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私の体にキスマークはつきません(3/3)

こちらの続きです。

「キスマーク、つけてもらえませんか」

突然そんなことを言われた。
私が知っている彼は、酔っ払ってもそんなことを言うタイプではない。

「キスマーク…?あの、どうやってつけるんですか?」
と聞いてみた。
「つけたことないの?つけられたこともない?」
はい、と答える。
「つけるタイプかと思ってたよ…」

彼に言われるがまま、お腹や肋あたりを強く吸った。
暗くて何も見えなかったけれど、
「これは結構ちゃんと痕残ったんじゃないですかね…笑」
と彼が笑う。
加減がわからなかった。

そして、「学生の頃とかいましたよね、キスマークつけて人前に出てくる子。みっともなくて見てられないや」
と言う。
じゃあなんで私にキスマークつけさせたんだ…

お返しでもするかのように、
彼が私のお腹あたりを強く吸った。

あぁ…

残念ながら、この身体…
私の体にキスマークはつきません。

理由はよくわからないけれど、たしか昔調べたところによると、
ステロイド軟膏を常用してる人は皮膚が硬くなるから、毛細血管が破裂しないらしい。
そんなことは露も伝えず、されるがままになっておいた。

浴衣がほとんど意味をなさない姿で2人横になって、
「なんか面白い話して。怖い話でもいいよ」
と無茶振りしてみた。
相変わらず、彼は迷うことなく面白いエピソードを聞かせてくれる。
常時ピロートークみたいなゆったりした口調のまま、
甘ったるい声で語られる話は、
雰囲気に一切似合わず面白い。

いつも金縛りに遭う、なんて言うもんだから、
「これまであなたが傷つけてきた女の生き霊よ!私じゃないからね?!!」
とふざけながら、首筋に抱きついた。

目が覚めると、12:00過ぎだった。
随分ぐっすり眠っていたらしい。
ごろごろと寝返りを打つ私に気づいて彼も起きた様子だった。

実はなんとこの旅館、チェックアウトが16:00なのだ。
(そして5500円という破格の料金設定)
のんびりごろごろしながら、
髪を撫でたり、後ろから抱きついてみたり、
腕枕してもらったり、だらだらと過ごした。

そして例のごとく、2人で布団に並んで寝たばこをしながら、
またぼんやりとたわいもない話をした。

裸で抱き合うのは、どうしてこんなにも気持ちが良いのだろう。
性的に興奮するわけじゃない。
むしろ真逆だ。
心が満たされる、嫌なこと全部忘れられる。
忘れるんじゃない、嫌なこと全部、大したことないように思えてくる。
彼の腕をさすりながら、なんてすべすべなお肌なんだろう…と思った。
付き合っていた頃に彼が私を抱きしめながら言っていた、「癒される」という言葉の意味がわかったような気がした。

セックスなんかしなくたって、
このまま裸で抱き合いながら、いつまでもお互いのことを知れる時間が続けばいいのに…と思った。

タバコの火を消して、
「このあと仕事なんだよね…」
と彼が言う。
特に驚かなかった。
そういうことはこれまで何度もあった。
彼の仕事は土日休みではないし、日勤と遅番が交互にあるし、なんせ彼は管理職様なので、
自由な時間が2日もできるなんてことは皆無に等しいのだ。

出会った当初は、それすらも嘘だろうと私は疑っていた。
どうせこれから本命の彼女にでも会いに行くんでしょ、とか本気で思っていた。
それくらい、彼の生活環境と私の生活環境は違ったのだ。
そこを理解するまで、かなりの時間がかかった。
だから何度も喧嘩をした。
私たちは、あまりにもお互いのことを知らなさ過ぎたと思う。
信じるに値する時間も、情報も、関係性も、何も構築できていなかったのだ。

夕方から出勤、となると、
このあとは結局いつもみたいに急いで支度して、
急いでバイバイするハメになるのかな…と思い、
彼の様子を伺った。

のそっと起き上がって居間に移動した彼は、
冷蔵庫から瓶のコカ・コーラを取り出して、のんきに飲んでいる。
タバコを吸いながら、自分のスマホをチェックしている。
そんな影に隠れて、私は和室で服を着替えた。

「僕の場所からだと、着替えてる姿がシルエットになって天井に映ってるよ」
と笑う声が襖越しに聞こえた。

襖から差し込む陽の光、何故か戸棚の扉が取り除かれた天井、そしてお布団の横にある鏡。
それらが上手く光を通して、
私の姿が天井に反射していたらしい。

恥ずかしいような、ほのぼのするような、
そんな気持ちになりながら着替えを終えて、
私も居間に移動した。

彼はまだゆっくりしている様子だった。

だから私も、また鏡台の前に座って、
ゆっくりメイクをした。

こんなに穏やかな朝(もうお昼過ぎなんだけど)は、
2人で過ごしたことがなかったな…

それでも彼は、少しずつ宿を離れる支度をし始める。
私が慌てて靴下を履くと、
「もう一本吸っていこうか」
と彼がタバコに火をつけながらつぶやいた。

そうして、私たちは夕方前に宿をあとにした。

お腹が空いていたから一緒にご飯を食べたかったけど、
断られるのが怖くて誘えなかった。
誘ったとしても、たぶん断られてたと思う。

だからその代わり、手を繋いでみた。

今から恋人に戻れるなんて思ってもいない。
だけど、恋人だった頃にできなかったことを、
今日、今この瞬間でやり遂げて、
これまでのぐちゃぐちゃした感情を清算したかった。

彼はちゃんと手を繋ぎ返してくれた。
別にそこに愛情は感じなかったし、
手を繋いでくれたから愛されてるとも思わなかったけど、
きっとこの世界には、こんな気持ちで手を繋ぐ男女がたくさんいるんだろうなあ、と思った。

活気あふれる昼過ぎの新宿の街並みを目の当たりにしながら、
本当にしょうもない質問をいくつか投げかけた。
「好きなハンバーガー屋さんはどこ?」
「好きな喫茶店はどこ?」
「好きなラーメン屋さんはどこ?」
…本当に、私たちはお互いのことを、
いや、私は彼のことを、何も知らないままだったんだなあ。

改札まで来ると、さすがに少しだけ名残惜しい。
「ありがとう、お仕事頑張ってね!」と手を振った。
「気をつけてね、頑張ってくるね!」と彼が手のひらを差し出すので、軽くハイタッチをした。
そのまま振り返らないで改札を通って、年末年始休暇最終日の人混みに混ざって、電車に揺られた。

“セフレ”っていうのは、
もっと、なんだかこう、
会って、セックスして、はいバイバイ!
…みたいな関係性だと思っていた。

事後、ベランダで一人タバコを吸う相手の姿に胸を痛めながら、寂しく一人ベッドの中で泣くものなんだろう、
そして安っぽいラブソングの歌詞に自分を重ねて、感傷に浸ったするんだろう、
そう思っていた。

そんな思いは絶対したくない、
だからセフレなんて関係性に成り下がる女性の気持ちなんかちっともわからない!と思っていた。

だけどおそらく、その想像は間違っていたのだろう。
こうやって、
ほとんど恋人みたいに穏やかに過ごして、
「またね」って仲良くバイバイする。
恋人みたいなものなのに、ほとんど恋人なのに、
きっとどちらかが告白すると、
「俺/私はそんなつもりじゃなかった」
と言われて、
簡単に壊れてしまうな、
そういうものなんだろう。

帰り道、そのまま本屋さんに寄った。
たまたま手に取った本の、たまたま開いたページに、
「セックスをしても、手を繋いでも、付き合えない関係がある」
と書いてあった。
この瞬間、この言葉に出会ったということは、
おそらくそういうことなんだろう。
私は自分の運命を悟った。

今後も連絡を取るかどうかは考えていない。
今はまだ、あまり考えたくない。

だけど、これだけは変わらない。

私の体にキスマークはつきません。
誰が愛を注いでくれたとしても、誰のものにもなりません。

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