくてもいい存在”であることは間違いなかった。

小学生くらいの記憶

歳の近い兄は一度寝たら起きない子どもだった。

24時を過ぎた家の1階から聴こえてくる騒音で目を覚ましてしまうのは、いつもわたしだけだった。

ガラスの割れる音、壁やドアを強く蹴り飛ばす音。

怒鳴り散らす父の声に、「やめて!」と叫ぶ母の声。

途端に静かになったと思って見に行くと、母は仰向けに倒れていた。

駆け寄ると、母は振り絞るような声で「こっちに来ないで」「上で寝てなさい」と言った。

「大変だよ!起きてよ〜!」と兄を揺さぶり起こそうするけれど、全く起きる気配がない…。

※起きろよww

家族の中でわたしだけが平均身長以下なのは、このせいでは?とすら思っている。

心臓がドキドキしたまま、布団に抱きしめてもらって眠りにつく。

涙は出なかった。

翌朝リビングに行くと、壁には大きな穴が空いていて、テーブルはひっくり返っていた。

我が家の壁に世界地図や図工の作品が隙間なく貼られていたのは、それらを隠すためだった。

2人はいつの間にか仲直りし、束の間の平穏が訪れるー。

こういうことが月イチで繰り返される家庭だった。

わたしにとっては日常だったので、誰にも打ち明けることはなかった。

手は出されなかったけれど、両親の喧嘩に巻き込まれることもあった。

しつけの範囲を超えて理不尽に怒鳴り散らされることも頻繁にあった。

母はうつろな目で、「聞いてるふりして我慢して」と言っていた。

家を揺らすほどの怒号や罵声に耐えられなくて、子ども部屋のベランダから飛び降りようとしたこともある。

父に力で止められて、お気に入りのパジャマはビリビリに破けてしまった。

※悲しすぎるだろ…。

父のいないある昼下がり。

母がふと「3人で引っ越そうか…」と言うと、わたしは目を輝かせて「そうしようよ!」「お父さんなんか居なくなればいい!」と得意のいたずらっ子フェイスで応えていた。

わたしは本気でそうなればいいと願っていた。

↓続きです。

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