超有名短編小説を丁寧に読んでいきたいと思う。全数回予定。
羅生門
第一段落
下人は雨宿りをしていた。なぜ下人が羅生門にいたのか、読み返すまで忘れていた。下人というのは身分が低い人のこと。この言葉が使われているだけで、身分というものが存在した時代だということがわかる。まあ、比喩かもともこの時点ではとれる。ちなみに今はもう羅生門は無い。
そもそも羅生門とはなにかを、改めて確認してみる。
第二段落
この後出てくるが、当時の京都は荒廃していたので、門の手入れがされていなかった。だから塗りが剥げているし、虫がとまっている。べつに塗ってあっても虫はとまだろうが、塗りが剥げた上に虫がいると荒廃している感が増す。でもきりぎりすって風流な感じもある……。
あと、人を「市女笠や揉烏帽子」と服装で表現しているのが面白い。まあとにかく下人以外誰もいないということ。
第三段落
第二段落の状況の説明になっている。自然災害が起こって都が寂れてしまった。そして仏像や仏具なんかはありがたいものではなくて薪として即物的に使われるようになってしまった。まさに神も仏もない状態。都の中心である洛中がそんな有様だと、端っこの羅生門なんて当然修理してもらえない。
荒れているといろんなモノが住む。まず最初に「狐狸が棲む」というのがいい。人間以外の動物が住み着いて、その後盗人、最後に死人が運ばれてくる。盗人を人じゃないと言うと怒られるかもしれないが、人の道をはずれたか、そもそも人じゃないか、人じゃなくなったものが集まってくる。そりゃ、暗くなったら誰も近寄らない。昼間だって近づきたくない。
ところで、注目したいのは二文目の「旧記によると」という部分。後で地の文に「作者」が登場するが、ここの「旧記によると」は「作者が旧記を参照したところ」という感じ。
第四段落
そんなやばいところだから、人は来ないけどカラスが死体をついばみにやってくる。昼間は鴟尾だから屋根の飾り、その周りを飛んでいる。夕焼けをバックにすると胡麻みたいにはっきり見える。でも昼間でもはっきり見えそうだけど。なんで夕方にことさら「はっきり見えた」と書いているのか? 青空を背景にするより、赤い空を背景にしたほうが、黒いカラスの存在感が増すからかもしれない。
残念ながら(?)今は時間が遅くてカラスはいない。だけどカラスの糞が手入れのされていない石段の上に点々としている。カラスが食べていたのは死人の肉だから、これはなかなかグロテスクだ。下人はそんなことより、自分のほっぺの面皰(にきび)が気になっている。それどころじゃないのか、ぼーっとした人物なのかはまだわからない。
第五段落
さっき第三段落のところで言及した「作者」が登場して、下人の状況を説明してくれる。下人は早い話が、不況の余波で首にされて、困っていた。しかも降り続く雨という空模様で、まさに泣きっ面に蜂だ。
明日の暮らしのめどもたたないくらいだから、狐狸や盗人や死人どころではない(そうか?)。
あと、ようやく今がいつだったかも「平安朝」という言葉でわかる。平安時代だったんですね。それにしても「平安朝」と言った刀で「Sentimentalisme」は痺れる。深刻な状況なのにちょっと笑ってしまう。
次回に続く