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阿部元総理銃撃犯 宗教は家庭を壊すよね・・・

驚いた。絶対に許されないとんでもない事件が起こった。こんなことは二度と起こってはいけない。犯人は決して許されることはないと思う。
 
事件には家族の宗教問題がからんでいるようだ。勿論これは元総理とは全く関係ない八つ当たりの暴走だ。しかし、宗教が家庭を壊すのはよくある大問題なのだ。
 
犯人の母親の宗教が何か今は不明だ。文鮮明の統一教会?カルト?
 
昔から政治と宗教が結びつくとロクなことが無い。キリスト教が過去に犯した殺戮の罪深さなど、神の名のもとにどれほど残酷なことが行われてきたことか。
 
8歳の時父が他界した。同じ年母は創価学会に入信した。私たち兄弟も強制的に会員にさせられた。以降ひたすら創価ワールドに生きた。幼いながら長時間の正座と唱題・集会への参加・他宗教はすべて邪教との教えを叩きこまれた。
 
母は正月の獅子舞はいつも断わり、クリスマスもなく、一緒に楽しく作った七夕飾りは翌日、やっぱり邪教だったんだ、それで体調が悪くなったと、笹と短冊をすべて庭で燃やしていた。
 
高校生の時。創価会員として熱心だった私。ある会合で、お寺で集まって高校生みんなで唱題していた。私も唱題していたのだが、何故か突然、南無阿弥陀仏と言いたくなってしまった。(創価学会は南無妙法蓮華経・他はすべて地獄行きの邪教と教えられていた)この奇妙な出来事に戸惑った。
 
8歳から頭に叩き込まれていたことに初めて疑問が浮かんだ。南無阿弥陀仏ではどうしていけないのか。その後信仰から少し距離を置くようになった。母親は猛烈に心配して、学会幹部みたいな男の人を数人連れてきた。私は沢山説教された。そして責められた。
 
”アンタ、そんな風だと今度生まれ変わる時にはきっと、ごきぶりになって、ごみ箱を漁るようになるぞ!信心を捨てると大変なことになるんだぞ!”と脅迫された。高校生にとって、こんな脅迫は本当に怖かった。後年知ったのだが、南無阿弥陀仏の浄土真宗は先祖代々の宗教だったのだ。受け継いだDNAの記憶が蘇ったのかも知れない。
 
脅迫や母の一層の押し付けで傷つき、毎晩布団の中で泣いていた。信仰・宗教は個人の自由だと思う。一神教的な宗教は自分と違うものをすべて排除しようとする。異質なものすべての完全否定だ。
 
このことが原因で私は学会から離れた。今でも家族は全員・親戚もみんな創価学会。私だけが神社大好きでも無宗教と言う自分の道を行っている。
 
縄文人は1万年以上もの長い間、戦いを知らなかった。和を尊び、自分と異なる民族の人たちと自由に貿易をして豊かに暮らしていた。狩猟・採取・栽培、そして交易。何よりも心が豊かだったと思う。
 
銃撃の犯人は母親の宗教で経済的ダメージ(多額の寄付)を受けたとか、事実は不明だが、多分母親は宗教で頭がいっぱいで、子供としっかり向きあっていなかった思う。一も二も信仰と布教活動が最優先・子供はそのずっと後という順位。その子はずっと愛されていないと思ったのではないか。
 
学校で習う ごんぎつね の話を覚えているだろうか。兵十はごんの沢山のプレゼント・栗やキノコを神の恵みと感謝していた。ある日ごんが栗を持って入ると兵十に見つかって殺されてしまう。
 
神様は偉くて有難いもの?いつも感謝感謝?一番大切なのは現実をしっかり見ることではないのか。誰が栗を持ってくるのか、どういう理由なのか、周りに起こった現実を正しく見ることで、兵十は何かを知ったはず。神様は、ごんぎつねだったんだから。神様は天から、栗やキノコやおにぎりやハム、そんなものを落としてくれますか?
 
里の義姉(創価学会)から電話。公明党をお願いね、と。私は覚えておくよ、とだけ言った。投票は自分の意思で、自分で決める。
 
すっかり神様好きの宗教嫌いになってしまった。縄文に帰りたいな、と思う。夜には囲炉裏を囲んで家族が集まり、夕餉の時が始まる。昔話や神話や出来事を語る親。子達は耳を澄まして聴いている。そこには静かで豊かな豊かな時が流れたことだろう。縄文は弥生よりはるかに食生活が豊かだったという。戦がないもの。縄文の生き方にもっと学びたいと思う。
 
二度と再び 銃で殺害というとんでもない事件が起こらないように、憎しみが巨大なモンスターを生み出さないようにと、宗教嫌いの私はやはり”祈る”のです。そして何か自分にできることを探そうと思う。
 
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